これ、前に言ったっけかな。

重複するかもだけど。
ま、いいやね。


時間はないという感覚、
これは夢だという感覚がときおりやってくる。


夢の中で、ああ、これは夢だと気づくあの感じ。


そのとき、時間も消し飛ぶ。



過去は、今、つくっている。

歴史は今、私によってつくられている。

未来は今、つくっている。

すべての歴史は、今、私がつくっている。



葛藤の解放をするのに、一番有効な時空は今生。
なぜなら、体験として「記憶」という意識があるからだ。
それは疑いようのない、これまでの私として捉える。

そこには、体験と感情が、鮮やかにある。

過去生というのは、もう少し薄い意識だ。
遠い記憶と言ってもいい。

覚醒を目指すなら、統合するという意味で、
過去生の、
遠い記憶を思い出す必要がある。

それを自分として認識する必要があるからだ。


自分の意識に、なにがあるか、それを総ざらいする。
そういう意味で過去生を見る。

過去生を見るという行為そのものが、
過去を作るという行為でもある。

歴史的事実としてあるものは、集合意識による同意が厚い。

そしてそこから逸脱しないようにするだろう。
それは「正しくある必要性」だ。


名もなき個人の過去ならば、なんとでもなる。
関わっている人との同意があるので、
人数が多ければ変えにくく、
少なければ変えようもある。

ま、変える必要はないんだけども。

そこにある意識、それを解放することができる。


そのとき、全過去生において、
それにまつわる同種の意識が、一斉に振り向く。

そして、解放される。



「私」しかいない、「私」だけの宇宙と地球の歴史を解放するだけのことだ。



そのとき「今」が全てとなる。