はじめに
悲しい事故から39年。
私が慰霊登山したのはようやく仮登山道が出来た頃で、もう記憶が薄れていますが一部鎖につかまりながら登るような場所もあり、山の険しさは予想以上だったように思います。
事故当時捜索や調査をした人たちはさぞかし大変だったと思います。
40年近く航空機整備に携わってきた私にとっては一生忘れることの出来ない事故であり、風化させたくはありませんので過去の記事を再掲載します。
1985年8月12日、午後6時12分に羽田空港を飛び立ったJA8119、日航123便大阪行きジャンボ機は12分後に相模湾上空で操縦不能となり、迷走飛行の末、午後6時56分30秒群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(標高1,565メートル、通称御巣鷹の尾根)に墜落、乗客乗員520人が亡くなられました。
亡くなられた方の命を取り戻すことは出来ませんが、新たな犠牲を防ぐためには事故原因を究明し、再発防止のための措置をとる事が最も重要な事。私も航空機に携わってきた者の一人として、出来る限り正確な情報を残したいと思います。
なお今回、主に次の資料を参考とさせていただきました。
- “日本航空123便の御巣鷹山墜落事故に係る航空事故調査報告書についての解説”
- “失敗知識データベース-失敗百選 御巣鷹山の日航ジャンボ機の墜落”
- “Lessons Learned From Civil Aviation Accidents Accident Overview ”(英語ですが分かりやすく纏められているので、翻訳ソフトを使えば理解しやすいと思います)
- “生存者の証言 -落合由美さんの証言-”
- “Fire on the Mountain: The crash of Japan Airlines flight 123”
- 事故の原因を作ったのは1978年6月2日、大阪伊丹空港で起きた日航115便の尻もち事故です。
- ※尻もち事故の原因となったスポイラーの誤操作に対しては、低高度ではスポイラーレバーを「ARM位置」を超えて引けないように改修されました。
- この事故でJA8119号機は機体後部の圧力隔壁を損傷しましたが、この修理は航空会社に認可されている修理の範囲を超えるため、ボーイング社の修理チームが来日して修理を行いました。
- しかしこの時、ボーイング社から送られた部品の不具合から、誤魔化しの修理が行われました。
- このため上部隔壁と下部隔壁の接続部のリベット列の一列に過大な応力がかかり、飛行による応力の繰り返しから金属疲労を起こし破断しました。
- この破断箇所から客室内の与圧された空気が、その後部の非与圧域である水平尾翼取り付け部であるStabilizer Comprtmentに吹き込み、➀そのさらに後方にある補助動力装置のコンパートメントを吹き飛ばすとともに、➁垂直尾翼下部のアクセスホール(点検孔)から垂直尾翼内に吹き込み、垂直尾翼後部を方向舵ごと吹き飛ばしました。
- ジャンボ機には独立した4つの油圧系統がありますが、方向舵には故障に対する冗長性を持たせるためにアッパーラダーに2系統、ロワーラダーに2系統、計4系統の油圧系統全てが使われています。このため全ての油圧系統の作動油が失われ、JA8119は操縦不能となりました。
事故調査後再発防止のため改修され、上記6項②のアクセスホールにはカバープレートが取り付けられ、7項の油圧系統には過大な流量になると遮断するハイドロフューズが設けられました。
最初にちょっと航空機の一般常識を書いておきますが、ジャンボ機などは高度1万メートル以上で巡行しますが、この時の機内の気圧は0.8気圧くらい、客室高度は2000メートル(約6700フィート)くらいに与圧されています。
日航123便の圧力隔壁が壊れたと推測されるのは18時24分35秒、その時の高度は23900フィート(7285m)です。その時の客室高度は与圧されているためはっきりとは分かりませんが、5000フィートくらいか、大目に見ても6000フィートまでは達していないと思います。
従って客室高度10000フィートで作動するCbin Pressure Waningや14000フィートで作動する酸素マスクやPre Recorded Anouncementが作動したという事は、機内が急減圧した事を証明しています。
それを理解できない陰謀論者が多く、「急減圧なんかしていない」と言い張りますが、その前提では当然合理的な説明は付かず、自衛隊の標的機がぶつかったのミサイルが当たったのなんのという話になります。
■離陸12分後からの経緯
1985年8月12日 18時12分に羽田空港を離陸した日航123便JA8119は、12分30秒後の18時24分35秒、高度23900フィート、時速300ノットで上昇中にドーンいう大きな音がしました。
この時に圧力隔壁が損傷し、垂直尾翼後部とAPU(補助動力装置)コンパートメントが破壊され、飛ばされたものと推測されます。
出典:Fire on the Mountain: The crash of Japan Airlines flight 123
この時のことを生存された落合由美さんは次のように証言されています。
午後6時25分ごろ「バーン」という音が上のほうでした。そして耳が痛くなった。ドアが飛んだかどうかわからない。
床下やその他で、爆発音は聞こえなかった。同時にキャビン(客室)内が真っ白になり、キャビンクルーシート(客室乗務員用座席)の下のベントホール(機内と貨物室の気圧を平均化するための通気口)が開いた。床は持ち上がらなかった。ラバトリー(トイレ)上部の天井もはずれた。同時に酸素マスクがドロップ。プリレコーデッド・アナウンス(あらかじめ録音された緊急放送)が流れ出した。出典:“生存者の証言 -落合由美さんの証言-”
客室内が白くなったのは急減圧のためであり、シート下のベントパネル(デコンプパネルとも言います)が開いたのと、ラバトリー上部の天井が外れたのは、客室の床と天上とサイドウォールで囲まれた部分(客室内)とその外側(貨物室を含む)の気圧差によるものです。
酸素マスクとプリレコーデッド・アナウンスは客室高度14000フィートで自動的に作動します。
余談ですが、客室床下には方向舵や昇降舵のPCU(Power Control Packega:油圧作動筒とコントロールバルブが一体になったもの)を操作するコントロールケーブルなどが走っており、床が貨物室との気圧差で落ちると航空機は制御不能となり、過去にはこのような墜落事故があります。
※JB機の場合は操縦室が2階にあるため、コントロールケーブルは天井を通っています。
コンコルド機の事故、トルコ航空機の事故、日航123便の事故、ニキ・ラウダ航空B767墜落事故はじめ、航空機には事故が起きて初めて気づく事故要因があり、新たな犠牲を防ぐために、事故原因を突き止め対策を講じる事が何よりも重要であり、米国の事故調査は原因究明を最優先します。
このため警察主導で事故の責任を追及する日本の事故調査と違って、アメリカはNTSBという事故調査の国家機関が調査を行い、事故原因を追及するために司法取引で関係者の刑事免責をしたうえで調査を行います。
閑話休題、18時24分35秒に話を戻します。
これが致命的なイベントで、18時24分36秒以降、ラダーペダル操作に対し応答が無く、4つある油圧系統の配管はすべて破損して作動油が流出し、やがて全ての動翼は不作動となり、操縦不能となりました。
次は運輸安全委員会がボイスレコーダーとフライトレコーダーの記録を基に作成した、離陸してからの15分間くらいの経過です。
- 18時24分35秒に「ドーン」という大きな音と共に、前向きに0.11Gの加速度を記録しており、後部圧力隔壁からすごい勢いで空気が噴き出したことを推測させます。コクピットのボイスレコーダーに"Something Exploaded"(何か爆発した)と記録されていますが、この時だと思います。
- この2秒後に客室内高度10000フィートで作動する「客室高度警報音」が約1秒間(3回)が鳴りましたが、客室内の与圧が急激に失われた事を示しています。
- (事故調査報告書の解説では「離陸警報音または客室高度警報音」と記されていますが、T/O Warning Systemの作動ロジック及び脚のチルトロックの構造上、離陸警報はありえません)
- 18時24分44秒に「PRA作動」とありますが、これは客室高度14000フィートで作動するPre Recored Announcementが作動したもので、同時に客席の酸素マスクも出ます。コクピットのボイスレコーダーにも「緊急降下中・・・・」と記録されていますが、それはこの時です。
- 次にコクピットボイスレーコーダーの記録ですが、次の動画の1分35秒に"Somthing Exploded"とありますが、これが離陸12分30秒後の18時24分35秒(高度23900フィート、時速300ノットで上昇中)の「ドーン」に対してだと思います。
- そして1分39秒にスコーク77を発していますが、これは 航空機に設置されている識別番号の発信装置(ATC Transponder)を通じて緊急事態発生の信号を出すことです。※無線通信機で緊急事態を伝える場合は「メーデー」を発します。
- 1分40秒に機長が"Check Gear"と言っていますが、これは調査報告書の解説の18時24分39秒の青字の部分です。(2分くらいにF/Eが"Gear Five OFF"と、脚の格納庫のドアが全て閉まっていることを告げます)
- この頃客室では「緊急降下中・・・・・」のオートアナウンスが流れ、酸素マスクが自動的に落下し、パーサーが酸素マスクを着用するようアナウンスしています。
出典:Fire on the Mountain: The crash of Japan Airlines flight 123
- 2分18秒あたりで羽田帰還をリクエストし、2分30秒くらいに「レーダーベクター大島」を要求していますが、これはレーダー誘導の方位です。
- 2分53秒くらいに"Don't Bank so much"(そんなに機体を傾けるな)という音声が入っていますが、動翼を作動させる油圧は全く無く、また方向舵も垂直尾翼の大半も失われて激しくダッチロールとフゴイゴ運動する中で、エンジンの出力制御だけで機体の制御を行い飛行を続けており、姿勢制御が困難なためでしょう。
- 8分過ぎくらいに管制官は位置的に近い名古屋を提案していますが、機長は拒否しています。市街地にある旧名古屋空港に向ったら地上の人も巻き込む大惨事が予想され、絶望的な状況の中でも的確な判断がされています。
- 12分39にF/Eが「R5ドアが壊れた」と言っていますが、これはドアそのものではなく、
客室の空気が圧力隔壁に抜けるために、R5ドア上方の天井のパネルが吹き飛ばされたためでしょう。訂正、R-5ドアのDoor Warning Lightが点灯したようです。
そして32分の苦闘の後、18時56分22秒、右翼端と 4番エンジンが稜線上の樹木に衝突、JA8119はさら進み続け別の尾根に衝突。主翼が崩壊しましたが、さらにそのまま進み続け、500 メートル以上の峡谷を横切り別の尾根の稜線に逆さまに激突し、数マイル離れた場所からでも確認できる巨大な爆発で破壊されました。
乗員乗客の皆様のご冥福をお祈り申し上げます。
合掌
後編では事故原因について技術的に解説いたします。