アンティークドアのボンコテに、大きなステンドグラス窓が入庫しました。

 

 

高さは2780cm、光を通すととても美しくとても存在感のある窓です。

 

 

 

このステンドグラスは、フランス北部Lilleの近くのTourcoingという街で仕入れたものですが、シャトー・コンゴというお城に使われていたステンドグラスだそうです。

 

 

シャトー・コンゴとはどんなところなのか?

調べてみると色々と興味深いことが分かりました。

 

Château Congo (Palais Vaissier)

 

 

 

Château Congo (Palais Vaissier) コンゴ城(ヴェシエ宮殿)

 

Palais Vaissier(ヴェシエ宮殿)またはPalais du Congo(コンゴ宮殿)とも呼ばれるこの城は、1891年〜1892年にフランス北部のTourcoingに建設され、現存しない建物です。

 

フランス北部Roubaixに生まれ、石鹸の製造業を営んでいたVictor Vaissier(ヴィクトール・ヴェシエ)は、自らを「コンゴの王子」と名乗っていました。

 

    

 

1887年、先見の明のあるクリエーターであり、優れた男であるVaissierは、兄弟と共に発展させた小さな石鹸工場を引き継ぎました。 

 

彼は、最初の香りつき石鹸として石鹸の伝説とも言われている「コンゴの王子」を発明し、「広告」という手段で製品を支え、従業員たちの生活に潤いを与えたのです。

 

1988年にはパリに石鹸のブティックを開き「コンゴの王子」や「スミレ石鹸(savon à la violette)」などを大ヒットさせました。

 

   

 

 

   

 

                

Roubaix通りの黒い工場の壁に囲まれて生きることに嫌気がさした彼は、贅沢な野望にふさわしい家を建てることを夢見ていました。

 

彼は建築家のÉdouard Dupire-Rozanに依頼し、豪華で堂々とし、オリエンタル様式を引き継ぎ、ステンドグラスの窓の並ぶ大きなドームを冠した城を建設することにしました。

 

コンゴ宮殿とも呼ばれるこの城は、1892年に5ヘクタールの公園に建てられ、Mouvaux通りからGrau通り、コンゴ通りから運河まで広がっていました。インドのタージマハルを連想させるこの城にはインド芸術も多く取り入れられています。

 

 

コンゴ城は、広さ100m²の大きなエントランスホールと大きなガラス屋根で構成されていました。このホールは、レセプションルームの中心で、和風ラウンジ、ルネッサンスダイニングルーム、インドラウンジ、インドダイニングルーム、モレスク風ラウンジ、モレスク風ダイニングルームがありました。

 

 

 

1階と地下には、いくつかのワインセラー、炭や食料の倉庫、娯楽室、キッチン、ユーティリティルーム、共用スペースがあり、それぞれが985㎡の面積を占めていました。

モニュメントのような赤い大理石の階段が2階に続き、コンゴの王子の部屋、彼の妻と娘、メイドの部屋がありました。

 

 

塔の1つにビリヤード室がありました。 1階の踊り場は、Vaissierが想像した通り、コンゴを表す壮大なステンドグラスの窓に照らされていました。

 

 

 

 

この城には専用の発電所があり、35mの高さのガラスのドーム部分を夜じゅう明るく照らしておくことができました。ドームを支える骨組みは、当時39歳で鉄鋼業を営み、のちに有名なタイヤ製造会社を立ち上げたAndré MICHELIN(アンドレ・ミシュラン)の手によるものです。

 

 

 

 

 

5ヘクタールの面積の公園は、庭師たちによって維持されました。 庭師長は、ムヴォー通りとコンゴ通りの角に残っているパビリオンに泊まりました。 その後ろに厩がありました。

 

 

 

 

 

 


 

 

Vaissierは、石鹸工場のイメージを思い出させるために、4頭のゾウを家でくつろがせたいという夢を抱いていましたが、建築家に反対され、実現することができませんでした。

 

そして 1914年に戦争が勃発し、城はドイツ軍の本部として占領されることとなり、彼の夢は粉々に砕かれました。

 


 

1923年、Vaissier死去の際に家族はこの城をTourcoingの街に売ろうとしましたが断られ、演劇興行会社のVan der Meersch氏によって1925年に買い取られました。ここでいくつかのショーのプロジェクトの構想がなされましたが、結局実現することはなく、1929年に城は取り壊されました。

 

数人の共同経営者たちに城の権利は分配され、土地は区画に分割されて売り出されました。

 


 

全てのファサードと瓦、残っていた入り口のパビリオンの鉄格子が1988年に歴史的建造物として登録され、現在は当時の庭師と管理人が住んでいた建物1棟しか残っていません。

 

2つのエントランスパビリオンには、2番目の庭師のパビリオンのテラス屋根と20番の庭師の球根型の屋根というふたつの異なる形状の屋根が残っています。パビリオンはそれぞれ装飾され、玄関ポーチは鉄格子で閉ざされています。

 

  

 

彼の死後、コンゴ城はなくなりましたが、石鹸は今でも高級石鹸メーカー Victor Vaissier Parisとして存続しています。

またVaissierの時代の石鹸ラベルもアンティークとしてコレクターに愛され続けています。


終の住処として立派な建物を作ったけれど、その後間もなくして住む人がいなくなったり戦争で使われたりして、最終的になくなってしまう・・・そして後々に価値が見出される・・・というのは、ボンコテのある静岡の徳川家康と駿府城に重なって思える部分が多々あります。

 

オリエンタルな雰囲気とステンドグラスを愛したVaissier氏のこだわりのステンドグラス、はるばる海を越えて今ボンコテにあります。