異邦人を受容する

 武蔵国旧高麗郡の人々とその風土 

 

碧眼赤巻き毛の流れ者が村の若い男と懇ろになり生まれた娘

ゑ津という混血?の娘

 

彼女の戸籍には母の名はなく白欄

父は平沼紋次郎が長女と書かれていた

この高麗郡は1300年前の高句麗王族が時の女帝元正天皇の命を賜り

東国の渡来人1799人を集めて作られた郷である

その故だろうか

この地の人々には外国人を排除差別することがない

【ケトウ】の産んだ女ややこ【ゑ津】が平沼本家で大切に育てられたのは

そういう背景があったのだと考える

これが西家の旧高麗郡南端村から一歩出た黒洲村や豐崗村なら

ゑ津の運命は悲惨なものだったに違いない

 

これは伊東家の近くの写真館で撮られた

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左端前の玩具を持っている子供が西勘一の長男眞太郎otomaの父

リノが抱いているのは眞太郎の一つ下の妹君子

その隣は末の妹稲子

(この子らの母菊枝はすでに病身だったのだろうか?末妹稲子は母の顔を覚えていない)

後ろの子共たちは、リノの実家の西眞太郎の従兄妹たち

リノの娘美矢が、実母リノの家に嫁いで産んだ子供たちである

伊東里乃もまたそういう博愛精神の塊のような女性だった

西勘商店は手広く商いをやっていたので奉公人も多くいた

昼時は多数の奉公人のために食事を作る女中もいた

そんな時、朝鮮から日本に来た金さんという今でいう「リサイクル屋」が来る

「なんか用はないかね…鉄屑でも何でもあればくんねぇかい?」

リノは「金さんよう、昼飯はまだか?食べておいきな」と言って

その異国民を家の奉公人と同じように可愛がった

庭の彼岸花

考えてみれば当時朝鮮は日本国だったのである

併合は両国の同意を得てなされていたもので

戦をして奪い取ったわけではない

多くの日本人が朝鮮人を嫌ったのは日本に来てもまともな職に就けなかったからだ

これは両国の国民に考えてもらいたい

リノは末子越蔵が戦死しても

【戦争を憎んで人を憎まず】

戦争は国同士のいさかい、いつも泣くのは、か弱い庶民だ

決して何人とも恨んではいけない

最後までそういって死んだ

そしてこんな思いは誰ひとり2度とさせてはならない

もう戦争は嫌だ

戦争だけは絶対してはならない

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越蔵戦死の報を聞いて間もなく床に就いた里乃

ある日夢を見たという

眞太郎にはこう話したそうだ

あの世に行く道には、米英日中韓あらゆる世界中の戦死した息子の母親たちがいて

子供の名前を呼んでいた、逆縁は悲しいなぁーよう眞太郎お前たちが作る国は

決して戦争のない国を作るんだよ

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エツゾウ中学生のころ

 

【西越蔵陸軍中尉】フィリッピンレイテ島で壮絶なる戦死

昭和19年11月21日帰天正七位勲五等双光旭日章

お国の為の殉死による一階級栄進にて

陸軍大尉になる

あくる年昭和20年2月立春過ぎのまだうら寒き朝

西里乃刀自帰天73歳

士族伊東家の長女里乃、武家の娘らしく薙刀師範

体格もよく米俵2俵を軽々と持ち上げたという女丈夫

48歳の時越蔵を産んだ女傑も、その末子の死の痛手は堪えがたく

憂愁の晩年だった

 

【辞世の句】

 

 萬国の(よろくにの)

御国の盾に

なりし子の

母の嘆きぞ

黄泉路に響く

西平太郎令室里乃最後の歌

マタロー18歳

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その後、白木の箱に入れられた越蔵の遺骨が返ってきた

軽い?が、何かが入っている遺骨の一部か?

箱を揺らすとカラカラ音がする

18歳になっていた眞太郎は夜こっそりその白木の箱を開けて見た

そこに遺骨はなく、小石が数個入っていたという

 

 

合掌

 

 

 

碧眼の男西勘一は母親

そして年の離れた弟、若い妻に

数年の間に相次いで先立たれた

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日本の戦はまだ終わっていなかった

東京大空襲、沖縄の受難

広島、長崎への原爆投下

最終戦争の悲惨な大団円はこれからだ

里乃の死後半年たって

昭和20年8月15日終戦

 

しばし休載

つづく

【墨呂空】

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