浜田えみなさんのブログから 【8月大阪教室~目覚めよ!~】 | 静岡,三島書道家房仙ブログ,

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書道家福田房仙の日常
一般社団法人全国いのちの食育書道展協会理事長としての活動


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生徒が入会した段階で〈こんなふうになって輝く〉という設定をして、そのように指導するから、十人十色なのだと、房仙先生がおっしゃった。

ものすごいことを、さらりと話されたので、驚いた。

 

先生が設定してくれた輝きに、そろそろ目覚めよ!

自分の輝きが何であるかに、目覚めよ!

気づいていることに、目覚めよ!

為すべきことに、目覚めよ!
 

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挨拶のできない生徒たち

◆めんどうくさい生徒たち

◆子どもではなく生徒です

◆こんなふうになって輝く

 

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◆挨拶のできない生徒たち

 

三島生涯学習センターで開催された房仙会書道展後のお稽古は、大阪教室では、6週間ぶりとなった。

通常は、毎月第二土曜日の午後と、第二日曜日の午前午後に行われていて、土曜日は、開始時間の一時間前に、教室の清掃をするところから始まる。

 

房仙先生が到着する気配を感じると、玄関へ駆けつけて、出迎えをする。

キャリーを引きながら、顏をのぞかせる房仙先生の姿に、あふれだす笑顔、笑顔、笑顔。思い思いに、先生の名を呼び、荷物を受け取り、ハグ、ハグ、ハグ。

社中展の感動や、逢いたかった想いが、ふくれあがって舞い上がる。

先生は、それを、あたたかくうけとめてくださり、笑顔と、ハグで、応えてくださる。

 

ところが。

 

きちんと居ずまいを正して改まり、先生に対してご指導に対するお礼を述べることができた生徒は、ただ一人だけだったと、日曜日の朝、房仙先生から静かに告げられた。

 

ご指導に対するお礼は、生徒それぞれ、折に触れ、何度でもしていると思う。

作品が完成したとき。作品の表装を決めたとき。書道展の会場で先生にお会いしたとき。書道展を終えて帰宅したとき。メールや、手紙や、電話や、対面で。

 

でも、違うのだ。

どんなにメールや手紙で伝えていたとしても、社中展の会場で伝えていたとしても、意味が、ぜんぜん違う。

 

生徒は、社中展の前と後では、生まれ変わったに等しいくらいの成長を、ご指導によって、させていただいている。

ふだんのお稽古では、到達できないレベルまで、いくつもの段階を飛び越えさせていただき、さらに次の成長へ向けて、新たなご指導が始まる時。それが八月のお稽古だ。

 

なぜ、その節目の自覚を持てないのか。

なぜ、師匠に対する敬意と感謝を表せないのか。

なぜ、教室において表明することの意義が自覚できないのか。

 

こんなふうにぬるぬるしているから、ぬるぬるとした字しか書けないのだと、恥ずかしく思う。

 

◆めんどうくさい生徒たち

 

社中展のあと、やめる生徒が増えるのだそうだ。

 

三島、東京、大阪、米子、米沢と、東北から山陰まで教室が広がっていると、日帰りが難しい地域もあるし、生徒たちの環境もさまざまだ。

お盆に開催されていることもあり、全員が搬入に関わり、受付や裏方の役割を分担し、作品や揮毫パフォーマンスを観賞し、撤収、搬出、発送等に関わることは、実際は難しく、社中展会場に足を運ぶことすらできない生徒もいる。

 

一年目は、よくわかっていないのだが、二年目になると、いろいろ見えてくる。三年目、四年目になると、もっとわかってくるのだろう。

すると、動けない自分を自分が責めて、勝手に苦しくなってしまう。

 

それは、絶対にやめてほしいと、房仙先生は、いつもおっしゃっている。
 

今回の書道展でも、三島以外の地域から駆けつけ、三日間滞在して手伝った人がいると、二日間しかいられなかった生徒が、落ち込むというのだ。

その生徒は、去年は社中展に来ることができなかった生徒だという。

今年は、宿を取り、二日間滞在した。それなのに、あと一日滞在できなかったことを悔いている。

 

「二日いた生徒が落ち込んだら、一日も来れない人はどうしたらいいのか。来ただけで満足しないと自分が悲しい。どれだけ滞在したかは問題ではない。行けないことも問題ではない。みんな、くよくよ悩んで、めんどうくさい。めんどうな人にならないほうがいい」

 

「観たい、観たかったと言っているだけではダメ。観たいように動くのが礼儀。動けないなら、振り返らない。観れないことで落ち込む人は、もったいない」

 

◆子どもではなく生徒です


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生徒は、みんな私の子どもだと、房仙先生は、おっしゃっている。

できの悪い子ほどかわいいから、何度裏切られても、ゆるしてしまうのだと。

 

子どもに感謝をしてほしいと、思う母親はいない。

感謝してほしいと思って、手をさしのべるわけでも、見守るわけでも、苦言するわけでも……つまり、愛しているわけでは、ないのだから。

それが、無償の愛、母の愛というものだと思う。房仙先生が、かけてくださっているお心だ。

 

でも、房仙先生は、生徒の母親ではない。


母親のように、いや、もしかすると母親以上に、書道を通して寄り添ってくださり、心の奥の、生徒自身にさえ見えていない部分を見透し、輝く未来に導こうとしてくださる。

 

だが、いつまでも甘えてはいられない。

母親ではないことに、生徒は目覚めなければならないと思う。

自分たちは子どもではなく、生徒。ただの生徒だということに。

 

母親は、全世界を敵にまわすようなことを子どもがしても、深い部分で、その子の側に立てるものだと思う。

普通ならありえないことだが、房仙先生は、そこまでのことを、生徒に対して、想ってくださっているように感じる。

 

でも、それは、ほんとうのお子様たちのためだけでよいのだ。

 

親であるならあまりに淋しすぎる子どもばかりで、生んだことを後悔ばかりしています。
実の子がいるので、子どもと言うには無理があるのかも知れないと思ってきました。
師、弟子の関係を私が躾出来てないのが原因です。

全ては私の責任です。


フェイスブックのコメント欄に見つけた先生の言葉だ。

このようなことを、先生に書かせてしまって、いったいどう償えばいいのだろう。

先生の実のお子様に、どのようにおわびすればいいのだろう。

 

子どものように接してくださったことに甘えすぎていた。

師、弟子の在り方というものを、あらためて、先生に躾けていただきたいと思う。

 

◆こんなふうになって輝く

 

生徒が入会した段階で〈こんなふうになって輝く〉という設定をして、そのように指導するから、十人十色なのだと、房仙先生がおっしゃった。

ものすごいことを、さらりと話されたので、驚いた。

 

先生が設定してくれた輝きに、そろそろ目覚めよ!

自分の輝きが何であるかに、目覚めよ!

気づいていることに、目覚めよ!

為すべきことに、目覚めよ!
 

浜田えみな

 

 

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