竦む青、泣く黄。

そして、嘘つきの赤。




COLORS:赤





其処に通うために、諦めたものがいくつかある。

例えば練習後の自主練習。今では夜中にやっていることだ。

例えば部室でのギターの調律。今では彼に会いに行くための電車の中でやっている。


今まで当たり前のようにしてきた生活を、たった一人の人のために変えるとは思わなかった。

ましてや、自分が其処まで人に執着するとは思っても見なかった。

そしてそれが、こんなにも嬉しい事だとは知らなかった。

もう少し、もう少しであの目障りな金色が見えて、その影から幾度と無く待ち焦がれた黒髪が現れる。そうしたら、いつもと同じように名前を呼んで、彼の驚いた顔を見て微笑もう。

そうすれば、彼もいつもと同じように僕の名前を呼んでくれるだろう。

いつもと同じを繰り返す事が、こんなにも楽しいと感じるなんて。

極彩色の世界に目が眩みそうになる。











「此処だと目立つんで、部室の方に……。」


その言葉の続きを言わないことで、僕に選択肢を与えているのだろうか。

そんなものは必要ないというのに。

君のために捨てるものが幾らあろうと、君を手放す事など絶対に有り得ないのに。


「ありがとう。」


僕のその言葉でホッとしたように微笑む君が見たいから、あえてその言葉を選ぶ。

他の言葉でも、君と少しでも長く居られる手段はあるというのに。

筧の隣について、部室に向かうとき背中に視線を感じたけど無視をした。

お前は、僕以上にいつも筧と一緒に居られるんだろう?大人気ないというなら言えば良い。ただ、お前のその視線のせいで、筧が顔を曇らせる事が気に食わない。


「(ほら、また)…疲れた顔をしている。」

「そう、ですか…?」


そんな言い方をしないでくれ。

僕が君に関することで見落とす事など有りはしないのだから。


「あぁ、君の事で、僕にわからないことがあるとでも?」


不意に驚いたように目を見開くから今まで以上に愛しくなる。

これ以上、どうやって君を愛せば良いのかが僕にはわからない。


「………そういう言い方」


知ってるよ。素直に嫌いといえない君の癖。


「「好きじゃない」?」


ふわりと微笑んで言ってやれば酷く悔しそうな顔を見せる。

そんな顔まで愛しいと感じてしまうのだから始末が悪い。

常に取り乱さない冷静さを現したようなきりっとした眉。真っ直ぐに見つめるアクアブルーの美しい瞳。理知的に結ばれた口。

横目でちらりと見るのが好きだ。

僕の言葉に反応して表情を崩す筧は勿論だけど、こんな風に前だけを見つめて歩く筧を見るのも好きだ。


つまるところ、僕は筧駿という男ならどんな事をしていても愛しく感じてしまうのだろう。

それは、一種の病気のように僕の中に巣食い、内側からどんどんと侵していく。

きっと、死んでも治る事のない不治の病。











いつものように部室に案内されて、コーヒーを入れようとする筧の思っている以上に細い背中を見る。

戸棚の上に手を伸ばす度に持ち上がるシャツの裾からちらりと覗く日に焼けていない白い素肌。

流れるようなしなやかなラインの腹筋や細い腰が薄暗い部室の中で白く発光しているように目に付いた。

引き付けられた目が、離せなくなる。

ざわりと、背筋を何かが駆け上った。

カップを持った骨ばった手にその輪郭をなぞるようにして手を沿わせれば驚いた筧の肩が大きく揺れた。

可愛らしい反応に思わず笑みが漏れる。


「別に要らないよ。」

「いや、でも…」


なおも言いよどむ筧に言い聞かせるようにその手の内のカップを奪い、元の場所に戻しながら言葉を続けた。


「いいって言ってるだろ…。」


骨の浮き上がった首筋や艶やかに青く光る黒髪から、汗と洗髪剤の混じった酷く扇情的な匂いが鼻腔に広がる。

香水などつけない、そのままの筧の匂いに眩暈がしそうだった。


「筧……」


何も考えずとも手が勝手に動いた。細くしなやかな腰に腕を回せばぴくりと反応を返してくる。

きっと、君は僕から身を離そうとするのだろう。無意識なのを知っているだけに愛しくて、そして心配になる。

この腕に閉じ込めたまま、一生を共に生きていきたいとさえ思ってしまう。

逃げようと引かれた足にあわせて腰に回した腕に力を込めて引き寄せれば、意図も簡単にバランスを崩して机に寄りかかる筧。

その上に圧し掛かるように近づき、滑らかな頬をなでるように触れる。

青い目が、しっかりとコチラを見つめてくるものだから、思わずその眼球に口付けしたくなる衝動をどうにか抑えて、反射的に閉ざされた瞼に唇を落とした。

小さく震える瞼の裏で、眼球が揺れるのを感じて、舌をその隙間に押し入れ、眼球を嘗めてしまいそうになる。

其れを誤魔化すように一度離れた頬にもう一度触れ、その薄い唇に自分の其れを押し付けた。

冷たかった其れが、だんだんと熱を持ってくるのが嬉しくてうっすらと目を開いて筧の顔を盗み見る。

きつく閉ざされた目元が真っ赤に染まっていて、愛らしい。

思わず顔がほころぶ。


キラリ……。


薄く開いたカーテンの隙間から、太陽の光とは又違う光が、飛び込んできた。

そちらを見れば、驚いたように目を見開き、怒ったように口をきつく結んだあいつの顔。

そこに居る事に対する驚きと、いつかはこうなっただろうと言う諦めにも似た冷静さが頭の中を回った。

目線を合わせてみれば、慌てたように踵を返して走り去っていたアイツに、筧は気付いていない。

冷静だと思っていたが、赤く染まった筧の顔を見た瞬間に急に激しい苛立ちに襲われた。

その苛立ちを何処へ逃がせばいいのか判らずに、ただからだが動くままに筧を求めた。

少しかさついた下唇を嘗められると思わず口を開けて細く息を吐き出す癖。

そしてその隙間がどれほど小さく、そして優しいかも。

押し開くようにして舌をねじ込めばつるりと柔らかく、濡れた内壁。綺麗に並んだ歯の一本一本を丁寧に表から裏へと歯茎を掠めながら嘗めてやればあわせた唇の端から鼻にかかったような甘く掠れた声が漏れる。

その声に煽られるようにしてより深く、舌を差し込めばひくりと奥に縮こまった筧のそれに舌先が触れた。

それに講義するように「んんっ…!」と溢れ出る声も無視して舌を引き吊り出すようにして無理やり絡める。

初めは薄くあいていただけの口を、僕に呼応するように大きく開いて快感を受け止める筧の姿に、ゾワリと腰の当たりを何かが這い、中心が熱を持った気がした。


「(そろそろ…、ヤバイかな……)」


まだ足りない、もっと欲しいと体は勝手に動くけれど、そろそろ止めておかなければ歯止めがきかなくなりそうだった。

舌と一緒に流し込んだ唾液をわざと鳴らしてやればくちりと小さく可愛げな音が響き、流し込んだときに溢れて零れた滴の跡を伝って、顎から喉へと流れて服の影に消えた。

其れを眼で追いながら止めるタイミングを計る。

欲のままに、このまま貪り、中心の熱をさらに高ぶらせて開放してやりたいとは思うが、それは流石に筧に怒られるだろう。

それに、此処は部室だ。

いつ誰がアイツのように中を覗くか判らない。

そして、其れを知ったら傷つくのは筧だ。僕は、筧を傷つける全てを許しはしない。

ちゅ、と名残惜しく筧の舌を吸ってから自分の其れを引き出し、バードキスのように軽い音を立てて終わらせた。

息苦しさと快楽の熱とで細められ、潤んだ瞳で荒い息を繰り返す筧。

互いの混ざり合った唾液で濡れた唇が薄暗い部室で艶めいて卑猥だった。


「大丈夫か?」


流石に苦しかっただろうと心配になって問いかければ、無意識のうちに口元が緩んでいたのか筧は無理に鋭い目を作ってコチラを見た。

そんな姿が手負いの獣を連想させて、さらに笑みが深くなるのを感じる。

きっと、筧は気を悪くするのに。ふい、と不自然に筧の視線が横へと逸らされた。

筧の視界から、僕が消える事が怖かった。


「…ごめん。少し、調子にのったかな…」

「あ、いや、……あ」


少しでも気を引きたくて肩を落として悲しそうに言えば、優しい筧は慌てたように僕をその視界に入れ、手を伸ばす。そして、その手を僕が取ったところでやっと気付く。

また、騙されたのだと。そして仕様が無いと言いたげに眉が下がる。

その姿にちくりと、罪悪感が刺激される。


「ありがとう。筧、好きだよ(誰よりも君が。)。」


だけど其れを謝れるほど僕は大人じゃないし、其れを言う事で筧に呆れられる事が、嫌われる事が怖かった。僕には、筧しか居ないのだから。


「あぁ、もう。…そうですか。」


ぐったりとしたように御座なりな返事が返ってくる。

視界が、一瞬で暗くなるようだった。

気がつけば自分よりも背の高い筧を無理やり抱き寄せて、離れてしまわないようにきつく閉じ込めていた。

シャツのボタンに驚いた筧の歯が当たったような音がしたが、気にならなかった。


「筧、ごめん、ごめん…だから、そんな風に言わないで、頼む…。僕には、筧しか居ないんだ…頼むよ…筧、筧…(君に嫌われたら僕は、きっと何も考えられなくなる。)」

「赤羽さん」


筧が何を言っているのかも判らない。

ただ、嫌われる事が怖い。誰よりも、筧に嫌われる事が怖くてたまらない。


「赤羽さん、ごめんなさい…俺、」


ごめんなさい、なんて、拒絶の言葉にしか聞こえないんだ。

だから、止めてくれ。君がそんな言葉を使わないでくれ。


「筧…?どうしたんだ?なんで筧が謝るんだ…?やめてくれ、筧、僕は君さえ居てくれればそれで良いんだ…。だから、そんな事言わないでくれ…、頼むよ…筧…。(きっと何も出来なくなる。)」


身じろぐように首を動かした筧に、離れていってしまうのではないかと思わず反射的に力が篭る。

ぎしり、と鈍い大きな音が上がって苦しそうな筧の声が上がった。


「っ筧!お願いだから僕から離れていかないでくれ…!」


行くと言うのなら、いっそ、この手で―――――


「く…、あ…赤羽、さん…!」


不意に浮かんだ恐ろしい考えに、寒気がした。


「筧…、ごめん、ごめん…だから…」

「…俺は、貴方を見捨てられませんよ…。」


悲しそうに、筧が言った。「大丈夫」や「絶対」なんて言わない筧。

でも、きっと言われても僕は信じられない。

きっと、その言葉を発した君を傷つけてしまうから。


「(ありがとう………)」


僕は、君に縋る事でしか、生き方が判らなくなったんだ。








―――――無き笑う赤に攫めるものが青ならば。








2006/2/24