74歳の父

術後の経過や生活について、悩みがあります。

PET検査で転移が見当たらない、本人の身体状態をみて、まずは手術。リンパ転移があれば抗がん剤の流れの説明をうけ、

6月20日に食道と胃の一部を切除、胃で食道の代わりとなる経路を再建手術。

経過は比較的順調で7月14日、腸瘻をつけたままではあるが退院。手術の際に一緒に切除したリンパ節に5箇所ほど転移があり、8月半ばから抗がん剤2クール予定でした。


ですが、7月29日と8月5日の診察で、

退院後の体重減少、本人の気力が低下、血液検査の結果もよくなくて、抗がん剤はできないという判断に至る。


まずは体力回復に努めて、2ヶ月後にCT造影検査で再発がないか確認することに。


今できるとこはしっかり食べて、運動することと言われてるのに、ホントにこのままの生活でいいのか?と最近思い、慌てて色んな事を書きはじめ、どなたかの目に止まりアドバイス頂けることがあるのならと、書いてます。


今の一日のサイクル

※一つの敷地に平屋の母屋と2階建ての家があります。


■5時30分〜6時頃起床

新聞をとりに、10mほど離れた母屋へ

母屋で、椅子に座りしばらく新聞&テレビを見る。

■7時過ぎ朝ごはんを食べに、母屋から家に戻る

朝ごはん&腸瘻開始。

腸瘻が終わるまでは、その時の気分で自分の部屋に戻りベッドに座ってテレビ、または母屋に戻ってテレビを見て過ごす。


■だいたい10時過ぎに腸瘻を外しに台所へ。

部屋に戻り座ってテレビ。


■12時過ぎ昼食

昼食後は、だいたい座ってテレビをみて自分の部屋で過ごす。


■15時ころ気分が良ければ間食を少しする。


■17時ころから散歩800mほどを散歩。

帰宅後、母屋で風呂準備、入浴。


■19時過ぎに家にきて、夕食。


■20時過ぎには歯を磨き、部屋にはいる。

そしてまたテレビ。

就寝時間までは確認できてません。


7月14日に退院して、

8月5日の診察の後から、夕方の散歩が加わる。

それまでは散歩にも出ない生活。


それぞれの回復具合等あるとは思うのですが、父からの気力が感じられず、

アレコレ考え母は食事を作るけど、食事を見るだけでぞっとするとか、食べることが苦痛だという。わかるけど、食べないとパワーがつかない。やっぱりその時の気分もあるので、残したりもある。元気になって欲しいのに本人がそんな感じで、段々と母自身も精神的にまいってきている。


術後、抗がん剤もしていない状態。

個人差もあるのは頭ではわかるけど、甘えすぎてない?と思ってしまう。

こんな感じが一般的な回復具合なの?

いつまでも自分は病人やからと口をついて出る。


そろそろ、もう少し先のことを考えませんか?と言いたいけど、どうなんだろうか?

まだはやいの?もっと寄り添わないといけないの?

誰に相談したらいいのか、、、



74歳、したいことないの?

このままこんな生活続けるの?

術後3ヶ月を目処に、できれば周りももう少し普通の生活に戻したい。

母は父のために、仕事を断っている。

※月に数日、週末に着付け関連の仕事をしている。

3食、父のペースに合わせて、テーブルに食事を用意して、その他のこともしている。


冷蔵庫から自分で出して食べてね。

仕事の時は自分で用意して食べてね。といえる時期が来るのかな。。。

今だと、出してまで用意してまで食べたくないといいそう。うん、わかったというても、ようせんかったと言われて、こっちが罪悪感にさいなまれるパターン。


皆さん、経験された方、教えてほしいです。


簡単な経過

※後々ゆっくり記したいけど今の一番の悩みが解決しない


2021年

12月頃から違和感を感じていた

2022年5月

飲む込みづらく

13日胃カメラ→診ただけで食道がん診断

20日検査結果で確定

23日県立医大 消化器外科 初診

25日PET検査

27日医大で胃カメラと治療方針説明


■PETでは、転移はみられない。体力有。

→手術は胸腔鏡手術。右肺を凹ましてアプローチ。食道全部と胃の一部、りんぱ切除。残りの胃を細長くして頸部で繋ぎ食道の代わりにする。

■手術後の病理検査で転移があれば、抗がん剤。


2022年6月

10日PCR検査

13日入院 

■改めて手術についての説明をうける

※胆嚢と甲状腺が腫れている為、翌日エコー検査

→胆嚢は手術の際切除。甲状腺は術後改めて検査。


20日無事手術終了

21日昼頃予定通り順調に一般病棟の個室に移動

7月

1日ゼリーから経口摂取開始

9日電話で主治医より

甲状腺の組織検査する事と手術後に病理に出していたリンパ節に5箇所ほどの転移有※本人はまだ元気が無い為様子を見て伝えるとのこと。


病院食は柔らかい物に変わり、1時間ほどかけて食べる。外では頑張る人だから、全て完食。

そしてびっくりなのが、突然退院日が告げられる…


11日洗濯物届けた際に看護師さんに訪ねた時は、腸瘻のリズムが大分できてきてるけど、まだ退院の話は出ていないと聞いて夕方帰宅。

その夜、父から14日退院決まったと連絡有。


14日無事帰宅。

※それほど食べれていない。腸瘻つけたままの退院。1日3袋を腸瘻。

簡単に栄養管理士さんに話を聞いてきたが、これからが戦いの日々…


父は父で戦っている

だけど、母は母で父と戦っている

戦うという言葉が語弊があるかもしれないけれど、両親の夫婦関係は複雑で…


2022年1月

次男が最初に発熱。

私は仕事から帰宅したらぐったりして、顔真っ赤にして寝ている次男…

長男も帰宅していて、様子おかしいなら携帯へ電話してよと思いつつ…

かかりつけといってもほぼ通院歴のない子どもたち。悩んで近くの内科に電話。

そしたら診てくださるとのことで、連れていき、抗原検査→陰性。

タイミング的に偽陰性の可能性もあるのかな?と思うので、長男を別部屋に移動させて、次男は寝室に隔離。

いつも寝室のWベッドに子供達が二人寝て床に布団で私が寝るパターン。主人は自分の部屋。


今回、次男は私の布団で寝て、私がWベッドで様子をみながら寝ることに。次男は一度だけ嘔吐。すぐに消毒液を作り掃除して抑え込んだ。つもり…

熱もすぐ下がり食欲はなかなか戻らなかったけど5日程で元気に回復。その後も様子をみながらそろそろ大丈夫かなと思った時に、次男がくしゃみのような咳のようなものを数回した。

私タイミング悪くマスクしてないですやん…

その後次男は咳もくしゃみもなかったので深く考えず、元の生活に戻しました。

私は次男が寝ていた布団のシーツを替えて寝たのですが、、、翌日の夜から何だか私だるい?気持ち悪い?何だか変な感じもしながらやり過ごす。

今日私3時間だけど出勤したし、万が一だった時は恐ろしすぎる…でも翌日も何となくだるいだけで、熱は出ず…

ちょうどその日は親戚の告別式が入っていたのでお休みをもらっていた。念の為告別式は遠慮して、家で過ごす。でも何か違和感。


またまだコロナに対しては会社も世間も冷たい感じで…それに同僚に受験生かかえた方が二人も…不安で押しつぶされそうでした。

同じ時、上司も発熱しPCRで陽性と連絡が入り…若干パニック…

その夜私も発熱。翌日には治まってたのですがちょうど連休で助かり、これからどう対応しようか考えていたところに、長男発熱…


まぁこれ、次男偽陰性の家庭内感染の最悪パターンだったのかもです。

長男発熱した時には、私は喉に違和感があって診察はしてくれましたが、熱は治まっていた為検査してもらえず、みなし陽性にもならずでした。

この頃検査キット不足でホントに症状が出ていないと検査できないという状況でした。

ちなみに、主人は何にもなく無事に解除日を迎えました。


長男陽性からの療養期間は、保健所からSNSのメールがきただけ。そのまま何も連絡ないまま、療養期間終了になりました。

え?今日から解除でいいんよね?という感じでした 苦笑

学校の先生が一緒に日数等確認してくれたので良かったです。


私が一番ひどかったかも。熱はさほどだったけど、咳が長かった…

咳がある為、喋るとしんどくなり、仕事は電話も多く、復帰も不安ばかりでした。

薬をもらっても、効かなくて変えてもらっても結局は効かず、、、

あめ玉やらなんやらでとにかくやりすごし、 ようやく4月が終わる頃、ほぼ出なくなった感じです。


でも次男がホントに陰性で、私も次男の腸炎を引き継いだなら、普通の風邪かも?風邪でも私こじらすと咳がひどくなるので、そっちパターンも拭えず、、、

確信に変わったのは、年1の健康診断を春に受けた際、オプションにあったコロナ抗体検査。抗体の値が2回ワクチン+罹患した人の平均値より高かった 苦笑


気をつけていても子供からもらうと防ぎようがないし、なる時はなるし、ならない時はならないし、気をつけてすごして、やることはやって受け入れていくしかないな。


でも今罹患するわけにいかない。

→②に続く