恐ろしい台風でした・・
東京に住んで37年(きゃっ年齢大公開!)、ここまでの台風はなかったように思います。
朝幼稚園が休園になって初めて台風の来訪を意識し(遅いですが・・前夜もニュースを見ず倒れるように眠ってしまっていました・・)、一日ほとんど外出しなかったために私達は直接被害を目にすることはあまりありませんでしたが、主人の実家は庭の桃の木が折れ、また主人も車で帰宅途中折れた街路樹を3本ほど目にしたとのこと。
テレビでは近くの道玄坂の街路樹の被害をクローズアップして報じていましたが他でもあちこちであったのですね。
歩道に停めてあった自転車が風で舞いあげられて車道の真ん中に落ちたり、そこここに折れて飛ばされた傘が落ちて危険だったとのこと。
さらに電車が止まり、道路の混み具合は東日本大震災の時を思わせるかのようなものすごい状態だったようです。
駅の情景が何度もテレビで報じられており、帰宅できなくなった方達がバス停に並び、こちらも震災時と同じような大混雑でしたが・・
やはり人々が何時間も不平や怒りをあらわにすることなく待っておられる姿に改めて驚きを覚えました。
あれほどの大混雑、あちこちでトラブルが頻発してもおかしくないと思うのですが・・
大震災の時も今日も私は外で立ち往生をすることもなく過ごすことができましたが、今日のような同胞の姿に普段でも人々を見習い、自分を諌めなければとしみじみ思いました。
私達は情報に囲まれて生きていますが、昔の日本人は予測できずにこうした災害を多く迎えていたことを思うと、全く異なる人生観を持っていたであろうことと思います。
私など困ったこと、大変なことを避けるためにありとあらゆる準備をしようと自然と思ってしまいますが、いつ何時いかなることが起きるか分からないのだからその時にはどう生きるか、ということを常に頭において生きた時の胆力、生きる中に自分の理想を掲げることを今一度考えてみたいと思います。
ちょうど先日「武士の娘」という本を読み終えたところ。
東北地方の大名の家老の家に生まれ、戊辰戦争後の混乱と変化する世界、また結婚後の渡米でも武士の娘であるという生き方を大切にしつつ、世にひたすらおもねることもそねることもなく自然に自分らしい生き方をしていった女性の姿が綴られている貴重な本です。
失われた日本の姿ばかりを追うのでは何とも情けないですが、それでもこれほどに革新的な世界にも自然に自分らしく生きた女性が多くいたことに・・やはり現代の私達ってちょっと恥ずかしくないかと・・思ってしまいました。
これほどの情報量を得てしても生きることに哲学がなければ単に情報に右往左往してしか生きることができないのかなと。
今からでも遅くはないでしょうか
我が身を叱咤すると同時に、母として少しでも子供達に伝えていきたいところです。
また東北地方の方々の中にはやっと震災から日が経って落ち着いた生活を送っていらした方々も多くいらしたことと思いますが、そうした方々がまた避難しなければならなかったこと、自然の災害に遭われたことでどれほどの不安と精神的な打撃を受けられたかと胸が痛みます。
大勢の方々が非難されたことでどうぞ被害が最小限に食い止められますように・・
台風で大きな被害に遭われた方々、またお亡くなりになられた方々やいまだ行方の分からない方々のことを今一度深く深くお祈り申し上げます。