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ぼくの宝物のひとつ。彼とのツーショット。確か80年代、雑誌MUSIC LIFEで取材した時のものかと。


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 77年のHeratbreakersでのデビュー・アルバム。後に彼自身の手で編集されジャケも変えてリイシューされました。タイトルも「L.A.M.F. revisited」になっていました。『L.A.M.F.」の意味は?是非調べてみて下さい。ロック特にパンク好きなら知っていないと恥ずかしいデス!




 もうゴールデンウィークに突入したんですよね?今年は最大で9日間の休暇になる、ということで、そんなに休みもらっても、多分、自分なら普段と変わらずうちでゴロゴロ、ですねぇ。



 海外旅行に出る人たちも、さすがにそんなに多くはないという話で、長期休暇をエンジョイ出来るのは、国民の15%くらいという統計もあるそうです。実際、こんだけ不景気だと海外旅行に行きたくても、格安パックとかが関の山。自分としては仕事もちょっぴりですがあるので、そんなに長くは休めないし、何より先立つモノが不足です。



 そんなことに頭の中が支配されたためか、大事なこと、忘れていました。こないだ、4月23日月曜、この日はロック・ファンにとっては「鎮魂」の日だったじゃないですか!!そう、かの「真性ロックンローラー」ジョニー・サンダースの11年目の命日だったんです。ジョニーとは彼が活躍していた70年代から、亡くなるほぼ直前の頃まで、ずっとファンだったし、音楽はもちろん、そのキャラも含め愛してした自分です。ロンナイではマストの存在で今でも彼の曲はよく使います。若いロンナイ・ファンもジョニーの曲をよく知っていて、「Born To Lose」なんかはみんなでともに大合唱ですから。



 71年にニューヨークでニューヨーク・ドールズを結成し、来日も何度もして、あの頃の若者、ロック・ファンには忘れられない存在でした。とくに、自分のバンド、ハートブレイカーズを率いてのステージはよくも悪くも、ジョニサンという希有なミュージシャンの生き様そのものだった、という思いがします。デロデロにブットんでたり、シャキッとキチンとしてたり、波瀾万丈な生涯そのままでしたから。1952年7月15日 - 1991年4月23日 享年38歳。


 最後に彼と会ったのは、91年の4月はじめに来日した時で、何度目かのインタビューをしました。それから2週間くらいあとに、突然彼の訃報が飛び込んで来たので、「ウソだろ?!」という気がしたのを今でもよ~く覚えています。ニューオリンズでドラッグの過剰摂取で亡くなった、ということでしたが、彼のような本格派のお薬好きが、そういう初歩的な間違いなどするのか?という疑念のような思いは今でも消えていません。


 とにかく、彼はぼくとほぼ同い年で、アメリカと日本という差異こそあれ、過ごした時代は同じなので、インタビューなどでも話が盛り上がりました。特にちゃんとしてる時は余計に。



 みなさんにも名前だけでもいいので記憶しておいて欲しいロッカーのひとりです。出来ればCDでも買って聴いてもらえたら幸いです。R.I.P. Johnny Thunders But He Lives in My Mind Forever!
この最後の来日ステージ、一緒に歌ったりハーモニカをプレイしてるのは忌野清志郎くんです。彼の命日もすぐですねぇ。