朝、家内が私を起こした。
「なんか大きな地震があったみたいよ、お母さんに電話してみたら?」
信じられない光景が画面に。でもボーとして実感が湧かない。
弟夫婦もいるし一人暮らしの母を見てくれているだろう。
それより今日は大事な打ち合わせがある。・・・どこか他人事の様な自分。
だってあんな凄いことなんだってことを、全く信じられなかったから、いや、認めたくなかったのか。

亡くなった父が東京にいる私たち家族を心配し、何とか神戸に戻るようにと、よく口にしていた。
必ず関東大震災がやってくる。阪神間は地震など天才には無関係の地域だから、大事になる前に帰ってこい・・・と。

一ヶ月後、私は実家に戻った。(仕事とはいえ何と親不孝・・・なぜだろう、その時は危機感のない不思議な感覚だった)

新幹線で着いた大阪駅は普通の忙しい通勤風景だった。
ところがホームの端のベンチにドロドロになった若者7~8人が、寒空なのに背中がめくれて肌が出ているのもかまわず爆睡。異様な風景だったが、やがてその理由がわかる。

実家の芦屋に向うJRは、尼崎をすぎる頃から屋根にブルーシートの家がちらほら。
そして西宮に入って様子はいっぺん。大阪の日常風景とは全く違う世界が視野に飛び込んでくる。
芦屋に着いた。テレビで見ていたので知っているつもりだったのに、衝撃と絶望感で一杯になる。

大阪駅の爆睡の若者達はボランティアで不眠不休の活動を終えて帰っていく途中、精根尽き果てて寝込んでいるのだった。

被災された方は既に復興の為に前向きに生活を始めていた。
真っ黒に日焼けなのか汚れなのかわからない姿の人があちらこちらに。
でもみんな楽しそうに元気だ。

なんで?そんな普通にしてるの?私の溢れる涙の向こうは生活力ある人々の姿。

帰省してはじめて自分の愚かさ、あまりにも不甲斐なさに後悔しても仕切れない罪深さを感じた。
母の家だけは奇跡的に無傷だったが、兄弟や親戚の家はことごとく崩壊していた。
それでも幸いなことに家族や親戚には死んだり怪我をした人はいなかった。しかし、実家や他市の住居に避難しており大変な状況には違いがなかった。

15年後。
今でも、すぐに帰らなかった自分の罪深さにトラウマになってしまって、何も言わない高齢の母には申し訳ないが、実家に帰るのが怖い。

この2~3日震災の特集がテレビで流されるが、涙が後から後から止まらなくなる。
被災した当事者達はケロッとしているのに、息子には馬鹿にされるのだが、私の心の傷のふさがる事がこんなに難しいとは・・・

こんな事ではダメだと思う。来週芦屋に帰ってもう一度ゆっくり町中を歩いてみよう。