みなさん、こんばんは

このブログをご覧頂き、有難うございます。

私、毎週のように東京に来ているのでなのか、東京で美味しいものを食べられるお店を探すよりも、とりあえずお腹が満たされたら良いかなと思って、手軽なチェーン店につい入ってしまう、元銀行員の中小企業診断士で産業カウンセラーでメンタルレスキューカウンセラーの「しゅんさん」こと、本多です。

私は銀行員時代には高卒だということにコンプレックスを感じていて、仕事ではろくな事が出来ないのに出世して行く大卒の後輩に妬みとどうしようもできない悔しさを感じていました。

あの当時の私は少しでも偉くなりたいと思っていました。20代にバセドウ氏病になり休職した事と、もし私が上司でも低い評価をしたと思うくらいの跳ねっ返りの私が上司に恵まれていただけなのに自分は出来る奴だと勘違いしていたのを気づいていませんでした。

偉くなりたいと思う一方で、自分の好きな仕事は目一杯頑張るのにあまり好きではない仕事には全力を尽くしていなかったので、結果は当然のものでした。

その後、自分に足りないのは業務知識だと思って、人一倍勉強して宅地建物取引主任者や日商簿記2級、中小企業診断士の資格を取り、高卒同期のトップクラスには及ばないけど第二グループには入って、このまま頑張れば同期トップクラスにも追いつけると思い、さらに上を向いていたのです。

実はその当時の私は、それ以上偉くならなくてもいいくらいの収入を得ていたし、やり甲斐がある仕事をさせて貰ってのに、さらに上を目指していたのは足るを知らずにさらに上を目指して、何故私の実力を評価して貰えないのかと思っていました。

そんな時に転勤になり、長年融資業務を続けていた私に投資信託や年金保険などの個人向けの資産運用商品販売を行う業務の管理者になりました。

全く畑違いの業務で一から勉強する事になりました。それでも以前持っていたAFPの資格が活きて比較的早く実績を上げる事が出来、近隣の支店から私の管理方法を学びに来るくらいになりました。

そうなると更に上を目指したくなり、支店長の言葉は絶対命題になって行き、それを達成することが私に課せられた業務のように思い、その結果うつ病になり、出世コースの階段から転げ落ちて行きました。

あの時、私の部下だった人達は気づいてくれていました。私は上を向いていたけど、反面でそれを達成するために部下には無理を求めなかった事を知っていたからです。

それが分かったのは、私が部下行員の中で特に私になついてくれていた2人と明日から精神科に入院するために休職する前日にファミレスで食事した時に私のために泣いてくれたからです。

森田童子さんの曲に「男のくせに泣いてくれた」と言うのがあります。この部下二人は女の人でしたが簡単な事で泣くような人ではなかったし、その二人が泣いてくれて、「帰ってくるのを待ってますからね!」と言ってくれた事は今でも忘れられない思い出です。

あの時、足るを知っていて、もしも支店長に反発してでも部下を守るべき戦いを続けていたならとも思いますが、私が休職を終えて復職した時にその二人だけでなく、多くの部下行員が喜んでくれた事はとても嬉しかったです。

そんな辛かった経験も今の私を作ってくれたと思っていますし、そんな状態まで追い込まれないように支援していく事が今の私には出来ると思っています。

私は足るを知らなかったばかりに脇道に逸れてしまいましたが、それも今の私に必要な経験だったと思っています。

もし今、このような苦しい思いを抱えている方や他の悩みでも構わないので、「苦しいなぁ」と思う方がいたら気軽にご相談下さい。私の事務所は平日の夕方はカウンセリングルームになりますので、予約をして貰えば大丈夫です。

今でもカウンセリングは予約を受け付けていますが、今年の4月からは本格的にカウンセリングも行うのでよろしくお願いします。

最後までご覧頂き、有難うございました。