浜田えみなさんのブログから 【基礎を学ぶ】 | 静岡,三島書道家房仙ブログ,

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書道家福田房仙の日常
一般社団法人全国いのちの食育書道展協会理事長としての活動


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お手本は、生き方の手本。

少し先の、成長する自分。

だから、しっかり、見る。
 

***


 

大阪教室を始めて訪れた日に、私が先生から言われたことは、

 

「カルチャー倶楽部の書道教室とはちがいます。体験教室もないし、気軽に出たり入ったりはできません。五年で師範が取れる指導をします。やるからには師範を目指してください。その覚悟がありますか?」

 

だった。

お稽古が始まる前の、まだ誰も来ていない教室で問われ、

 

「できないなら、今すぐ帰ったほうがいい」

 

と言われた。

 

詳細は、ブログ記事「4月大阪教室 ~輝く~」(2018年4月30日)に書いたので、繰り返しになるが、そのときに感じたことは、

 

「本気」「継続」「リターン」「継承」だった。

 

本気でやること。

やめずに続けること。

(受けとるだけでなく)返せるものを持つこと。

(受けとったものを)伝え広める役割を担うこと。

 

同時に思ったことは、

 

(師範? この年から? 書道教室を開く? 無理!)

 

「師範になる」イコール「書道塾を開いて教える」ことだと思っていたので、それは無理だと思った。

 

正直に書くと、そのために必要と思われる熱意や膨大な時間を、これまでの自分の人生とは無縁だった「書道の師範」という分野に、かけたいのかどうかがわからなかった。

(ほかにやるべきことがあるだろう?)という声が聞こえた。

それでなくても、共働き家庭で、仕事・家庭・子育て・趣味の割合が、どれも不完全燃焼だったからだ。

 

(本気の指導に、返せる本気を私は持っているか?)

〈本気は、ある〉

(何を返せる?)

〈書道では返せない……〉

(書道以外では?)

〈返したい〉

 

そんなことを、質問を投げかけられた短い間に思った。

自分で「決断」させていただいているのだと、はっきり思った。

残るか。帰るか。

決断したのは、直感だ。

 

〈帰りたくない〉

 

そのことだけが、確かだった。

 

***

 

そんな思いで通い始めた書道だが……

房仙先生の書道の御指導を受け、水を得た魚のように、才能が花開いていく人がいる中で、私は、反応の悪い生徒だという自覚がある。

 

毎月、あんなに御指導いただいているのに、覚えが悪く、級があがらないことが情けなく、申し訳なく、書いても楽しくなく、鬱屈としている。

 

才能があるかどうか、センスがあるかどうか、勘がいいかどうかなどは、先生には、すぐにわかると思う。

だから、8月のお稽古のときに、房仙先生が


「生徒が入会した段階で〈こんなふうになって輝く〉という設定をして、そのように指導するから、十人十色」


とおっしゃるのを聞いたとき、

 

〈私の設定は書道では、なかった〉

 

と早合点をして、ブログにもそう書いてしまった。

 

房仙先生から、すぐに「少しだけ違っている気がします」というメッセージが届いた。
書かれていたのは、時間の経過とともにタイムラインの彼方へ流れ去る、フェイスブックのコメント欄だ。

読んでびっくりした。

ありえない貴重な内容、ありえない長文。

 

(どうして、こんな場所に、このような大切なことを書かれたのだろう?)

 

タイミングを逃したら、たどれなくなってしまうコメントを見つけ、糧にしていくことが生徒の能力だと、先生はお考えになっているのかもしれない。

でなければ、いつでも何度でも読み返せる、ご自身のブログに書かれるだろうから。

 

でも、そのままにはしておけないので、多くの内容の中から、訂正の部分を引用する。

(全文は、浜田の2018年9月15日のフェイスブックの投稿のコメントにあります)

 

***

 

「私は、房仙会に入会した人は、教えるにせよ、教えないにせよ、ゴールは全ての人が
書道でプロ級になることを望んでいます。
どこに出しても通用する書を書けるようにすることです。
書くスキル、教えるスキルを修得後、指導する、しないはその人次第です。(太字希望)」

 

「全員が指導できるレベルに達するように指導しています。
なので、えみなさんにも書道のスキルレベルが早くえみなさんの求めているところへ到達出来るように毎回指導させていただいています。
本を書くために書が書けないことは本末転倒です。(誰に対しても同じです)
そうでないと、毎回のお稽古はあそこまで白熱できません」

 

***

 

どんな未来が設定されたとしても、第一は、〈書道〉。

 

〈本を書くために書が書けないことは本末転倒です。(誰に対しても同じです)〉

 

先生がくださった、この言葉は、宝物だ。

 

何よりもまず、書道のお稽古が優先されるものであること。

 

それは、書道の基礎が、生き方の基礎となるからだと思う。

そして、生き方の基礎は、どの書道塾でも、教えてもらえるわけではない。

 

コメント欄にあった先生の言葉が、そのことを伝えてくれる。

 

「師範取得して、書道塾を開いていて、生徒も沢山いる先生が、私の家の周りにも結構いましたから。
きっと、申し訳ないけど、資格だけ取って教えるスキルも心も育ってないと見ました」

 

教えるスキルと心が育つ書道塾が、房仙会。

 

入会して一年、書道教室の現場において、「覚悟」と「志」を意識して生きることに気づかせていただいたと感じている。現在も進行形だ。

 

たとえば、お稽古の途中で、突然、「発表タイム」が始まる。

前もってということはない。リハーサルもない、台本もない、いきなり本番だ。

とつぜん、房仙先生から指名され、意志表明を求められる。

 

動揺し、ゆさぶられ、ぐちゃぐちゃに混乱する中で飛び出してくるのは、理性の殻をやぶって出てくる本音。自分でも気づかずにいた想い。

言葉にしないでいた思いが、言葉になって生まれる瞬間のリアリティ。

言葉にすると、まず自分に響く。

 

仲間たちの前で宣言したことは、裏切れない。

 

誰かを裏切ることはしない人でも、自分との約束は簡単に破ったり、あきらめたりする。

自分を裏切りそうな人ほど、発表タイムの洗礼にあうのではないかと思う。

 

房仙会で驚いたことの一つが、「涙」だ。

きれいな、涙。

大人の、涙。

 

それほどの、感情が動く場に、自分がいることの奇跡。

奇跡の書道塾が、房仙会。

 

書道の基礎は、生き方の基礎だとわかった。

 

「そんなこんなで基礎をガンガンえみなさんやみんなに教えているところです。
そして、その中の書道を教えたい人は教え、
そうでない人は、そのやりたいところでトップを狙える人に成長して欲しくて

毎回、毎回ヒートアップしているのです」

 

お手本は、生き方の手本。少し先の、成長する自分。

だから、しっかり、見る。
 

浜田えみな

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