「沖縄病」の楽しみ方…? -23ページ目

「沖縄病」の楽しみ方…?

空港に降り立った途端に味わうまったりとした空気感が好き…
「また来たよ…」とついニヤリとしてしまう…
先日戻ったばかりなのにもう次の訪沖のことを考えている…
そんなあなたの症状を改善? 助長? いたしましょうかね~

実に25年ぶりに入院食を味わう羽目に…

「鼻茸」(はなたけ)なる鼻腔奥に出来たポリープの切除で~

 

pm7時、2Hの手術後から意識朦朧として気を失っていたのか眠っていたのか…

目覚めたら深夜…

「術後6Hはベッドで安静にして…」

「排尿はし尿ポットで…」なんて言われる…

朝から絶食絶水だったから大丈夫と楽観していたけれど、

点滴をされているから水分が供給中ヤバイ…

酸素吸入マスクで拘束中ヤバイ…

幸いにも、

深夜目覚めた時に丁度看護師さんがマスクを外してくれたのでしめしめ…

暫くして尿意がありトイレへ…

点滴タワーを転がしながら…

失血のせいか全身麻酔の影響か、足元がふらつき点滴タワーが杖代わりに…

立ちションは怖いから、便座にしゃがむ…

(よっこらしょと…)

息が荒くなる…

起き上がって暫くすると血混じりの鼻汁が漏れ、

ガーゼが鼻奥に二重に詰められていて弄る訳にはいかないのがイライラ…

更にガーゼで受け皿代わりも直ぐに赤く染まり、

仰向けになるしかないイライラ…

 

翌朝食は重湯に具無しの味噌汁(液?)、瞑目…

身体を切り刻みそれだけダメージがあるということ…

吐き気は無いかな…?

胃の具合はどうかな…?

慎重にスプーンを運びます…

受け皿のガーゼが邪魔…

手術後1日目は終日ベッドでゴロゴロ…

自慢の1万歩ウォーク1600日連続が途切れることイライラ…

直ぐに染まるガーゼの交換にイライラ…

集中力が途切れがちで、

仕事用にWEB研修をとPC画面を見詰めるのも辛くて思わず横たわる、無念…

 

手術後2日目、

鼻の詰め物が取り除かれます…

鎮痛薬の坐薬を2錠尻に突っ込み臨むます…

「はっきり言ってませんでしたが、痛いです」

「具合が悪くなる方もいます」

(何を今更…)

(サッサとやっ…、うぎゃー‼️)

身を切られる痛みじゃなくてズドンと来るような衝撃が…

それが二度…

(アガー‼️)

暫くはその刺激で出血があるもやがて落ち着けば…

(鼻呼吸が出来る…!)

右鼻が無事開通したのを実感し感動…

切除手術の影響で顔面の腫れや歪みを心配していたけれど杞憂に…

(これじゃぁ手術したかどうかも判らんなぁ、周囲に同情を買って貰えんな…)

仕事も接待交際も全てキャンセルしての顚末にしては味気ないな、

とか思ったりする喉元過ぎれば熱さ忘れる低い学習能力…

 

手術後3日目、

身体の拘束が全て解消されても自由に歩き回ることは制限され、モヤモヤが滞留中…

棋士とかみたく思考力を活発にすればエネルギー消費進むかもと、

持ち込んだPCで仕事用のWEB研修聴講や読書なんかやってはみたけれども…

結局緊張感が乏しいから集中力は希薄で十分なエネルギー消費になってない…

食事が減塩・少量・消化良好?で質素…?なのが最後の救い…?

体重は確かに1kg落ちてます(筋肉量が落ちただけか…?)

 

手術後4日目、

運動不足と光合成不良による影響が身体のあちこちに出現している感じ…

膝下の血流が鬱積しているか、関節がギクシャク…

柔らかなベッドに腰掛けて長時間PC画面睨んでいたりするから、背筋が歪む…

手術後は蒸しナプキンで体拭きするだけが3日続いて身体中がベタベタ…

 

さて、翌日は退院となり平穏な生活に仕事に復帰出来るぞと、

辟易の入院生活からおさらばさ…

と安らかに就寝してからの翌早朝に事態が一変することになるのですが、

この続きはまた次回の記事にて…

孫達がいなくなり心の一部がポッカリと空洞になっているとしても…

それを埋め合わせる(忘れさせてくれる…かな)様なイベント事に追われ、

右往左往するのが当面のマイブームになっていますかね~

ただ、

意識の変化やモチベーションのある面での低下が、

厳然と身体のバイオリズムを狂わせ体調を変調させているのか…

慢性アレルギー性鼻炎による副鼻腔炎が悪化して鼻腔に腫瘍ができるという…

やがて、腫瘍の摘出手術で入院、という事態に至るのですが…

そんなトラブルに見舞われる運命なんだとしても…

三線抱えて還暦過ぎジジは張り切っているのですよ~

 

 

さて、

孫達とお別れしてから1週間後…

三線教室のメンバーMOさんが通う体幹トレーニング教室の40周年記念だかのパーティーへ、

15分間だけの三線ミニ演奏を所望され…

島袋先生の下、教室の有志の4人で参加…

 

演奏はpm2:45からの為、am11にパーティー会場のホテルへ集合…

イベントを盛り上げる為の衣装合わせの、

初着物は肌着の白を上着の下からチラリと覗かせる着付け調整に難儀…

留めピンを2本も購入して準備したのに使用方法がさっぱり判らず着ずれの矯正は断念…

全体的な着馴染み感はあるのでは…?

と深く悩まない…

草履を履けばちょっとは様になっているような…?

男手はM岡さんとの二人きり…

 

演奏は5人掛かりなので、

緊張感は薄らいでいたものの…

矢張り宴会場の広さや、衆目の多さで雰囲気に吞まれてしまい…

歌詞を間違えるし…

早弾きにテンポを合わせられずヨレヨレ…

先生の元気な声と弾き音の陰に埋没…

 

打上げ会は近くのシャッター通り商店街の一角で頑張っている日本酒小料理店にて…

店主は地元二俣瀬の永山酒造の後継ぎさんの由で、

日本酒に合う小皿料理のコースで次々と酒宥が…

途中から酒豪のUEさんとKAさんが合流で、

全国の辛口甘口の飲み比べモードに及び大騒ぎ…

酒は飲まない拙妻には酒宥ばかりでは物足りなかったかも…

3H後、

しっかり酩酊した小生は彼女に連れ出され退散することに…

他の5人はどうぞ引き続き…

皆さんお疲れ様でした…

次は5月の集古館ミニコンサートです…

新曲の習得に向け気張ります…

今年3/23の彼岸明け…

快晴の青空の下…

娘と孫達は東京へ再引越し~

 

半年前の貰い事故の補償金でちゃっかり新車購入のシエンタに荷物を詰め込み…

娘は助手席にふんぞり返り…

孫達は遠路東京へ向かうのがちょっとした行楽気分で、

「じゃあねー、行ってくるねー」

何と軽い「お別れ」のバイバイ…

ジジとババは暫しそこに立ち竦んだまま~

(本文とは無関係ですが、孫①とはよくこの場所で遊び…)

 

孫①は東京生まれ、孫②は山口生まれ…

孫②は2歳、

生活の中で常に庇護してくれる存在が彼の人生では殆どが母親のみだった一方で、

孫①にとってはその大半は父親がいた…

孫①には、

その空隙をジジババが補うにしても所詮は一時的なその場凌ぎの存在…

娘にとって、

彼らが惑うとき、窮したとき、きっと傍にいてやれるもう一人の存在は渇望だったんだと…

この事態の到来を選択したのが彼女の意思であり、

その決断を尊重してやりたいけれども…

その結果孫達と離れ離れになってしまうのはジジババには辛いこと…

 

ジジババは甘受するしか選択肢がないことも更なるダメージ…

ほんの半年前の昨年10月の騒動で東京を再訪したのがこの事態の契機になるとは、

予想にもしてなかった神のみぞ知る…

でも結局は彼女の15年間に及んだ東京生活の所以…

 

思い直せば、

この2年半は楽しくもひた向きに役割を果たしたと思えるジジババ冥利の達成感あり…

「あの時◯◯してやってたら…」なんて後悔は微塵も無し…

(今は…)

兎に角も、孫達が健やかに伸び伸びとこれからも成長していくのが何よりも…

と云うことで…