夢は何度も
何度も描き直しているうちに
自然と
簡潔化して完成実現化します。
希望は自己へ課せるため
手段を選ばず
見直さず
性急になる・・。
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わたくしの実家は
明治時代の祖父母父下に治められており、
男尊女卑の傾向にありました。
娘一人の男兄弟のわたくしは
「女性は泣いてごまかす」と男性陣に警告されながら
「小さいうちから泣くことを歓待されず」に育ち
ました。
また、分からないものことについても
直ぐに聞くことを許されませんでした。
兄弟の男児と同じに
自分なりに考えて調べてまとめたものを
主体にして、[ここまでやりました]が
[どぅしてもこの部分がわかりません]_と
父に申し出てよぅやく父は一緒に考えて呉
れました。
(父はわたくしを父の会社へ連れて行ってしまぅほど父親っ子でしたが。)
そぅいった環境から、
日本語の、単語の数も持たない幼いわたくしは、
“泣かず”に
【短時間・ひと目】で
男性たちに“理解して貰える”ためには
“描画”だ と
必然的に見つけ出したのでしょぅ。
わたくし自身の記憶では
現在の幼稚園年長さん時期の6才に近ぃ頃
にまとまったお絵描きをした記憶がありま
す。
早世した母の弟(叔父)の結婚式が
祖父(母の実家)の「中庭にある集会所」
で行われました。
モダンな洋装の母の元で育った6才頃迄の
わたくしは、初めて視た「文金高島田」と
「日本的美人の花嫁」さんへ、強烈な感動と
衝撃を受けた覚えがあります。
帰宅後、文金高島田を思い出し何度も何度
も描き直しました。そして「これでいい」と
思ったとき、わたくしは「描いた花嫁さんの
正面と側面の絵2枚」を持ってご近所を回っ
ていました。
ご近所のご婦人たちは
「紫音ちゃんは絵が上手ね^^」、
「絵描きになるの?」と言いました。
(絵描きの意味は分かっていませんが
なりたいもの:ポストを夢描いたことは
一度もありません。)
まず
1「発見しちゃった、驚いちゃった、」から
2「家族へ伝えたい」、
3 しかし家族たちも日常観ていない、
気づいていない
4 それを伝えることは難しぃ。それでも
5 家族に伝えたぃ一心 で
6 何度も何度も描いてまとめる、それを
7 [これでいい]といぅ処で[清書]して
8 家族やご近所へ“見せる
=これが家庭環境から生まれた
わたくしのコミニケーション・伝播
プロセスです。
2007年正月那覇市民ギャラリー個展開催
世田谷美術館Aギャラリー全室使用・個展開催
生ゴミ問題
銀座成光画廊全室使用「企画」個展開催
世界的気候変動
に
次ぃで思い出深い
2007年正月那覇市民ギャラリー個展開催
「珪藻土・縄文土器・マチスのダンス」
どれも共通するのは[社会性]です。
わたくしの絵画はボキャブラリー~
まだまだ描きなおして
簡潔にわかり易い「言葉」にして行きます。
ゆめは描くものだから~