帰国して10日ほど経ちました。まだまだ自主隔離中です。
空港で受けたPCR検査は全員陰性でした。
連日家族みんなが明け方4時半は目が覚め、夕方には眠くなってしまうという絵にかいたような時差ボケでした。自主隔離でろくに外出もできずに体内時計の調整にも時間がかかっている印象です。仕事にも行けず予定も作れず、今日が週の真ん中くらいか週末かもわからないくらい曜日感覚も完全に失っています。
そんな中でも、7月25日にガスが使えるようになりそこでやっとお風呂に入れました(それまで水シャワーでさすがにこの時期でも凍えていました)。電子レンジやトースターが届き、昨日は洗濯機も搬入されました。徐々に文化的な生活を送れるようになってきました。インターネットで何でも買える時代で良かった。
 

子供たちは自分たちの部屋をどのようにレイアウトするか自分たちなりに考えているようで嬉しそうです。

 

実家から荷物が届きました。

自主隔離中ということでいろいろと送ってくれました。

 

1日1回くらいは外の空気を感じないと体がおかしくなっちゃいそうだよね。

 

お勉強してるのですが

 

まだベッドがないので床に雑魚寝です。

これはこれでなんだか楽しいね。

 

この日もちょっと公園へ。

いいかげんどこかへ行きたいね。

4人ともPCR検査陰性とでてるのにそれでも2週間も自主隔離しなきゃってなんだか納得しきれていないのが本心っです。理解はしてるけど。仕事にも行けずその間の収入もゼロ。日本に住民票がなかったので給付金ももらえなかったしね。

引きこもってるといろいろモヤモヤしちゃいます。

久しぶりのJALに浮かれすぎてロングフライトも全く苦にならない旅でした。映画いっぱい観れたー。
飛行中はよかったのですが、羽田到着してもPCR検査の順番待ちで飛行機を降りることができず。CAさんがアナウンスで、前の前に到着した飛行機が降り始めたところで私たちの順番は次の次だと伝えてくれました。
結局到着後1時間半機内に閉じ込められていました。時々CAさんが情報を伝えてくれるので目安が分かっていたのはよかったけど、この時間はつらかったなー。
 

ボストン時間だと今は明け方の4時とか5じとか。眠いけどちゃんとついてくる子供たち。よく頑張っています。

 

どこまで歩かせるんじゃ!ってくらいPCR検査の説明会場が遠い。しかも歩く歩道は反対方向だから使えず。

 

PCR検査説明会場。

飛行機に乗ってた人が全員集まらないと始まらないのでここでもまた待つ。

 

説明を受けた後子連れの人から優先でPCR検査を受けました。

怖がらせたくなかったので子供達には詳しく説明しておかなかったのですが、いざ鼻をグリグリされ痛さとショックで固まる上の子と泣く下の子。

入国審査も荷物受け取り(荷物はターンテーブルから降ろされ各々にカートに載せてくれてありました)も税関もスーパースムーズに終わり、飛行機到着から約3時間半、やっと到着ロビーに出られました。

迎えに来てくれた両親とおち合い(折角久しぶりだというのにソーシャルディスタンシングを保ちつつ)、別送品の書類の提出とたくさんの荷物を自宅へ送る手続きを済ませ、やっと家に向かいます。

 

公共交通機関を使えないし、ハイヤーとかも何時になるかわからないからどう予約していいかわからず、結局主人の実家の両親に迎えに来てもらい、車を借り家へ向かいました(両親はタクシーで私たちの自宅まで)。

いきなり反対車線(アメリカと)の首都高。しかも夜。緊張しつつ運転します。

 

東京だー!

 

ほんとに帰ってきたー!

 

我が家は賃貸に出していましたが6月に退去されたので、空室になっていてクリーニングも済んでいましたが、何もないわけです。

夜に到着とわかってるし自己隔離しなきゃでお店も寄れないので、事前に実家からお布団と最低限必要なトイレットペーパーや石鹸などだけ運び入れておいてもらいました。

 

両親が買っておいてくれたお弁当をいただきます。

3年前にアメリカについた当日夜もこうして自宅リビングでピクニックスタイルで夕食をとりましたが、おんなじです。

元々の予定では帰国直後は実家に帰り、その間にいろいろ整えてから東京の自宅に帰るつもりでした。それがコロナ禍で予定を変更せざるを得なくなってしまったからさあ大変。

今回は冷蔵庫もない(アメリカにいるときに手配しておいたので明日搬入予定)、洗濯機もレンジもない。電気と水道の手続きもネットでアメリカにいるうちにしておけましたが、ガスは立ち合いが必要でうまくいかず。ガスは早く何とかしなきゃ!2週間自主隔離というおまけつきで自由に買い出しに行くこともできず。分かっていたことなので覚悟はしていましたが、アメリカ到着時よりもとっぽどサバイバルな環境で東京生活がスタートしました。

飛行機に乗りました。
 

行きはプレエコだったけど、帰りはエコノミー。

でもラウンジも使えないしこれで良かったね。

 

 

たぶん多めにみても3割程度しか席が埋まってません。

広々してるし、トイレの混雑もなさそうで快適だー。

 

 

離陸しました。

ロングアイランドの方が見えます。

 

 

肉眼だと奥の方にマンハッタンが見えました。

この辺でやっと少し気が抜けたのか、こみ上げるものがありました。

ほんと私たち3年間頑張ったよね。

ほんとはもっと最後は泣くものだと思ってました。でもコロナのこともあって予定の変更に対応していかなきゃで、最後の最後まで余裕がなさ過ぎて、思い出にひたって泣くことができなかったんだと思います。レンタカーなども予約しておいたってその車ないよとか平気で言ってくるのがアメリカだし、荷物はやたら多いし、空港ホテル周辺の治安は悪いと聞いていたし、でも全部クリアして、飛行機に乗ってやっとちょっとホッとできました。

CAさんがアナウンスで「お帰りなさいませ」と言うんですよ。

機長がアナウンスで冒頭「コロナ禍という大変な状況の中長い間お疲れ様でございました」なんて言うんですよ。とても嬉しかったな。そう、だってこの飛行機に乗ってる人は、大変な時期に異国の地で大変な思いをした人たちが大半です。でも今までそれをねぎらわれることなんてなく、むしろ日本では要注意な帰国者として扱われ、ニュースなどを見ると私たちはまるでウイルス扱い。万が一帰国時のPCR検査で陽性にでもなれば羽田到着の家族4名が陽性とか報道されるんです。その緊張感を持った私たちが聞いたアナウンスがこれ。心に染みたな。たぶん一生忘れないと思う。JALの職員の方々もリスクが大きい中エッセンシャルワーカーとして働いてくださっていて、さらにこのアナウンス。ありがたい他ありません。

 

 

子供たちも大きく心身ともに成長してくれました。
家族全員で力を合わせて精一杯過ごした3年。
アメリカ生活に適応することって大変だと思うし、そこへコロナというおまけ。こんなに困難な状況って他になかったと思います。でもそれを乗り切ったという事実が私たちにこの上ない自信を与えてくれます。
 

吉野家ー!!!

もうJAL最高!

 

噂のやつですね。