離れて暮らす母

 

母のことが心配です。

小学校に上がる直前に両親が離婚し、私は父方の祖父母の家に居候する形となったため、私が両親とともに暮らしていたのは7年足らずでした。

 

けれど、私にとってはその7年が自分の家で過ごし、自分の家族といられた時間のすべてです。

 

幼かった私は、離婚について説明されてもよくわかりませんでした。てっきり仕事の関係で少しの間だけ別々に暮らすだけだと思っていたのです。両親も、苦渋の決断であったため、詳しく教えるのがつらかったのだと思います。

 


小学校に入ってしばらくしてから、何が起こったかやっと理解して、元の家の近くにある小学校に入ることもなく、保育園の友達とも簡単には会えないとわかり、父の帰りが遅いときは思い出をふり返ってしょっちゅうベッドで泣いていました。
今でもその頃のことをよく思い出します。



実は、父と母から別々に暮らすことになるけれどどちらと一緒に暮らすのがいいか訊かれたとき、私はすぐさま父がいいと答えました。

 

母のことも好きでしたが、子ども心にも母は不安定で、急にハイテンションになって私を抱きしめ、私が嫌がってもほっぺにチューすることがありました。こういうとき、私は早く父が帰って来たらいいのにと思っていました。ちなみに、子どもが親からキスをたくさんされるのが嫌なのは、海外でも同じようです。

 

 確か、チェコの作家ヨゼフ・チャペックかカレル・チャペックの本にも、親の執拗なキスを嫌がる子どもの描写がありました。

 

 

躁鬱と高血圧

 

母は躁鬱の気質があるようで、今でもハイになったり落ち込んで鬱っぽくなったりをくり返しています。この気質は、出産を期に強まったようです。躁でハイになると、落ち着きなく多動気味になるいっぽう、鬱気が訪れると一転してどんよりとし、躁で動いたときの疲れが時差で来たようにげっそりとすることがあります。

 

そういったことや、高血圧だという話を聞くと、時節柄もあり心配になります。

母は妊娠中も高血圧になりましたし、母方の祖母は自己判断で血圧の薬をやめ、50代で急逝しました。

 

その頃の祖母の写真を見ると、今の母にそっくり。むしろ今の母のほうがやつれているのです。(写真左が母、右で私を抱えているのが祖母)

 

 

 

 

 


去年の秋に母が自転車に乗って転倒し手首を骨折したこともあり、メールやメッセンジャーで連絡を取る以外に、たまには母が自宅でやっているカフェに行って様子を見たいと思います。

 

ただ、外出自粛ということもあって、電車やバスを乗り継いで母の家に行くことに躊躇いもあります。カフェの手伝いという名目であれば嘘ではないと思い、ちょこちょこ手伝いたいですが、躁状態の母と会話することによるストレスや、コロナ疲れは私にとっても負担です。

 

 

 

 

 

 

  • 病院や薬局などの医療施設
  • スーパーやコンビニ、卸売市場などの食料品販売施設
  • ホテルや旅館、共同住宅など住宅・宿泊施設
  • 電車やバス、タクシー、レンタカー、船舶、航空機などの交通機関や、宅配などの物流サービス
  • 工場
  • 金融機関や官公署
  • 公衆浴場など

 

また、食事を提供する施設については生活インフラとして必要とした上で、飲食店や料理店は感染防止対策をとるほか、夜間や休日の営業時間の短縮を要請しています。

NHKのサイトは、上記の施設での維持および営業時間短縮の要請について書かれており、この範囲内での仕事、出勤は認められています。

 

自分が鬱になって寝込んだり倒れてしまっては元も子もないので、母に関しては父や夫に相談しながら、なるべくひとりで抱え込まないようにやっていきたいです。

 

夫は管理栄養士ですので、母の食事指導にもつきあってもらおうかと思います。

母の食事を見ていると、食塩の入ったパンバター、チーズ、オリーブマリネといった、塩分の高いものが多く目につきました。好きなものを食べる幸せもあるけれど、高血圧にも関わらず塩分・脂質の多い食事をするのは危険です。

 

 

母に関しては、減塩をメインとした食事栄養指導の必要がありますが、私はしっかり食べて、これからも夫や母、父を支えていきたいです。

 

母はロシア語の通訳・翻訳をしていたこともあり、ロシアキルギス共和国に旅行したいと言っていたので、コロナが落ち着いたら母が元気なうちに万全の状態で旅をしたいと思います。

 

 

 


こちらが母が翻訳した『お日さまとトナカイ―シベリア・極東のむかしばなし集』。

 


 

生きる希望

 

Caelum videre iussit, et erectos ad sidera tollere vultus.

空を見上げ、星を見よ。


ローマの詩人オウィディウスの詩。ポーランド史を研究していた祖父がメモ帳に書き綴っていた言葉です。

 

いつも変わりなく空と星、太陽と月は存在し、その下に私たちは自由です。

 

 

 

 

 

 

どんなときも希望を胸に、地に足を着けて自分で考え自分の生活を守り、ときに空を見上げる気持ちを忘れずにいたいと思います。先人の覚え書きにならって。