2013/08/17 ② | only child のブログ

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勉強会の後、気づかせてもらったこと。



僕は感情を出し始めたけれど、これで感情をだせてるのかどうかは自分自身で判断がつかない。

いつもこれでええんかなぁって疑うというか。

勘違いしてとんでもない方向に行くことも有り得るから。

それだけ真剣に課題に取り組めてるのかもしれないけど。




僕は最近職場のある人に対してイラッとしている。

「ちゃんと仕事せえや」って思ってる。

前からずっと思っていたけど、それを隠していた。

誰にも言えなかった。

「まぁまぁそんなこと言わんと…」って思う自分もいる。

「何一人だけゆっくり仕事しとんねん」って思う自分もいる。

「お前もやれよ。なんで俺ばっかりやらなあかんねん」

「たいして仕事せえへんのに、給料は俺より多いのは考えられへん」

って感じで思っていたことはいっぱいある。

誰かに言いたいのもあるけど、自分の中で「ちっちゃいなぁ」って思う自分がいて、そんなん思ったらあかんのかなって。

だけど、発した言葉や行動を相手にどう思われるかのみにとらわれてたから気づかなかったけど、本当は自分の意見を出して嫌われたくなかっただけなのかもしれない。

相手を傷つけることと結び付けていたんだと思う。



だから、「文句」「悪口」「陰口」=「ダメ」って思ってました。

宗教時代にもその辺は厳しかったから、口だけでなく、感情さえも抑えるようになったんだと思う。

人のことを悪く言わなくて抑えていたとしても、感じて思ってる時点で同じやん。
それをいけないことと無いものにしてたから、自分を失って、直感とか感情を失っていた。
自分の感情をそのままもつこと、そこに善悪をつけないことが大切なんだと気づかされた。


悪口は相手を傷つけることもあるし、「ええこと」とはいえない。

それを聞いて気分が悪い人もいるかもしれないし。

まさに、良いとも悪いとも判断できないこと。


だけど、自分が思ってしまった感情をイケないことにしてしまうのは、また感情の出せない自分へ戻ってしまうようで嫌。





そこで大事なのは「感情」と「行動」は切り離すということ。

相手と自分をしっかりわけるということ。


様々な自分の感情はありのまま、自分の中で受け入れること。

だけど、それを行動に起こさない。


そこをちゃんと線引きしないとエライことになる。


自分が思うことは自分だけのもの。

人が思うことはそれぞれの人のもの。

その領域は他人には侵せないし、変えることもできない。それをするのは傲慢だし。


自分には自分しか変えられないし、それによって人に影響を与えることはあるかもしれないけれど、思い通りになるわけじゃない。


エゴもきっとそう。それは自分の感情。どうしてもって思うこと。支配してしまいたいって思うことも素直な自分の気持ち。それはそれで大切。


だけど、それを他人に期待することとは違うんだと思う。

だって、相手にも僕と同じように「自分」があるから。


そうやって「自分」と「他人」を分けることが僕の中には、今までなかった気がする。


「自分」と「他人」をイコールと思っていたところがあると思う。

だから、過度の期待をしてしまったり、エゴの塊をそのままぶつけてしまったり。

それが「悪いこと」と認識してしまって、全く思いを出さなくなってしまったり。

期待に添わなければ、裏切りと認識してしまったり。


他人への感情を出さない代償として、自分自身を失ってしまっていた。





「感情」と「行動」は切り離すということを、ちゃんと理解が最近できてきた。


誰かを嫌いとか、誰かを好きとか。何かが嫌とか。
そういう思いを持ってもいいんだってやっと堂々とできる。

ホントに楽になった。


今気になる人のことも、好きになったらあかんって止めてしまう自分がいたけど、自分の感情だけは大切にしてもいいんだって。

「行動」に移したくなるんだけど、そこはまた別問題だから弁えて。




感情をちゃんと自分の中で消化というか、それが自分なんやと理解はしてもいいんやな。

それをしていれば、自分の本当の気持ち出てくるよな。


感情を出すことで、思考だらけだった頭の中がスッキリするのは僕にとって大きな進歩。


それだけじゃなく、思考の原因である僕の幼い部分自体を成長させることも大切だから合わせて成長したい。


そうしていくことで、プラスイメージの信念や、プラス思考だらけっていう自分を作り出せるのかもしれないな。