カンタ!ティモール紹介文です.


ままるブログ(natural cafe 望)

今の時代だからこそ観て欲しい映画

音楽 ドキュメンタリー映画「カンタ!ティモール」

http://www.canta-timor.com/

 東ティモール。正確な場所を描ける人が、周りに何人いるだろう。

日本の南、約5000キロ。観光で有名なバリ島から飛行機で東に1時間。

インドネシアやニューギニア島、オーストラリア北端に近い、東南アジア赤道直下の国「東ティモール民主共和国」。21世紀最初の独立国である。


 遡ること10年前、東ティモールは24年間に及ぶインドネシアの軍事侵攻を乗り越え、独立した。2002年5月20日、独立記念式典の日。友人とともに、日本から東ティモールを訪れた女性がいた。

広田奈津子、当時23歳。言語を専攻していた大学生で、のちに映画「カンタ!ティモール」の監督を務めることとなる。

独立の喜びで沸き立つ式典のお祭り騒ぎの中、会場の隅から、ギターにあわせた子ども達の歌声が聞こえた。素朴な旋律にのせられた、どこか懐かしい歌。彼女は、ギターを弾く青年に声をかける。不思議と胸に残るメロディー。歌詞の意味は?・・・彼の歌に導かれて、ひとつの旅が始まった。





 「大航海時代」の16世紀。東ティモールは、ポルトガルによって植民地として侵略される。

白檀やコーヒーなど、貴重な樹木資源に恵まれたこの島は、その後も侵略の標的とされ続ける。

第二次世界大戦では、1942年2月から3年半の間、日本軍が占領。東ティモールは戦後、植民地時代から続くポルトガルからの独立に向けて動き出すが、インドネシアがそれを妨害。当時スハルト独裁政権下のインドネシアは、75年に軍事侵攻を開始。人口の3分の1が命を落とすという凄まじい大虐殺が繰り広げられた。そんな中、99年、人々の粘り強い平和への訴えが、独立を問う念願の住民投票実施につながる。投票率は98.6%。そのうち、78.5%が独立を支持。ついに東ティモールは独立を勝ち取る。しかしその直後、最後の大規模破壊と大虐殺が東ティモールを襲う・・・。

事態は、オーストラリア軍を中心とする多国籍軍の介入により鎮圧される。インドネシア軍による支配はようやく事実上の終焉を迎える。そして2002年、大統領選挙の後、正式に東ティモール民主共和国が独立国として誕生する。



 東ティモールを初めて訪れたとき、監督達は、この島の歴史を殆ど知らなかった

はじけるような笑顔の子ども達、陽気な人々。青い海、輝く太陽、緑豊かな木々や山々。島を旅する中で出会ったのは、太陽に愛された美しい大地と優しい人々の暮らし。この島に、まさかこのような悲惨な侵略の歴史があるとは・・・。

深く心動かされた彼女達は、戦争に関する現地の証言を記録することにした。しかし、人々の胸に迫る物語は次から次へと彼女達のもとに。

記録が追いつかなくなった。彼女達は決心した。「映画を作ろう。」

 映画の基礎など何も知らない。十分な機材さえない。映画なんて作れるだろうか。


しかし、彼女の胸の奥には、静かに流れ続ける川のような確信があった。

「これは、私のするべき『いのちの仕事』。」



 映画は、戦争のからくりをはっきりと描く。

石油をはじめとする資源争奪戦争。

その後ろには、利権に目がくらんだ者たちのせめぎ合い。

それは、軍や武装集団への資金援助と武器輸出というかたちで現れる。

大企業や銀行とそれらと結託している経済大国の介入。アメリカ、オーストラリア、EU諸国、そして日本・・・

 国民の税金が、戦争に使われる世の中のしくみ。企業の商品や銀行の投資の裏側で、人々の命が奪われるという現実。

24年間にわたる東ティモールの戦争も、こうした戦争の普遍的なからくりの一例だった。


 監督達は、極力通訳を介さず人々と話した。現地の言葉は、旅の途中で子ども達から教わった。

最初に出会ったギターの青年からはじまり、その友人、そのまた友人とつながってゆくうちに、ついには初代大統領にまでつながった。

人々は、戦争のこと、社会のことを冷静な眼差しで見ていた。第二次世界大戦中に侵略者だった日本。

そしてその後、インドネシア軍を援助していた日本

人々は、日本出身である監督達に細やかに気をつかい、言葉を慎重に選ぶ。



「悲しみは消えない。でもそれは、怒りじゃない。」

「傷つけられても、決して傷つけてはいけない。」

「ティモール、インドネシア、日本、皆同じ。母一人、父も一人。大地の子ども。叩いちゃいけない。怒っちゃいけない。」



 24年間にも及ぶ戦争が、決して人々から奪えなかったものがある。それは、大地への感謝の心。そして、平和への信念。

 東ティモールには、自然と共生する暮らしが根強く残っている。村々に暮らす人々はもちろん、元ゲリラ兵も、初代大統領も、皆大地への感謝を忘れていない。毎年の米の収穫を大地に感謝する。戦争で生き延びたことを大地に感謝する。この心は、攻撃されたらやり返すという報復の考えを生まなかった。初代大統領は言う。「報復はだめだ。私たちの目的は平和をつくること。その信念だけは奪われてはならない。」



 東ティモールと自分達。戦争のからくりと自分達。監督達の胸に、故郷の姿が浮かぶ。

この島で初めて出会ったギターの青年。

彼は何と歌っていたっけ・・・

「ねえ大人たち、ねえ指導者たち。何が間違いかは、大地が知ってくれている」



 戦争は過ちだ。その戦争をつくりだす社会や経済、政治のしくみを正し、自然と本当の意味で調和して生きる。毎日の暮らしから、平和を紡ぎだす。果たして、今を生きる私たちに、それが本当に可能なのか?

映画「カンタ!ティモール」は、その問いの答えを、そっと教えてくれる。    

 今 東ティモールへ向かう大切な友 ベン&あっこちゃんより


 映画を観た時私には見えました東ティモールと日本を繋ぐ 虹の橋虹 

    この映画に少しでも関われたこと大変うれしく思います。



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