ヒトは700万年前に地球上に誕生してから、狩猟採集を専らに、他種との棲み分け、喰い分けを経ながら命を繋いできました。
その間、699万年。
しかし、1万年前から農耕牧畜が始まって社会化が進み、人口密度、並びに、経済的政治的摩擦が次第に高まることとなりました。
その高まった摩擦の結果の一つが戦争です。
社会とは、簡単に言うと、利害の発生とその調整という、エンジンとアクセルとブレーキが、そのシステムの骨子です。 利害の無い社会というのは存在矛盾であって、有り得ません。
現在では、殆どの地域で、社会が極めて高度に複雑化してしまっているので、その利害関係も又、同様に複雑です。
皆さんも、ご自身の身を振り返ってみればたちどころに諒解するはずです。
誰かの子供である自分、何処かの生徒である自分、何処其処に住んでいる自分、、、
どこまでいっても「社会」があって、そこに「利害」があります。
即ち、そのことを意識しようとしまいと、我々一人一人はありとあらゆる社会階層の中での複雑系ステークホルダーなのです。産まれたばかりの赤ん坊ですら。
「ホモ(ヒト)·サピエンス(賢い)」として出発した我々は、今では「ホモ(ヒト)·利害」と呼んでいい、惨めないきものになってしまいました。
一方、「利害」は「恩讐」と容易く結び付きます。
恩讐は時空を飛び越えて、人々を連帯させます。 国を護るために戦おうとするのも、戦争の悲劇を悼むのも、恩讐です。
ですから、利害があり、恩讐があれば、戦争の火種は無くならないのです、残念ながら。
現代は加速度を増して摩擦が増えているので、むしろ紛争、戦争の可能性は高まる一方です。
その可能性を減じる方策として、並びに、利害の相克を克服するために人間が開発したツールが、宗教と哲学と歴史学と芸術ですが、そのいずれも「ホモ·利害」の連中達が寄ってたかって利害の世界に落とし込んでしまっているのは、皆さんご承知の通り。
ですから賢明な皆さんは、それらを学ぶ際に、利害の埃を払いつつ、慎重にそれらのエッセンスの中から、利害を越えるヒントを探り当てねばなりません。
ボンディは心から、平和を希求する皆さんのご健闘をお祈りしております。
利害の彼方に
恩讐の彼方に
ヒトは「ホモ·利害」の次のステージに立つことが出来るでしょうか。
素朴に申し上げると、ボンディには、小さな子供同士が喧嘩をしている時、身近な大人が、「怒るあなたの気持ちは分かるけど、○○ちゃんの気持ちも考えてあげようね」と声を掛ける、その振る舞いが、全ての答のような気もしています。
(ボンディは頭が悪いので、何度も草稿を書いては破り書いては破りして、今回はこんな投稿となりました。 立場の異なる皆さんからすると、どんな感想をお持ちになるのか、コメントを寄せてもらえると有り難いです♡)