ドラえもんを読んでいて、いつも不思議に思うのが、ドラえもんとのび太の家族とのかかわり方だ。
ドラえもんはのび太の家に居候しながら、当たり前のように家族の食事に入り込んでいる。その一方で、ドラえもんの出す道具に関しては、パパとママは全くの他人扱いで、パパやママのほうから道具をねだるシーンもほとんどない。家族はせいぜい実験台にされたり、いたずらの対象としてしか道具とのかかわりがみられない。
これがもし現代風の漫画だったらどうだろうか。まずパパとママは間違いなく道具をせがむはずだ。そして食事は、その対価としてのみドラえもんに提供されるはずだ。
心に余裕がない現代だ。下手をすれば家賃請求まではいかないにせよ、129㎏の巨体による、押入れを中心とした慢性的な家財全般の損料まで請求されかねない。
そのようなこともなく、道具も要求せず、当たり前のように家族として受け入れているところが、のび太のパパとママの感心するべき点だ。
この第13話は、そのような家族へのご褒美というべきか、のび太がパパのために地下鉄を勝手に作ろうとする心温まる話だ。ギャグ要素は全くない。
断っておくが、これは異次元に地下鉄を掘り、会社までつなぐというわけでも、実際はどこでもドアを使いながら、うまいこと地下鉄風の演出をして会社まで送り届けるというわけでもない。
なんと本当に地下を掘り進めていってしまうのだ。やっていることは完全に違法だ。
「いつまでも つかえます」
このいつまでもという文言に重みというか、なんとも言えない深い愛情を個人的には感じる。このコマはドラえもんの名シーンに数えてもいいと思う。
泥だらけになりながらも、そのことにはまったく頓着せず、息子からの気持ちをただ受け入れているこの人間として立派な姿に、のび太のパパファンが一人でも増えること願う。