宣撫班と言う言葉を知ったのは、遙か昔、読んだ山本七平氏の著作による。
そこで宣撫工作の方法論とかも説明があり、
資料を探すのが、時間が掛かって大変で出来ないのが残念なのだが、
記憶の範囲では、ある特定の実際のA新聞記事が、宣撫工作の方法論をそのまま踏襲したものであると言った分析もあった。
戦前、戦中、戦後を通じて全く変化の無かった業界が新聞業界であろう、戦後新聞社は戦争中そうであったように、国内宣撫班、自国民に対する宣撫班として機能し続けてきた。
これが熟読しても、一切国際政治の実態が解らないという、邦字紙の特徴の原因だろう。
すでに高校生の時代に、新聞には不信感があった。いくら読んでもベトナム戦争の実態が皆目解らないからだ。
しかし、世の中、目明き千人盲千人で
我が家に来訪した、損保代理店の息子は、某大学経済学部出身ということで、
ケインズ以降の経済学の動向を教えてもらおうとしたら、
自分の学んだ経済学がどの様な位置にあるのかの説明できず。何派の経済学を学んだかも知らず。
経済紙を読んでいたら、経済は解らないと言う話をしたら、
「大学では、XX新聞を読みなさいと、習いました。」
これはもうなにも云ってもムダなので、会話は終了ですが、いまだに宣撫工作が終了しないのも、世間は目明き千人盲千人だからです。
「うちの祖父は、新聞を斜め読みしながら『新聞を読むと馬鹿になる』『新聞に書いてあることの逆が正解だ』と幼い私に教えた物である。」
戸締役さんは良い祖父を持たれて幸せです。
筆者などは、山本七平氏の著作をむさぼり読んで、ようやく『新聞を読むと馬鹿になる』『新聞に書いてあることの逆が正解だ』にたどり着くことが出来ました。
代表戸締役 ◆jJEom8Ii3Eの妄言ブログ
日曜スペシャル 雑文コラム
http://blogs.yahoo.co.jp/daitojimari/54753080.html
■メディアの責任
私は、これまでの執筆も、たぶんこれからの執筆も提示するソースとして、『日本のメディア記事を使わない』であろう。
本当のことを言えば、『使わない』のではなく『使えない』のである。なぜなら、日本のメディアソースは、ほとんどが『早い物では数時間、長くても数週間』で消されてしまうのである。また、都合が悪くなれば、それはあっという間に修正される。これでは使いたくても、使えないのだ。
欧米メディアの場合、それぞれの出典や一次ソースが明示され、それぞれの記事にその確認先が明記されている。そして、その記事が消されることはない。
経済とは『歴史の積み重ね』であり、『判断や解釈の失敗』もその一部なのである。過去を検証しない限り、『未来予測』などできはしないのである。
そして、その多くの記事は海外からの貰い記事であり、その記事の内容の検証すらなされない状況である。これではニュースソースとしての『存在価値などない』のである。
うちの祖父は、新聞を斜め読みしながら『新聞を読むと馬鹿になる』『新聞に書いてあることの逆が正解だ』と幼い私に教えた物である。
今の新聞にはその価値すらもないように感じるのは私だけだろうか?
日本の新聞記者達は、インターネットを否定し、『新聞記事は我々が足で稼いだ物』であるという。
しかし、経済記事に関しては『一次ソース』が公開され、『海外の通信社』のソースがいつでも読める状況である。もうすでに、我々一般人が『新聞記者』と同じ立場に立っているのだ。
新聞が残る為には、『それ以上の分析力』が必要となる。そして、それが出来る人材がいるのだろうか?
それが出来なければ、新聞には未来がない。そして、それが出来ていれば今の現状はないだろう。
以上引用