仕事の面白さに目覚めたきっかけ。 | ムズカシイことぬき!

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 ジャイアント・キリングを起こせ!大阪日本橋と東京秋葉原&渋谷ではたらく社長のブログ。

もうかれこれ20年も前の話です。

18歳で田舎の高校を卒業して、オレらプロのバンドマンとして食っていくぜー!とカッコよく進学も就職もせずに、せっせとバイトしながらバンドの練習&週末ライブって生活を約半年間ほど続けましたが、なんやかんやでバンドは解散、さー、この先オレどうしよっかなー、って時期がありました。

とりあえず和歌山の実家を出て、「大阪で1人暮らしでもしてみるか~」と心斎橋アメ村辺りでフロムAとか見ながら職探し。だいたいゲーセンとかファミコンショップとか遊び場っぽいところを探していたら、

 ■学歴不問!
 ■社員登用制度あり!20万円以上/月/社員
 ■社宅融資制度あり
 ■初心者大歓迎!
 ■平均年齢23~24歳!伸び伸びとした明るい職場です!

のような感じの募集があり、「お!これええやん♪」で決めました。そこが前職のソフマップでした。19歳になる1ヶ月前に社員として入社しました。(バイト感覚で面接に行ったら、社員ならボーナスがあって、ボーナスは夏・冬・決算の年3回と聞かされたのでw)

1ヶ月の研修があって、その後配属されたのが「買取センター」でした。実は入社してからちょっと後悔したのが、「パソコン」がまったくわからないことと、「オタク」の先輩達の多いこと多いこと・・・。w
(1991年の話です)

それともう1つ、嫌で嫌でしょうがないのが、みんな夜遅くまでダラダラ残業することでした。この頃はまだ残業時間管理については時間単位でやっておらず、毎月「営業手当」として定額支給(2万円かな?)されていました。逆に言うと2万円以上の残業は絶対しないさいよ、みたいな雰囲気でした。
(これは後に改善されていきました)

その時の自分は、もうすっぱりとバンドは辞めていたんですが、ダンス甲子園なんかの影響もあってか、週末はディスコ(死語w)通いをするのが唯一の趣味だったので、どうしても、

■毎週金曜日の夜だけは20時に会社を出たい。
■毎週土曜日の休みが欲しい。(前日から朝までオールなので)

この2つの希望を店長に相談していました。・・・が、もちろん新人でいきなり忙しい土日を休んだり、週末準備で忙しい金曜日の夜に残業をしないとかは、簡単に店長(会社)は受け入れてくれません。自分でも「わがまま勝手な話」と言うのは自覚していました。

・・・そこで、

「じゃあ、自分が2人分くらいの仕事をすれば、店長も休みを認めてくれるだろう」と思って、とにかく「あれもこれも全部オレがやってやる」な感じでバリバリ仕事をすることにしました。朝は誰よりも早く来て、みんなが嫌がる仕事を引き受けて、残業でやるはずの仕事を通常時間内に終わらせるよう、めっちゃがんばりました。

そう、すべては「金曜日の夜から土曜の朝まで遊びたいから」です。

とにかく仕事には「早さ」「効率化」「ムダ取り」「正確さ」を徹底追及しました。社員としては一番下っ端だったんで、先輩に指示は出来ませんでしたが、自分より下の立場のアルバイト達には細かく作業を指示し、フル活用しました。またそうやって行くうちにアルバイトらから問題点や不満、改善要望などの意見を吸い上げ、それを店長に意見・報告する役割も自然と担うようになりました。

そう、すべては「金曜日の夜から土曜の朝まで遊びたいから」、その一心です。

そうこうしているうち(約2ヶ月くらい)に、店長に気に入られちゃったのか、すぐに金曜日の残業は無し、土曜日は公休と言う自分にとっての特権が意外と簡単にゲット出来ました。その時に店長から、

「お前が楽しみにしている土曜日は休んでいいから、その代わり、周りの先輩社員らから、店長は新人のオオイを贔屓している、何であいつだけ、って声がオレに上がってこないような仕事をしろよ」

みたいな事を言われ、「なるほど、そうですね。わかりました。」って感じで、更に誰よりも中身の濃い仕事をするように心掛けました。ようするに、

「オレこんだけの仕事バリバリやってるから、職場のみんな、オレの土曜の休みに文句は無いよねー!」

って感じですw

もちろん人間関係には気をつかっていたので、ぎくしゃくならないような雰囲気作りや先輩社員を立てるような感じも、抜け目なく、かなり上手くやっていました。・・・そうです、

すべては「金曜日の夜から土曜の朝まで遊びたいから」その為だけです!

で、そんな生活を2年くらい送っていた21歳の僕の前に、僕の運命を変えたであろう「師匠」に出会うことになります。


うーーーん。


思ったより長くなりそうなので、続きはまた明日。