1985(昭和60)年3月のダイヤ改正に合わせて登場した485系初の制御電動車クモハ485形0番台。特急「有明」「にちりん」の編成変更により先頭車化改造されたもので、その重厚なスタイルは国鉄末期から30年にわたって見られました。

 

 

夕日を浴びて鹿児島本線を走る485系特急「有明」のクモハ485形0番台。上り方先頭車として組み込まれていました=西里—熊本工大前(現崇城大学前)、1989年

 

 

 

鹿児島本線の「有明」と日豊本線の「にちりん」の485系は、中間電動車4両を組み込んだ7両編成で運転されていました。85年3月改正では輸送力の調整がしやすい先頭車を電動車にした編成に改め、閑散期には電動車2両(1ユニット)減らした5両編成としました。

 

さらに7両編成でも、電動車比率が6両と高まったことで、列車のスピードアップも図られたようです。

 

クモハ485形0番台はこうした経緯で、84〜85年に中間電動車モハ485形を鹿児島車両所、小倉工場、幡生工場で改造して15両が登場しました。グリーン車を先頭車化改造したクロ480形も用意され、これまでのボンネット形の先頭車(クハ481形)は常磐線「ひたち」に回されました。

 

 

重厚な印象を受けるクモハ485形0番台。運転室後方の機器室が物々しく、やや中央に寄った乗降ドアの位置も特異でした=門司港、2011年

 

 

 

クモハ485形0番台は、モハ485形に非貫通タイプの運転台ブロックを取り付けた構造でした。運転室後方に片通路式の機器室を設け、乗降ドアをやや中央に寄せたため、車体の3分の1が変化した特異なスタイルとなりました。定員は56人と少なく、トイレや洗面所がないなどの特徴がありました。

 

特急らしく端正な編成美を見せていた485系にあって、改造で生まれたクモハ485形0番台はとても目を引き、編成の強烈なアクセントとなりました。登場当時は子どもだった私も、その物々しい外観は、穏やかな海を描いた「有明」のヘッドマークよりも強く印象に残りました。

 

 

「レッドエクスプレス」となった晩年のクモハ485-11=門司、2010年

 

 

 

クモハ485形0番台は、485系が特急のエースの座を783系「ハイパーサルーン」や787系「つばめ」に譲った後も活躍し、後年は赤1色の「レッドエクスプレス」にリニューアルされました。

 

JR九州の個性派特急のデビューや九州新幹線開業の影響を受ける形になりましたが、波動輸送用としても長く在籍し、最後のクモハ485-5が引退したのは改造から30年以上がたった2016年でした。国鉄からJRへ、九州の特急網を支える役割は十分に全うした鉄道車両人生でした。

 

 

九州の特急網を長年支えた485系。最晩年は一部が国鉄色に戻されイベント列車として走りました。写真はリバイバル「かもめ」として運行されたクモハ485-5=門司港、2011年

 

 

 

 

※姉妹ブログでは、クモハ485形0番台以前の「有明」で見られたボンネット形先頭車の思い出をまとめています