そもそも、自分、今日1月2日(三が日中日)は、
日本にいることの方が珍しかったここ二,三十年。
10代の頃は、友達と夜中に出歩く年に数回の機会で、
喜んで出かけ、一晩中歩き回ってた記憶がありますが、
大人と言われるような年齢になってからは、
タイで一度、1月2日に寺周りをした記憶がある以外は
(タイ正月は基本旧暦ですが、1月1日(2日)にも
お寺回りをする習慣はあるそうです)
正月に神社・仏閣に出かけた記憶がありません。
今年も、昨日までは初詣の「は」の字も、頭の中に
なかったのですが、昨夜、インターネットで
「御朱印 正月」なんてキーワードで検索をかけて
記事を読んでいたら、いくつかの神社で、
正月限定の御朱印が拝受できることを知りました。
何を隠そうSim、数年前から神社・仏閣での御朱印拝受が
一つの趣味になってます。
それぞれ趣向を凝らした御朱印帳があったり、
見るだけで心癒やされる文字や印、添えられる絵。
昨年はなかなか参拝する機会もありませんでしたので、
その趣味も影を潜めていましたが、
正月三が日、
普段いただけない御朱印がいただけるのであれば、
どうせ家にいてもゴロゴロしているだけなので、
いいんじゃないか?と思い立ったわけです。
かといって、明○神宮や川崎○師、鶴岡○幡宮など、
誰もが知っている神社・仏閣だと、
正月三が日、身動き取れない混雑は必至。
そこで、少し離れた埼玉県をターゲットにし、
好きなドライブを楽しみつつ、初詣をし、御朱印を
頂いてこようと決めたのです。
ちなみに、そうした1月2日の計画を立て始めたのが
昨夜の23:00過ぎ。
一通り調べ、訪れる神社の目処を立てたのが
日付が変わる頃。
四つの寺社に詣でることに決めたため、
朝出発は6時過ぎに決定。
短い睡眠時間の後、初詣ドライブ決行したSimでした。
ルートは、こんな感じです。
【箭弓稲荷神社(やきゅういなりじんじゃ)】
最初に訪れたのは、東松山市にある箭弓稲荷神社。
箭弓稲荷神社(やきゅういなりじんじゃ)とは、埼玉県東松山市にある
神社である。旧社格は県社で、戦後は神社本庁の別表神社となった。
まれに日本三大稲荷 や日本五大稲荷 の一つとされることがある。
712年(和銅5年)の創建と伝えられる。その頃は小さな祠だったよう
だが、1030年(長元3年)に下総国の城主平忠常の討伐に出かけた
源頼信がこの周辺に一泊した際に、近くにあった野久稲荷神社に
詣でて、太刀一振と馬一頭を奉納すると、その夜に白羽の矢のような
形をした雲が敵陣の方へ飛んでいくのを目撃し、これは神のお告げだと
確信、直ちに敵陣に攻め込んだ頼信は快勝し、立派な社殿を建造し
「箭弓稲荷大明神」とたたえたと伝えられる。以来、松山城主、川越
城主などの庇護を受けた。【Wikipediaより】
直接初詣には関係ないのですが、ここで一つむかっ腹の
立った時間勃発。
初めてこの神社を訪れたSim。ナビが「あと0.○km」と
表示を始めたので、近づいていることを知り、徐行して
進んでいたのですが、目の前にジャンパーを着たおっさん
登場。
「どこから入るんですか?」
と尋ねると、
「この先すぐなんですがね、今日は駐車場が一杯になって
るので、奥まで車では行けないんです。そこに有料駐車場
がありますんで、500円ですが、そこに駐めてください。」
と言います。
そうなのかぁ~、係の人が言うんだから、そうなんだろうなぁ・・・と、
素直にそのおっさんに500円を手渡し、言われた駐車場に
車を駐め、歩いて神社に向かったのですが。
神社に着いてみると、駐車場に、駐車スペースまだまだありまくり。
推測するに、あの駐車場は、一応神社の了承を得て、混雑時に
臨時有料駐車場として実際に解放しているのでしょうが、
(普段はホテルの駐車場のようです)
まだまだ神社の駐車場に駐める余地はあるのに、
あのおっさんが勝手なこと言って、まんまと嵌めたに
違いありません。
いいのか?え?神様のお膝元でそういうことして!!
まぁ、今日は端から、神社の駐車場は満車だろうから、
その近くにコインパーキングでもあれば御の字だと思ってきている
ので、駐車料金支払うことは、大した問題ではないのですが、
朝早起きして、人のまだまだ少ないであろう時間に
せっかく到着したのに、そういうことするかなぁ・・・。
万一今後訪問予定のみなさまがいらしたら、お気を付けください。
むかっ腹立ってますが、こちらの神社には直接は関係ないので、
お参りさせていただきます。
最近の神社は、賽銭箱のあたりに、
「参拝の作法」
が書かれたものが置いてあり、非常に助かります。
二礼二拍手一礼(二拝二拍手一拝と言ってより深い
礼を重んじる場合もあるそうです)だよなぁ・・・と、
一応分かっているつもりでも、自信がないので、
書いてあると非常に安心できますね。
さて、参拝を終え、いよいよ御朱印を拝受します。
一般的には、御朱印の拝受は
参拝後に社務所に行き、
持参した御朱印帳を差し出し、御朱印を頂きたい
旨を述べ、書いていただき、
初穂料をお渡しし、御朱印帳をお返しいただきます。
ただ、今日のように、初詣で参拝客が大勢訪れている
時や、寺社の事情で、御朱印帳に書いていただけず、
『書き置き』という、御朱印帳より一回り小さな半紙に、
あらかじめ書いてあるものを受ける場合があります。
今回は4つの神社を回りましたが、正月の特別御朱印で
あったこともあり、3軒では書き置きでした。
参拝を終え、次の神社に向かいます。
【武蔵国 越谷郷 久伊豆神社(ひさいずじんじゃ)】
久伊豆神社は今から約千五百年前の欽明天皇の御代(539~571)、
出雲族の土師氏が東国へ移住するにあたりこの地に出雲族の
親神たる大已貴命(大国主命)を勧請したのが始まりとされています。
平安時代、武蔵野に勢力を誇った武士集団「武蔵七党」のうち
野与党と私市党の崇敬を集め、その勢力下にあった元荒川流域に
久伊豆信仰が広まりました。戦国時代、扇谷上杉家の重臣、太田
道灌が岩槻城を築くとその城郭内に総鎮守としておかれます。
それ以後、江戸時代まで城の守護神として歴代城主から厚い崇敬
をうけ、太刀や神輿など数々の品が奉納されました。【神社HPより】
先ほどの箭弓稲荷神社よりも、少し人手が増えた気がします。
ただいま時刻は10:00、このあとの神社は人ではどうなる
のかが心配です。
ちなみに、こちらは住宅街のど真ん中のような場所にあった
のですが、きちんと駐車場があり、そちらに車が
駐められました。
参拝し、御朱印をいただきます。
見開きの、若干ポップな御朱印で、初穂料も
若干高めです。
《番外編 あり得ない『2022年初ボケ』かますSim》
さて、久伊豆神社での参拝を終え、
次の目的地『鳩ヶ谷氷川神社』に向かうべく、
車に乗り込んだSim。
今回自分は、全ての神社をあらかじめナビに打ち込んで、
ナビの言うままに車を走らせています。
具体的に言うと、ナビの設定は、まず
我が家→(最終目的地の)元郷氷川神社を入力し、
次に、「経由地」設定で
間に立ち寄ることになる箭弓稲荷神社と久伊豆神社、
鳩ヶ谷氷川神社を間に入力するのです。
つまりナビには
自宅(出発地)
↓
箭弓稲荷神社(経由地①)
↓
久伊豆神社(経由地②)
↓
鳩ヶ谷氷川神社(経由地③)
↓
元郷氷川神社(目的地)
と入力されている状態で、ドライブをしてきているんです。
久伊豆神社の駐車場を出て、車を走らせ、
次の目的地、鳩ヶ谷氷川神社へと先を急ぐSim。
ところが・・・。あれ?
狭い住宅街を5分ほどナビの誘導で走らされた後、
『経由地に到着しました』のアナウンス。
あれ?こんなに近いんだっけか?鳩ヶ谷氷川神社・・・。
不思議に思ったのですが、
地図がしっかり頭に入っているわけではなく、
ナビがそう言うので、信用します。
さらに少し走らせると、『臨時駐車場』という文字があった
ので、そこに車を駐め、いざ境内へ。
ん?なんだか、さっきの神社にそっくりだぞ?
この辺りの神社はみな同じような造りなのか???
不思議さ一杯の中、とりあえず参拝を済ませ、
社務所へ。御朱印を受けます。
はて・・・。さっきの神社の御朱印にそっくりなんですけど。
先ほどの御朱印は車に置いて来てしまったので、
比べることもできず、そのまま1000円を支払い、
境内を回ると・・・。
さすがに気付きました。さっきの久伊豆神社じゃん!!
(実は神社の名前も、紙を見なければわからない状態)
さきほどこの久伊豆神社に車が着いたとき、
まだナビが「久伊豆神社に到着した」と認識しておらず、
その状態で自分が車を走らせたので、
先ほどとは違う入り口に、ナビが自分を誘導したらしいです。
ぼぉ~っとしている自分が悪い。
てか、名前ぐらいしっかり確認してから参拝しろって話です。
かくして、同じ御朱印、しかも、初穂料今回最高額の
1000円の御朱印を、2つも拝受してしまった自分。
あきれて物が言えません。
以上、番外編のSimの今年初ボケでした。
【鳩ヶ谷氷川神社(はとがやひかわじんじゃ)】
あまりの自分の馬鹿さ加減に、ほとほとあきれながらも、
次の神社、鳩ヶ谷氷川神社へ。
(念の為ナビは目的地一つずつ入力する方法に変更)
当社は、旧鳩ヶ谷宿の中心地で、日光御成街道からやや西に入った
高台に鎮座し、 ご創立は1394年(応永元年)と伝えられております。
御祭神の須佐之男命(スサノオノミコト)は、ヤマタノオロチを退治して
稲田姫命(イナダヒメノミコト)とご結婚した後、出雲国須賀の地に降り
立った。そこで「吾此地に来て、我が御心すがすがし」と言って宮作り
をされ、 「八雲立つ出雲八重垣妻籠に八重垣作るその八重垣を」と
詠んで、稲田姫命と仲睦まじく幸せに暮らしていった。
御祭神は、荒々しく強い力の持ち主でありながら清々しく全てを清めて
くださる神として厄除けの神様。
社会の繁栄と安住の天地を作る事を教えとする、夫婦円満の神様。
稲田姫命と様々なことを乗り越えてめでたくご結婚され、夫婦神様と
なり末長く仲良く暮らしていったことから、縁結びの神様(結びの神)
として信仰を集めております。【神社HPより】
今回は、ナビが神社に向け、細い道に入ることを指示した
瞬間に、駐車場についての不安がよぎり、大通りにある
コインパーキングにあらかじめ車を駐め、そこから
歩いて神社に向かったSim。
この判断、結果的に正解だったと思われ。
なぜなら・・・。
神社に続く、なが~い参拝者の列。
鳥居の近くに神社の駐車場があり、
スペースにまだ余裕もあるようでしたが、
入るときも、出るときも、この人の列をかき分け
車を走らせなければならなかったことを考えると、
数百円の駐車料金は、今回は致し方なく思います。
いやぁ~、すごい列です。
参拝できるまでに、30分ほどの時間がかかりました。
参拝を終え、ここでも御朱印を頂きます。
今回は2種類。併せて結構な初穂料となりますが、
期間限定モノですので、仕方ありません。
そして、最後の神社へ。
【元郷氷川神社(もとごうひかわじんじゃ)】
こちらの神社は川口市の本当に住宅地のど真ん中。
到底駐車場があるようには思えず、近くのコイン
パーキングは満車だったので、徒歩で5分ほどの
離れた場所にあるコインパーキングに車を駐めて
歩くことに、
元郷氷川神社 (もとごうひかわじんじゃ)は、 埼玉県 川口市
元郷 1丁目の住宅街に鎮座する 神社 であり、 旧社格 は村社。
. また「 川口九社 」の内の1社。. 正式名称( 登記 上の 宗教
法人 名称)は他の氷川神社同様に「 氷川神社 」であるが、他と
区別するため、鎮座地名を冠し「元郷氷川神社」と称される。.
また古来より「子は全ての宝物にも勝る何よりの宝」と云われ、
子孫繁栄は家の幸せの象徴とされてきた。. 子宝(子授け)
成就・子孫繁栄に霊験灼たかな社であることから「しあわせの
宮」とも称される。.
知らなかった・・・。ここって子宝の神社だったんですね。
全然知らずに訪れました。何故かと言えば、ここの御朱印が
一番欲しかったのです。かっこよかった。
しかも、ここはなぜか参拝客もそれほど多くなく
(子宝の神社だったからか?)
御朱印はその場で書いていただけるのです。
いただいた御朱印がこちら。
こちらでは祭日に「国旗押印・金文字御朱印」の
御朱印がいただけるそうで、正月三が日もこの扱いだそう。
無事拝受しました。
ということで、予定していた神社はすべて回ることが出来、
思いつき「御朱印拝受の初詣ドライブ」は
終了しました。
ちなみに、正月ですので、御朱印以外にも
お札と守護矢もいただいてきました。
なんでもないことなのですが、
久しくしていなかった、正月らしい一日を過ごせて、
大満足の一日です。
正月気分も三日まで。明日が最終日ですね。
ゆったりしたいと思います。