現在主流となっている ノーベル賞経済学者ミルトン・フリードマン
(シカゴ学派)の説く徹底した自由市場主義と
「真の変革は、危機状況によってのみ可能となる」という
非常に危険な主張
実際に応用されている様子を分析している
この【恐怖】を用いた経済変革および体制変革は、
全体主義-ファシズム-勃興時やソ連崩壊後の
ロシアの改革の際にも応用されている。

また、
アメリカによる日本支配(コントロール)にも随所に応用された
ふしがある。

ちなみに、
紹介されている CIAが背後で主導したとされるチリのクーデター
が決行されたのは、1973年の9月11日である。


↓現在削除されています。
恐怖を利用した「経済改革」-ナオミ・クラインが語る Part1of4
恐怖を利用した「経済改革」-ナオミ・クラインが語る Part2of4
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恐怖を利用した「経済改革」-ナオミ・クラインが語る Part4of4



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静かなる戦争のための沈黙の兵器
イメージ 1

沈黙の兵器 陽動作戦の要約

メディア : 成人大衆の関心を真の社会問題からそらさせ、
        少しも重要でないことに縛りつけ続けよ。 

学校   : 青年大衆には、真の数学、真の経済学、真の法律ならびに
        真の歴史については無知のままにさせ続けよ。

娯楽   : 大衆娯楽は小学校六年の水準以下にとどめ続けよ。

労働   : 大衆を、考える時間もないほど、忙しく、忙しく、ひたすら忙しく
        させ続けよ。ほかの動物とともに農場に戻れ、である。

大統領も世界大戦も彼らが創った。ビートルズもフェミニズムも彼らが創った。
人間白痴化の心理戦争を仕掛ける「見えない政府」それがタヴィストックだ!

「民主主義」、「人民(国民)主権」、「自由」、「平等」、「平和」、「友愛」、
「普遍的人権」、「福祉」、「繋栄」・・・
と言った目当りの良い美しいことぱに、うかうかと踊らされてゆくうちに、
いつの間にか、『家畜人ヤプー』(沼正三〉、の世界に、我々全人類が導かれてゆく、とは。

この成り行きは、或る一つの条件さえ存在し続ければ、単なる悪夢ではなくて、
実際に、実現してしまう。

その条件とは、我々、人類の「無知」である


____________________________
フリーランスジャーナリスト、カナダのナオミクラインさん
恐怖を利用した「経済改革」1/4You Tube
                      文字起こしは紫音です。
____________________________

ミルトン・フリードマン: Milton Friedman1912731
 コロンビア大学と連邦政府で働き、後にシカゴ大学の教授となる。
20061116心臓疾患のため自宅のあるサンフランシスコにて死去。
奇しくも、同年同月18日には、親交のあった東京外国語大学名誉教授小浪充
が死去している。

フリ-ドマンは生え抜きの学者で
フリードリヒ・ハイエクに師事しました。


▼シカゴ大経済学部の重要性は【株式投資家の道具】と
なった点です。

ウォール街から多額の資金を得て銀行家との付き合いも
深かった。

シカゴ大はケィンズ主義に対抗する反革命の拠点になり
ました。

そのため50-60年代には米国の主流にはなれません
でした。

大きな政府や福祉国家が汚らわしい言葉になったのは
シカゴ大学のおかげですが、彼らはまだ権力には近づ
けなかった。

▼変わり目はフリードマンと親しい【ニクソンの大統領就任】
でした。
ニクソンは選挙に不利なこの政策を国内には適用しませんで
した。

ここに自由市場政策と民主主義や平和との矛盾がはっきり出て
います。
ニクソン政権はフリードマン始めシカゴ学派を迎え入れました。

▼「ついに出番が来た」とフリードマンは思った。
ようやく日の目を見た反革命集団が米国における解体にとり
かかりました。

でもニクソンは世論を見て
フリードマンの政策を断行すれば確実に選挙で負けると判断し
シカゴ学派が最悪と考える賃金と物価の統制を行なったのです。

実行したのは二人のシカゴ学派の大物でした。
【ドナルド・ラムズフェルド】は
フリードマンの講義を聴講し天災学者と仰いでいたのに、
ニクソン政権の下で
【ジョージ・シュルツ】と共に賃金と物価を抑制しました。
まさにケィンズ主義です。


裏切られたフリードマンは民主主義国での実現を疑い始めた。

ニクソンはシカゴ学派の政策を国内では実施できなかったのです。

賃金と物価を統制した結果彼は二期目の選挙に圧勝しました。

▼シカゴ学派の政策は
【中南米に回しチリのピノチェト政権にやらせた】。

米国の民主主義とは相容れない【過激な思想の実験】も
▼【中南米の独裁政治】下なら【平気で実現できました】。


ー司会者【チリでは何が】ー


「民主社会主義者アジェンデが1970年に大統領に
選ばれると米国は彼を倒そうとしました。


▼ニクソンは「経済を締めあげろ」と禁輸措置などをとり
その挙げ句に73年「9月11日」のクーデターで
【ピノチェト将軍を支援しました】。

チリでよく聞く「シカゴ組」も実際には誰だったのか?

今度の本はこの部分の歴史を検証しています。
特にピノチェト政権の経済政策の意図を大きくとり上げています。

______________________________

▼ピノチェトが、
【無実の人々を捕まえて処刑したり拷問した】のは有名ですが


▼【クーデターのショックを利用して強行した経済政策】のこと
あまり知られていません。
これが【ショックドクトリン】の応用例です。


____________________フリ-ドマンは

サッチャーから、ニクソン、レーガン、ブッシュの顧問官を
務め、
ラムズフェルドが駆け出しのころに指導し、
70年代のピノチェドにも助言、
80年代後半の中国共産党の重要改革にも助言しました
____________________


「拷問。ショックには
1)経済的なもの
2)身体的なものがある。

【重大な転換期には拷問のショック】が伴った。


研究所の1つは【1950年代のシカゴ大学】
中南米の経済学者がここでショック療法を学んだ。

仕組まれた陰謀とは言わないが、
▼【もう1つの研究所】が、同時期別に別種のショックを
研究をしていた。【カナダのマッギル大学】である。


【CIAの資金を得て拷問手法を研究】する
【マインドコントロールや洗脳】の
【実験根拠】となっていた


▼最近の調査で判った事実ですが
1950年代の洗脳技術開発計画の
【高電流】や【LSD】や【幻覚剤】投与
知覚刺激の遮断や過剰】などの実験成果で、
今、グァンタナモやアブグレイブで
【拷問マニュアル】に使われています

それは
人格を破壊し幼児に退行】させ
人の言いなりにさせる】マニュアルです。


CIAは
国外のカナダのマッギル大学なら
実験は容易だと思ったのでしょう。
モントリオールの大学ですね。
当時の精神医学部長はアメリカ人のE・キャメロン
元米国精神医学協会の会長】でした。

尋問への精神科医の協力という現在の問題にも関連する団体です。

彼(E・キャメロン)は、その後、
【マッギル大の精神医学部長】となり
【アラン記念病院】という
【精神病院の院長】になりました。

CIAの資金を得て彼(E・キャメロン)は、この病院を
従来と異なる【尋問手法を開発する実験所】に変えました。


患者にLSDなどの幻覚剤を調合して
投与
1ヶ月近く昏睡状態にしたり
・視覚や聴覚への、刺激を奪ったりしました。
患者は時間と場所の感覚を失います

キャメロンの説によれば
精神病は後天的に獲得され後に形成
されるパーターンです。彼は行動主義心理学者でした。
彼(E・キャメロン)が信じる治療法は根本の原因をつかむ
ことではなく
▼【患者を大人から子供に戻す】ことでした。
電気ショック療法の副作用】で
 【記憶喪失が起こる】ことは知られており
大抵の医者は問題視していました。

一定の成果はあっても、患者が過去を全て忘れるからです。

▼でも、この副作用をキャメロンは歓迎した。

精神病は後天的に形成されるパターンなので
▼(拷問で)言葉も自意識もない幼児の状態に
患者を戻せるなら再教育で「健全!?」な人間に変えられると。

▼そして極端な幼児返りを起こさせるこの手法にCIAが注目し
ました。


その治療を受けたゲイルカスナーさんは
キャメロンの患者でした。
キャメロンに資金提供したカナダ政府を告訴し、
何も知らされずモルモットにされたと
訴え示談を勝ち取りました。