Bookworm in the Hammock -4ページ目

ツイッター VS アメブロ

takeshi.です。



先日、一生懸命書いた原稿が


保存ミスで吹き飛んでしまったのが


ショックで??、


ここ数日、アメブロから足が


遠のいていました。



この間、はまっていたのが、


ツイッタービックリマーク



もう始められている方には


いまさらっ?って感じだと思うのですが、


いままで全く興味が持てなかったんですよね。



その理由は、


いくら高名な研究者や著名人の


つぶやきであったとしても、


それをリアルタイムで


フォローしなければいけない理由が


どこにあるんだろう?って


思っていたからです。



事実、先日は僕がフォローしている


かなりの著名な研究者が


うんち、ふんずけた、とか


つぶやいてましたが、


正直、知りたくなかったです(笑)



でも、ツイッターがすごいな、と思うのは、


人とつながる力の強さです。



アメーバーブログは、


読者登録とか「ぺた」の仕組みがあるために


各種のブログ・サービスと比較して


他者とつながる力が強いと思いますが、


それでも、このブログの読者になっていただいた方の数は


現時点で28人です。



一方、ツイッターはまだ8ツイートしかしていないのに、


現時点でフォロアーが27人。



もう追いつかれる(笑)。



それと、中国は別として


いま世界の人がミニブログをやろうとしたら、


大半のひとがツイッターを選ぶから、


日本だけでなく、


世界の人とつながれるというのも


いいですね。


そのためには、英語でつぶやく必要が


あるのでしょうが・・・



takeshi はツイッターのほうは実名でやっています。


もしこのブログの読者さんで


実名でツイッターをされていらっしゃる方がいたら


メッセージいただきたいです。


フォローさせていただきますビックリマーク



ではまた。

『われ日本海の橋とならん』加藤嘉一(ダイヤモンド社)(2)~面子とビジョン~

takeshiです。




今日は、昨日にひきつづいて、


いま、中国でもっとも有名な日本人と呼ばれている


加藤嘉一さんの著書、



『われ日本海の橋とならん 内から見た中国、外から見た日本-そして世界』


のご紹介です。



われ日本海の橋とならん われ日本海の橋とならん



・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・


・・・・・・・・・・・・


中国人が大切にする面子(メンツ)についての


お話が面白かったので


それについて


かなり長い文章を書いたのですが、


ちょっと他の作業をして戻ってきたら、


ぜんぶ消えてました・・・・・(T_T)




もういちど書く気力がないので・・・


もし中国人の面子について、


よくわからないなーと思われていた方は、


本書は参考になります。(T_T)




ここまで読んでくださった方、ごめんなさい!



         *


ところで


もし、ほんとに加藤さんが


この本に書かれているとおりの方だったとしたら、


(美化して書かれていなければ・・・・)



僕の好きな日本人の


ベスト20に入ると思いますビックリマーク



将来、首相になって欲しいくらいの勢いですね(笑)



オススメです!


『われ日本海の橋とならん』加藤嘉一(ダイヤモンド社)(1)~エレベータートーク

takeshiです。



いま、中国でもっとも有名な日本人と呼ばれている


加藤嘉一さんの著書、



『われ日本海の橋とならん 内から見た中国、外から見た日本-そして世界』


を読みました (長いなー、このタイトル 笑)。



とても面白かったですビックリマーク



われ日本海の橋とならん われ日本海の橋とならん




この本の面白さのひとつは、


胡錦濤国家主席と


個人的な交流をもつまでになった


加藤さんが、


どのようなプロセスを経て、


そこにたどり着いたか、という点です。



3回のエポック・メイキングな


チャンスをものにしたからこそ、


彼はいまのポジションを得ているというお話。



まず1回目のチャンスは、


北京大学へ留学するきっかけとなった、


北京大学の幹部との面会。


高校生だった彼は


この幹部に気に入られて、


北京大学への国費留学生となります。



2回目のチャンスは、


中国でのテレビ出演。


反日デモについてのコメントを求められた


北京大学生の彼は、


的確な答えを返し、


その日を境に、


中国のメディアにとりあげられるように


なって行きます。



3回目のチャンスは、


胡錦濤国家主席との会見。


北京大学への留学生の代表として


胡錦濤国家主席との面会を果たした彼は、


わずかな時間で主席の心を捉え、


個人的な交流へとつなげていきます。



非常に印象的なのは、


どのチャンスも、ほんの一瞬の出来事だということ。


まさに究極の「エレベータートーク」



エレベータートークというのは、


アメリカのシリコンバレーで、


ある起業家が、投資家の勤務するオフィスの


エレベーター前で待ち伏せして、


偶然エレベーターに乗り合わせたふりをして、


短時間で事業の魅力をアピールして、


みごと資金調達を勝ち取った、


というエピソードから、


短時間で的確に要旨を伝え、


理解してもらうこと、をいいます。



まさに彼は、エレベータートークを


3回成功させたからこそ、


いまのポジションにいるんですね。




そしてこれは決して偶然なんかじゃない、


ということはtakeshiにも良く分かります。



通っていた高校で高い評価を得ていたからこそ、


彼は北京大学の幹部と面会できたのだし、



身の危険を顧みず、反日デモを見に行ったからこそ、


テレビに出演するチャンスを得たわけだし、



中国語をネイティブ並みにマスターしたからこそ、


国家主席の心をつかむこともできたのです。



すべてのチャンスは、


彼自身がみずから引き寄せたもの



そのことを強烈に感じさせられました。




すこし長くなったので、


続きはまた明日ビックリマーク


映画 『黄色い星の子供たち』

takeshi.です。


昨日公開された、

『黄色い星の子供たち』

新宿武蔵野館で観てきました。





この映画は、1942年7月16日に、

ナチス占領下のフランスで行われた

ユダヤ人の一斉検挙(ヴェル・ディブ事件)を、

わずかに生き残った方の証言をもとに

再現したものです。


takeshiは、この映画をできるだけ多くの方に

観ていただきたいので、

ネタばれは極力控えたいと思っています。


そこで、直接ストーリーには関係のない部分について、

2つ感想を記したいと思います。



まずひとつは、映像のもつ圧倒的な伝達力について。。。

東日本大震災の際、普段はまったくテレビを見ない

takeshiも、テレビニュースで情報を仕入れました。



たとえば、あのすさまじい津波の被害は、

実際に映像を見なければ、

とても把握しきれるものではありませんでした。


同様に、この映画で映像の力をまざまざと

感じさせられたのが、

一斉検挙されたユダヤ人たちが押し込められた

冬季競輪場の映像でした。。。


大きな競輪場にあふれんばかりに詰め込まれた人、人、人・・・・。


これを歴史教科書風に文字で表現すれば、

この日一斉検挙された1万を超えるユダヤ人たちは、

冬季競輪場に集められた。

このため「冬季競輪場」(ヴェル・ディブ)事件と呼ばれている。

という感じになるでしょうが、

映像で目の当たりにすると、それが如何に

許されざる、恥ずべき非人道的行為であるかということが、

直感的に理解できます。



もうひとつ印象に残ったことがあります。


この日検挙されたユダヤ人は1万3000名。

しかし、ナチスとヴィシー政権は、

2万5000名の検挙を計画していました。


残りの1万2000名はどこへ行ってしまったのでしょう?

答えは、ユダヤ人でないパリ市民が、

彼らをかくまった、というものでした。

よく分かりませんが、

1世帯でかくまえるユダヤ人を3名と計算しても、

この日、4000世帯のパリ市民が、

自分の隣人のユダヤ人を

危険を顧みずにかくまったことになります。


この数字の多さには、

とても勇気づけられました。


まだ公開されたばかりの映画ですので、

ぜひ多くの方にご覧頂きたいと思います!


ではまた!

『ネットアスリートの時間術』茂木健一郎(PHP)~アンチとオルタナティブ~

takeshiです。



『ネットアスリートの時間術』


を読みました。



ネットアスリートの時間術 ネットアスリートの時間術



いくつか面白い記述がありました。


そのうちの一つをご紹介します。


         *


アンチとオルタナティブという項で、


茂木さんはこうおっしゃっています。



何か問題が発生した発生した時に、


それに対して正面から反対するのが「アンチ」ですが、


それに対して


「オルタナティブ」な姿勢というのは、


真っ向からの反対をするのではなく、


まったく別の何かを提案したり提示したり、


その別の道を自ら生きるという行動をとります。


このふたつを比べてみた時に、


生き方としてどちらがいいかといえば、


僕は圧倒的に「オルタナティブ」のほうが


格好いいと思います。


     

このような


アンチよりオルタナティブ!という視点は、


昔から語られてきました。



ちょっとどぎつい表現で言えば、


反対だけなら馬鹿でもできる。



もうすこし洗練された言い方だと、


counter proposal なき者に、opposabilityなし

(対案なき者に、反対する権利なし)



後者は、takeshiが学生時代に私淑した


国際法学の権威が、


講義の中で繰り返し使われていた表現です。




僕が面白いと思ったのは、


茂木さんが、このアンチとオルタナティブという視点を、


個人の「生き方」の問題として


提示されている点でした。



茂木さんは言います。



自分が手に入れられなかった人や地位、


自分が挑戦してうまくいかなかったことに


とらわれ続けることや、


反対に「あんなのどうせくだらないよ」と


強がり続けているのも


「アンチ」的思考の典型です。



そのうちあることに気づくでしょう。


「自分がこだわり続けてきたことは、


決してなくなりはしない。


けれども、それ以外の道というのも


世の中にはちゃんとあるのだ」


ということに。



30も後半にさしかかって、


takeshi自身、


なにかひとつの道が閉ざされても、


かならず別の道が用意されているのだ、


ということは、


率直に実感するところです。


そして、これもアンチとオルタナティブの問題なんだと、


新たな発見をした気分でした。


ではでは。