島村不二夫さん、みどりさんとの出逢いは東京のある会合での出逢いでした。
猛烈に覚えています。
「あっ! 話さなきゃ!島村さんの先祖様が私から離れない!」
「どうか離れてください」と私は懇願しました。
でも離れない先祖様との出逢いから私たちの出逢いは始まりました。
それは強いメッセージでした。
人さまのことを一生懸命やっているが、私たち先祖はあなたを一生懸命守っているのです!
一言でいうとそんなメッセージを伝えるところから島村ご夫妻との出逢いができました。
初めて会ったその人に突然いうことなんてできません。
どうしよう?知らない人だし・・・・・。
と会合場所から移動して最寄り駅に着いたら、隣に不二夫さんご夫婦がたっているのです。
でも何も言わず乗り込みました。
そしたら、不二夫さんが私の隣に偶然と座ったのです。
堪忍しました。
何から話しだしたか?はさっぱり覚えていませんが、彼が下車するところで降りず、私たち夫婦に着いてきていたのです。
少しだけ話しました。
すると、不二夫さん、
「どうしても話をゆっくりお聞きしたいので時間を作ってください!」
ということになった訳です。
そこからじっくりまではいきませんが、先祖様が喜んでくれて私は幸せを感じていました。
みどりちゃんは、コーヒーとか注文したり運んだりしてくれていました。
可愛い奥様だな!というのが第一印象でした。
実は東京駅で話をしているときも、「島村不二夫さん」という方がどういう方か
全く知りませんでした。
何ともはや!私は不二夫さんにお説教ばかりしていました(苦笑)
命とは何ぞや!
私の持論をぶっつけていました。
そうして縁がつながりました。
彼の実際の肩書きを知るにつけ、びっくりしましたが、これもかなり時間が必要でした。
書を三島へ習いに来られ、三島へ来た最後は7月29日(日)社中展に於いてでした。
「これで充分!これで作品できました!」
と言っても
「いやいや、もう少し納得したい!」
と何度も何度も三島へ通ってきていました。
書道だけでなく息子の心音道の漢方の相談にも通ったのです。
ただし、3か月ぐらいでしょうか?
息子とは会っていませんが、娘につぶやいたそうです。
「確実にお役に立てたと自負している!」と。
不二夫さんがこの世からいなくなってしまいましたが、確実にみどりさんの
側にいつもいるので、これからはみどりさんと話すことでいつもいつも不二夫さんのことは忘れないようにいたします。
本当に出逢ってくれてありがとうございます。
偉大な生徒でした。
感謝。
∞の∞のありがとうございます。 島村 不二夫
ありがとうございました。不二夫さん、大切に大切にしていきます。
小豆島の思い出とともに。


