私病院には行ってないので病名はわかりませんが、
筋肉の過度の緊張がありまして、
リラックスしようとしても筋肉が勝手に萎縮して、
リラックスどころではありません。
動くんだもの。
随意筋がちっとも随意じゃない!
意に反してる!
これは脳の誤作動だ!
ーではなかったです。
痛いし気もち良くはないですが、
今となっては、体ってほんと凄いなと思ってます。
確かに随意ではない。
でも誤作動でもない。
じゃあ何かっていうと、驚異の自然治癒力でした。
ただ、何もせずにいれば症状は長引いたろうし、
むしろ悶々としてもっとひどくなったかもしれない。
その緊張がどういった意識からくるのか、
かっちかちの筋膜はどの意識が作用してるのか、
そういった体との対話を繰り返してきました。
でもそれさえも超えて、肉体は絶えずやることやってただけです。
結論から言うと、筋肉がぎゅーーーーっと縮まるのは、
筋膜を剥がそうとする動きでした。
潜在意識領域の自然治癒力です。
切り傷が治るのと同じように、「治る」という方向に向かって、
地道に作業していたのでした。
生きるために心臓が動くように。
治したい!と思ってた時、
言ってみれば私は自分の治癒力をまったく信用してなかったのです。
治すために何かしなくちゃと思ったり、
勝手に動く筋肉に、敵意さえ感じていました。
それでも、体は黙々と作業を続けてきました。
今は、自分の治癒力に委ねている状態です。
ああ、ちょっと横になりたいなとか、
友達がヒーリングをしてくれたりだとか、
何かちょっと変わったものが食べたくなったりだとか、
あるいはずっと同じものを食べていたりだとか、
何か「これいいんじゃない?」情報が来たりだとか、
思いがけずヒーリンググッズをもらったりだとか。
あるいは思うようにリラックスできない苛立ちや、
痛みによる癇癪や、拗ねる気持ちさえ、
「出す」とか「表現する」といったことで、解放したのだと思います。
ありとあらゆるそういったことも全て、
大きく捉えた自然治癒の一環でした。
心から、ありがとね、と言っています。
まぁ、ときに癇癪もおこしますけど、
それもそれで出しちゃえばいいことで。
体の自然治癒力ってすごいわ。
筋肉の過度の緊張がありまして、
リラックスしようとしても筋肉が勝手に萎縮して、
リラックスどころではありません。
動くんだもの。
随意筋がちっとも随意じゃない!
意に反してる!
これは脳の誤作動だ!
ーではなかったです。
痛いし気もち良くはないですが、
今となっては、体ってほんと凄いなと思ってます。
確かに随意ではない。
でも誤作動でもない。
じゃあ何かっていうと、驚異の自然治癒力でした。
ただ、何もせずにいれば症状は長引いたろうし、
むしろ悶々としてもっとひどくなったかもしれない。
その緊張がどういった意識からくるのか、
かっちかちの筋膜はどの意識が作用してるのか、
そういった体との対話を繰り返してきました。
でもそれさえも超えて、肉体は絶えずやることやってただけです。
結論から言うと、筋肉がぎゅーーーーっと縮まるのは、
筋膜を剥がそうとする動きでした。
潜在意識領域の自然治癒力です。
切り傷が治るのと同じように、「治る」という方向に向かって、
地道に作業していたのでした。
生きるために心臓が動くように。
治したい!と思ってた時、
言ってみれば私は自分の治癒力をまったく信用してなかったのです。
治すために何かしなくちゃと思ったり、
勝手に動く筋肉に、敵意さえ感じていました。
それでも、体は黙々と作業を続けてきました。
今は、自分の治癒力に委ねている状態です。
ああ、ちょっと横になりたいなとか、
友達がヒーリングをしてくれたりだとか、
何かちょっと変わったものが食べたくなったりだとか、
あるいはずっと同じものを食べていたりだとか、
何か「これいいんじゃない?」情報が来たりだとか、
思いがけずヒーリンググッズをもらったりだとか。
あるいは思うようにリラックスできない苛立ちや、
痛みによる癇癪や、拗ねる気持ちさえ、
「出す」とか「表現する」といったことで、解放したのだと思います。
ありとあらゆるそういったことも全て、
大きく捉えた自然治癒の一環でした。
心から、ありがとね、と言っています。
まぁ、ときに癇癪もおこしますけど、
それもそれで出しちゃえばいいことで。
体の自然治癒力ってすごいわ。