コストルナヤの移籍に思うこと | しょこらぁでのひとりごと

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羽生選手大好きな音楽家の独り言のメモ替わりブログです。

 今夜は、桃色の満月が空に架かっている。スタージェンムーンと言うそうだ。ロマンティックな響き、と思ったら、『チョウザメの月』という意味だという。人生のたいがいは、そんな風に出来てるんだよね、と思った。しかし、桃色の月は、どこか不穏な空気を含んで、神秘的だ。 

 さて、コストルナヤの移籍が物議を醸している。表沙汰になったとたん、あちこちからまあ、騒がしいこと。メドベージェワのときと全く同じだ。 

 不思議でならないのは、羽生選手のファンのブログで、堂々とコストルナヤを非難する人がいることだ。何故そんなことをする必要があるのか。羽生選手がクリケットへ行ったときのことを忘れたわけはないと思うが。 

あの時、奈々美先生は何も話さなかった。 

ヨナがクリケットを去ったときのことを考えてもわかると思うが、当事者でも、本当のことを総て話す訳にはいかないのが、移籍問題だと思う。だから、去られたコーチ側も、本当のところ総てはわからないのだ。 

 羽生君が去ったとき、奈々美先生が一言でも非難めいたことでも口にしていたら、どうなっていただろうか?ハイエナが群がるように、その言葉に群がって、彼の未来を食い尽くそうとする輩が出ただろう。 

しかし、奈々美先生はひとことも話さなかった。 

もし、ファンの中に、羽生選手のことだから、事前に奈々美先生に話して、わかってもらってた、などと考えている人がいたら、とんでもないと言いたい。移籍はそんな甘いものじゃない。当事者同士がどれほどお互いのことを真摯に考えていても、必ずマスコミか第三者が首を突っ込んでくる。そうなったら、終わりなのだ。 
義理を通そうとしたら、潰れる。トップ選手の移籍は、そういう類の話だ。

 奈々美先生は、一言も話さなかった。
 
しかし、エテリはどの場合でも、饒舌だ。

 選手本人が何も話さないうちに、話がどんどん広がって、憶測が憶測を呼ぶ。メドベージェワの時もそうだった。彼女は、エテリに批判めいたことは一切言わなかった。それでも、非難されるのは選手の側だ。 

移籍するのには、それなりの理由があるのは当然だ。しかし、選手の側は、それまでの恩義を感じて、元のコーチに対して、本当の理由は話さない。それなのに、何もわからない第三者が、なぜ勝手に事の審判を出来るのか。選手に対して、何の権利があるのか。成績を出させてもらったから、何があってもそこにいなくてはならないのか? 

羽生君は、クリケットに行ってはいけなかったのか? 

どの選手にも、自分の可能性を試す機会は許されるべきだ。そして、彼らは、本当にまだ若いのだ。


  少し話が逸れるが、子どもたちの話をしたい。

 娘二人とも、中学校では吹奏楽部に所属した。私もそうだったから、嬉しかった。
 上の娘が入学した頃、その中学校は荒れていて、吹奏楽部もひどい有り様だった。これではいくら頑張って練習しても、コンクールで成績が出ないことは、一目でわかった。

 中学校の部活動は、総て指導者次第だ。その指導能力には、音楽的な事から生徒達を纏め上げる力まで、実に様々な事が含まれる。とても大変だ。 
だから、まあ、仕方ないよね、と思っていた。娘には、努力して結果を出す、という経験をして欲しいと思っていたけれど。 

コンクールで良くない結果に終わったとき、三年生が泣いたと聞いた。様々な思いがあったのだろうと思う。しかし、あの程度の練習で、結果が出せると思っていたのだろうか、と驚いたのも事実だ。冷たいようだが、上位の学校がどれほどの練習をしているか、知らないのだなと思った。 

 上の娘が二年になるとき、先生が替わった。今度の先生は、熱意に溢れ、厳しかった。練習量は桁違いに増えた。 

 今度は、保護者から、苦情が出て来た。練習の終わりが遅く、しかもずれ込むこともしばしばあった。帰りが心配だから、終わりの時間は守って欲しい、とか、勉強する時間が取れない、等々、後を断たない。 

私も保護者だから、その気持ちはよく理解出来た。しかし、指導者が熱意を持ってやってくれなければ、子ども達がいくら頑張ろうと思っていても、結果は出ない。先生の熱意に水を差して、子ども達にとっていいことは一つもない、と私は思った。私は、保護者会の会長として、先生のやり方に反対するのではなく、落とし所を探った。 

 指導者が替わってから、吹奏楽部はどんどん上手くなっていった。先生のやり方は結構スパルタで、私は思うことは色々あったけれども、子ども達の前でそれを言うことはなかったと思う。 

 下の娘が三年生に上がったとき、部長になった。 
部長に対する先生の要求は膨大で、私が見ていても大変そうだった。吹奏楽部は所謂団体競技のようなものだから、チームワークが大切なのだが、なにしろつい最近まで荒れてた学校である。色んな生徒がいて、後から後から問題が出て来る。その度に、部長が責任を持って解決するように、と言われるのだ。 

そして、それがうまくいかないと、先生と1対1で、フィードバックがくるのである。そして、先輩達は別の子を部長に推してたけれど、同級生に人気があってあなたは部長になった、と言われ、必ず前の部長と比べられたそうである。 

 そんな事が毎日のように続いて、とうとうある日、部活から帰宅した彼女が、私の前で泣いた。止まらなかった。 
小さい頃から、何事も頑張って頑張って、ガッツで乗り切ってきた彼女だった。
 「部長をやめさせてもらったら?」と言うと、それは出来ない、そうするくらいなら、部活を辞める、という。 
「なら、部活辞めたら?お母さんは、やめてもいいと思う」そう私が言うと、娘は、考えてみる、と言った。

 結局、彼女は最後までやり遂げ、部は今までで最高の成績を収めた。 

 大学生になった彼女から、「あの時はびっくりした。」と聞いたのは、つい最近のことだ。私が部活辞めたら、と言うとは、思ってもみなかったんだそうである。「あれで、凄く楽になった」と。 
どうやら、あの後、彼女は先生に対して、ぶち切れたらしい。言いたいこと全部言ったそうである。

  厳しい指導がなくては、自分の限界を突破するのは難しい。苦しいまでの努力をして、自分の限界を突破する経験は、人生において宝物だと思う。 

しかし、厳しい指導とパワハラは、紙一重の事も多い。パワハラは心の傷になり、一生残る。子ども達に、そんな経験はして欲しくない。大人でもそうだが、こと子ども達に関する限り、周りの大人には責任があると思う。


  生きている世界が違うとは言え、コストルナヤ達も、まだ中学、高校生の年代だ。
 エテリの所でそういうパワハラがあったかどうかはわからないが、絶対なかったとも言い切れない。 
そしてまた、まだ若い彼女達が、さらなるステップアップをしたいと望んでそれを拒否される様なことがあったなら、それもある意味パワハラだろう。そこを出て行くのは当然だと私は思う。 

本当に何があったのかは、選手本人が話さなければわからない。 

その彼女達に、手に入れている結果だけを見て、恩知らず、などと言うことは、少なくとも第三者である大人が言っていいことでは、絶対ない。