今日の東京は晴れ晴れ時々曇りくもりです。

日曜日のお寺は参拝者で活気がありますキラキラ

 

お参りの後は義援金の募金をしましょうニコニコ

 

 

お参り後は法話を欠かさずに照れ

 

 

今日の御講師は、京都府八幡市願生寺の山本泉茂(やまもとせんも)師です。

 

 

法話の前は「重誓偈」と言う「仏説無量寿経」の中のお経をお唱えします。

お陰様で、お経本を見なくてもお唱えが出来るようになりました。

導師の僧侶の方のテンポもちょうどよく、

気持ちも穏やかになったところで法話会が始まります。

 

 

では、山本師のお話を聞きましょうニコニコ

 

 

 

青字が山本師の言葉の要約です。

 

 

<門徒もの知らず>

 

昔から、世間では「門徒もの知らず」と言う言葉があります。

門徒とは、浄土真宗の門徒の事で、

浄土真宗の門徒は「迷信」を当てにしない生き方をしていきますから、

周囲の方からは「ものを知らない人たち」と軽く見られていたようですね。

 

実は正確には、もともとは「門徒物忌み知らず」という言葉だったそうです。

「物忌み」というのは、今ふうに言えば「迷信」のことですから、

「物忌み知らず」というのは、「迷信に無関心」ということです。

 

迷信とは、

日の良し悪しや、方角の良し悪し、4と9の数字迷信、

占いや祈祷などの事なんですが、

私達は

目に見えないものはなかなか信じないから、

目に見えないものに怯えてばかりなのかもしれません。

 

私は双子なんですが、

誕生日も一緒、

星座も一緒、

干支も一緒、

血液型も一緒、

生まれたところも一緒。

だけど、まったく違いますよ。

そりゃ、そうですよね。

 

迷信に振り回されない道が開かれている。

それが、仏様の教える道なのではないでしょうか。

 

 

<お慈悲の布団>

 

三重県四日市の正覚寺に内田正祥(うちだしょうしょう)先生がいます。

今年も私のお寺の報恩講に来て下さるのですが、

内田先生には許可を取っていますので、

内田先生のご法話を紹介させて頂きます。(   の部分)

 

おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん

 

私(内田正祥先生のことです)が住職になって間もない頃、

あるおばあさんに出会いました。

第一印象は「困ったおばあさんやなぁ」でした。

それと言うのも、住職となって間もない私がドキドキしながら

ご法事のあとの法話をさせて頂こうとすると、

「あ~! お説教、お説教! ありがたいなぁ、なんまんだぶ、なんまんだぶ」

とまだ何も話していないうちから仰り、話しの最中に「うん、うん」「へぇ~」と

大声を出して大袈裟に頷かれます。

不慣れな私はますます緊張してしまいます。

 

しかし、お出会いを重ねているうちに、だんだんと、そのおばあさんのことが

有難くなってきました。

時折、「阿弥陀さんのお慈悲はあったかいなぁ」と独り言のように仰います。

何より、ご法事が楽しくて仕方ないという雰囲気が伝わってくる、

阿弥陀様の事が大好き、といった感じのおばあさんでした。

 

その方はご門徒さんの御親戚でしたので、

ご法事の時にしかお会いできませんでした。

初めての出会いから二十年ほど経って、二~三年ぶりにお会いできることを

楽しみに伺ったご法事に、おばあさんの姿がありません。

お参りの方にお尋ねすると、一人の男性が、

「私の母のことですね、今日は私が代わりにお参りさせてもらいました」

と言われました。

「おばあさんは、お元気ですか?」

とお聞きすると、

「母は昨年の冬、ご往生させていただきました」

との返事でした。

私は寂しさが込み上げてきました。

 

うなだれている私に

74歳になるというおばあさんのご長男さんは、

「ごえんさん(住職さん)は、母の口癖を知っていますか?」

と尋ねられました。

「はい、知ってますよ。『阿弥陀さんのお慈悲はあったかいなぁ』でしょ」

と言うと、

「そうです・・・・。

母は最後に、その口癖の意味を私たち子どもに教えていってくれました。

聞いて下さいますか?」

と言われます。

私は「ぜひとも聞かせて下さい」とお願いしました。

 

おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん

 

   母が床に伏すようになったのは、昨年の夏の終わりごろでした。

   お医者さんからは

   「なにぶん、九十六歳というご高齢ですから、回復することは難しいです」

   と言われました。

 

   冬になった頃、呼び掛けても返事はなく、

   微かな寝息をたてているだけになっていたその日、

   母の枕もとに子供たち全員が集まっていました。

   ちょうど、先生が往診に来てくださり、診察を終えて帰られる時に、

   私達だけに聞こえるような小さな声で

   「あと、二~三日というところでしょうか」

   と言われました。

 

   一番下の弟が、先生を玄関まで送っていって、何やら話していました。 

   戻ってきて私に言うのです。

   「先生におふくろを抱っこしてもいいか?って聞いたら

    『そ~っとなら、いい』って言うてくれたけどええか?」

   弟がそう言いますので、

   私は「お医者さんが言うならええよ」と言いました。

   弟は「じゃ、抱っこさせてもらうわな」

   そう言って弟は、母をそっと抱き上げて、

   「軽うなってしもたな! 苦労かけたな! 

   俺が一番長いこと甘えとったなぁ・・・。ごめんな、ありがとうな」

   と言いながら布団に戻しました。

 

   それを見ていた他の兄弟たちも代わる代わる母を抱っこしては、

   お礼を言いました。

   私も同じことをしたくなって、母を抱き上げようとしたのですが、

   私だけ腕や足腰に力がなくて・・・・・できませんでした。

   何かしたいと考えているうちに、小さい頃に母にしてもらっていたように

   添い寝ぐらいならできると思いついて、

   母の布団に入って母の身体をさすっていました。

 

おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん  おばあちゃん

 

   いつの間にか私は眠ってしまったようで、

   しばらくしてすすり泣く声がして目が覚めました。

   兄弟たちが泣いていました。

 

   なぜ泣いているのだろうと隣を見ると、

   母は隣に寝ている私に気づいたのでしょう。

   骨と皮だけになったシワだらけの手で、

   自分の布団を私に掛けようとしていました。

 

   寒い日でした。

   私に風邪を引かせてはならないと思って、

   最後の力を振り絞るように、母は私に布団を掛けようとします。

   何度も何度も指先から布団が落ちてしまいます。

   それでも止めることはなく、母は自分の背中が布団から出てしまっても、

   私に布団が全部掛かるように掛け続けてくれました。

 

   兄弟たちのすすり泣く声の意味が私にもわかりました。

   母は

       抱っこしてもらいたかったのではありませんでした。

   母は

       お礼を言って欲しかったのではありませんでした。

   母は最後まで、

   子どものことが、私のことが、

   心配で心配でならなかったのです。

   

       温かいお布団でした。

   私も何十年かぶりに、母の胸に顔を埋めて泣かせてもらいました。

   同時に生前に、いつもおばあちゃんから聞かされていた

   「大悲無倦常照我(だいひむけんじょうしょうが)」

   お弥陀さまのお慈悲は

  常にわが身を照らしていてくれる。

   と言う言葉が思い出されました。

 

   ごえんさん!

   母は最後まで、母をやめませんでした。

   母は最後まで、母であり続けました・・・・。

   母の口癖だった、

   「阿弥陀さんのお慈悲はあったかいなぁ」

   という口癖の意味はこういうことなんだと、

   母の最後の姿を通して知らせていただきました。

   それから三日後、母は静かにご往生させていただきました。

   お聞きくださって、ありがとうございました。

 

と話してくださいました。

「こちらこそ、お聞かせくださって、ありがとうございました」

と、お礼を申しつつ、私も泣かせていただきました。

 

親鸞聖人は阿弥陀さまのお心を

「大悲無倦(だいひむけん)」とお示し下さっておられます。

このお言葉は「正信偈」の中に出てまいります。

「大悲 ものうき ことなくて」と書き下してお読み致します。

この言葉のお意(こころ)を、

また、親鸞聖人は「高僧和讃」のご左訓に

「怠り 捨つるこころなし となり」とお示し下さっています。

 

阿弥陀様のお心とは、

決して見捨てることなく

決して休むことなく

いつもあたたかく包んで

照らしてくれる

 

おばあさんは、

最後の最後まで、

子どものことを想い続けるご自身の姿を通して、

阿弥陀様のお心とおハタラキを、

決して

諦めることのない

見捨ててしまうことのない

お慈悲の温かさ、有り難さを伝えて下さったのです。

 

 

「ののさまに いだかれて」

内田正祥著 本願寺出版社

 

             (挿絵をお借りしています)

 

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YouTubeに内田先生の「お慈悲の布団」のご法話があります。

20分程度ですが、お時間ある方は、どうぞご覧ください。

 

 

 

迷信は信じなくても、

阿弥陀様と母親のお慈悲は

信じていきたいと思うことでありますニコニコ

 

今夜も冷えますね。

身体だけでなく、こころもあったかくしてお休みくださいキラキラ

 

 

今日もようこそのお参りでしたお願い