稲佐山山頂で長崎市街の夜景を眺めた後は、
麓の「稲佐山温泉 アマンディ」へ。

僕の細道-稲佐山温泉

天然温泉付ホテルですが、
日帰り温泉も営業しています。

そして、ホテルがあるにも関わらず、
日帰り入浴施設の仮眠室では、
朝まで寝ている事が出来るのです!

という訳で、初日の夜はここで仮眠。
終夜営業のサウナやスーパー銭湯などにある、
いわゆる「雑魚寝部屋」ですが、
結構設備が良い上に、年末という時期のせいかガラガラで、
物凄く快適に眠る事が出来ました。

僕の細道-稲佐山温泉

こちらは温泉の露天風呂。
夜遅くで、誰もいなかったので撮影してみました。
ちなみに、浴場は夜12時で閉まり、
早朝6時半から開きます。

なお、夜12時を過ぎても、施設への入館受付は出来るようですので、
その際はさっさと仮眠室で寝てしまって、
早朝入浴するのがいいでしょう。

僕の細道-稲佐山温泉

こんな感じで、露天風呂からは長崎市街の夜景も見る事が出来ます。

ちなみに入湯料は800円で、深夜料金は1600円。
計2400円で宿泊(仮眠)可能です。

次回よりようやく長崎旅行二日目、長崎市内観光です。
一週間ほど、別の内容の記事を連続して書いていましたが、今回から再び長崎旅行記に戻ります。

前回は、初日の夜、長崎市に着き、市内でトルコライスを食べたところまで書きました。
その後は、少し夜の長崎の景色を楽しみました。

僕の細道-女神大橋

こちらは長崎港の港口に架かる女神大橋。
長さ1,280mの斜張橋(斜張橋部は880m)で、
2005年に完成しました。
大型客船の航行にも支障ないよう、
水面から橋までは、65mの高さが取られています。

写真の通り、夜はライトアップされます。
この写真は、橋のたもと、東岸の高台にある駐車場から撮ったもので、
ここは橋を眺める絶好の展望台にもなっています。

そして、夜の長崎と言えば、夜景。
長崎の夜景は「日本三大夜景」の一つとされるほど。
特に、市内にある標高333mの稲佐山からの夜景が有名です。
稲佐山へ山頂へは、ロープウェイが通じていますし、
車でも登れます。

僕の細道-長崎の夜景
僕の細道-長崎の夜景
僕の細道-長崎の夜景

上の写真から下の写真へ、
北から南に向かって撮影しています。

長崎市は、東西と北を山に囲まれ、
その中央を川と海が南北に貫き、
その周りに、山の斜面に張り付くように市街地が形成されています。
こういった地形が、美しい長崎の夜景を作り出しています。

なお、日本三大夜景の他の二つは、函館と神戸ですが、
いずれも長崎のように、山と海とが迫っている場所です。
ここのところ、2/13の「あしかがひめたま」イベント、
「門田みたま生誕前日祭」についてずっと記事を書き続けてきましたが、
いよいよ今回で最終回。

今回のイベントでは、会場である門田稲荷神社では駐車スペースが少ないため、
神社の隣の小学校の校庭が、臨時駐車場となっていました。

そこはもう痛車のオンパレード。そこで撮影した写真をドカンと掲載します。
特に解説はつけませんので、分かる人だけ楽しんで下さい(苦笑)

僕の細道-あしかがひめたま 僕の細道-あしかがひめたま
僕の細道-あしかがひめたま 僕の細道-あしかがひめたま 僕の細道-あしかがひめたま 僕の細道-あしかがひめたま
僕の細道-あしかがひめたま 僕の細道-あしかがひめたま
僕の細道-あしかがひめたま 僕の細道-あしかがひめたま 僕の細道-あしかがひめたま 僕の細道-あしかがひめたま

次回以降は、長崎旅行記に戻る予定です。
2月13日の「あしかがひめたま」イベント、
「門田みたま生誕前日祭」では、
数多くの新作ひめたまグッズが発売されました。

数日前の記事に書いたように、
新作グッズの出店と既存グッズの出店分かれていたのは、
今回新作が多数あったためでしょう。

列に並んでいるうちから、どれを買おうか悩みながら、
財布と相談していたのですが、
いざ出店の前に立ったら……

「新作全部一つずつ!」

と咆哮している自分がいました(苦笑)

僕の細道-あしかがひめたま

新作その1。マイクロファイバーフェイスタオル、
お守りステッカー、超薄型体温計3種。
それから、無料配布していたひめたまポケットティッシュ。

僕の細道-あしかがひめたま

新作その2。「メモれるクリアファイル」。
裏面には「SCHOOL LIFE」というタイトルが書かれ、
時間割が書き込めるようになっています。
いい歳こいた私も脳内スクールライフを楽しめます(苦笑)

でも実際、これを買った人の中で、
現役でスクールライフを楽しんでいる人なんてどれだけいるんでしょうか。

僕の細道-あしかがひめたま

そして新作その3!ひめたまタペストリー!!
枕元に飾って朝な夕なに拝んでおります。
まあ一応神様の図像なので間違っちゃいないかな。
これぞまさにイコン?!

僕の細道-あしかがひめたま

グッズを買ったら、出店でひめたまチロルチョコを貰えました。
絵柄はひめちゃん、たまちゃん、シロ吉の3種。
神道の女神様からバレンタインチョコレートを貰う日が来るとは、
思ってもみませんでした(笑)

あともう一回くらい、ひめたまの記事を書く予定です。
引き続き「あしかがひめたま」の「門田みたま生誕前日祭」について。
今回はこのイベントでの食事等を。

僕の細道-あしかがひめたま

今回のイベントでは、わたあめやポップコーン、
甘酒などの出店がありました。
ひめたまのイラストも。

僕の細道-あしかがひめたま

さらに、会場ではおもむろに餅つきが始まりました。
いよいよ祭りっぽくなってきたな、という感じ。

僕の細道-あしかがひめたま

隣の出店で買った甘酒を飲みながら、
このつきたての餅を頂きました。
完全に正月気分です(笑)

ちなみに、甘酒も餅も価格は何と50円!
始め100円だったようですが、
なぜかイベント開始後すぐに半額に値下げされました。
ポップコーンやわたあめも同様だったようです。
100円では売れないと踏んだのでしょうか?

しかし他の商品は分かりませんが、
つきたて餅が3個程入って50円と言うのはあまりに安かったのか、
すぐに売り切れてしまいました。
ある意味では、行列が出来ていたひめたまグッズよりもレアだったかも?

ひめたまイベントでは、付随して安価に良質な軽食が手に入る事が多く、
個人的にはそれも隠れた楽しみになっています。

僕の細道-あしかがひめたま

一つだけ、明らかに異色の出店もありました。
「ジェラート」?このクソ寒いのにアイスかよ!
……と思いましたが、アレなのぼりに釣られてついつい……。

僕の細道-あしかがひめたま
僕の細道-あしかがひめたま

実はこちら、「イーたんジェラート」という、
萌えキャライラスト付きのアイスクリームの出店でした。
話を聞いたところ、お隣の群馬県館林市んにある、
「ジェラートの丘」というアイスクリーム店なのだとか。

「イーたん」自体は、栃木県の名産いちごをイメージして作られた、
同人サークル発のご当地萌えキャラのようです。
「いちごのくにのイーたん」という企画で、
このあたりの土産物などのパッケージに使ってくれる店を募集してるのだとか。

詳細はこちらの「いちごのくにのイーたん」公式ページを参照。
http://tekken.dee.cc/ichigo/index2.htm

「イーたんジェラート」を扱う、館林の「ジェラートの丘」の詳細はこちら。
http://galetonooka.web.fc2.com/index.html

ここの「Gallery」のページを見ると分かるのですが、
このお店もかなりキてます。
色々な意味で一度訪ねてみたいお店ですね。
日頃「アンジェラ」は店にいるんでしょうか?
http://galetonooka.web.fc2.com/gallery.html

それにしてもこの地域、
既に「萌えおこし」がじわじわと浸透して来ているようですね。
やはり同じ東武伊勢崎線沿線の鷲宮の影響でしょうか。
次は太田、桐生、伊勢崎、佐野あたりに飛び火するかも?
これから両毛地域は要注目です。

僕の細道-あしかがひめたま

イベントを一通り楽しんだ後は、神社から徒歩5分程度の、
「開国屋」という、地産地消レストランらしき店に行きました。

僕の細道-あしかがひめたま

それというのも、こんな特別限定メニューがあるからなんです!
何と「ひめたまハンバーグセット」!!
実は、この件については全く事前に知らなかったのですが、
会場にPRが出ていたもので。

ただ、イベント参加者の多くが押し寄せたので、
店はパンク状態になり、私と友人が店に入ったときには、
既に一時間待ちの状態(苦笑)
お店の方もびっくりしたんじゃないでしょうか。

しかし、これでこのお店はひめたまファンにはしっかりと認識されたでしょう。
会場の門田稲荷神社(下野国一社八幡宮)周辺には、
飲食店らしき店は他にあまり見あたらず、
神社参拝時には重宝しそうですから、
なかなかいいプロモーションになったのでは。

僕の細道-あしかがひめたま

そして、これが「ひめたまハンバーグセット」です。
写真左下に、特典の「ひめたま焼印木札」が。
さらに……

僕の細道-あしかがひめたま

何と、ハンバーグの隣に、
木札と同じ焼印を押したと思われるかまぼこが!
粋な事をするお店ですね。
お味の方もなかなか。
大根おろし系とタレ系の、
二種類のソースがかけられたのもよかったです。
ごはんは足利産の米を炊いたもので、
「あしかがを元気にしよう!」というひめたまの趣旨にも沿ってますね。

僕の細道-あしかがひめたま

こちらがひめたま焼印木札。
ひめたまが神社に関する企画だから、
木札という選択肢になったのでしょうか。
神社ではほとんどどこでも木札(木のお札)を頒布していますので。
つまり、これは「ひめたまお札」という事ですね。

なお、この「ひめたまハンバーグセット」は、
開国屋足利店で2月いっぱい取り扱うとのこと。

開国屋公式サイトはこちら
http://www.kaikokuya.jp/


「ひめたまハンバーグセット」の詳細はこちら
(ひめたま公式サイト内)
http://www.himetama.jp/collabo.html

次回もひめたまに関する記事の予定。
引き続き、2月13日に行われた、
「あしかがひめたま」のイベント、
「門田みたま生誕前日祭」の様子をお伝えします。

「門田みたま生誕前日祭」の会場は、
足利市の下野国一社八幡宮で、その境内の傍らに、
「たまちゃん」こと「門田みたま」を祭る、
「門田稲荷神社」が鎮座しています。

門田稲荷神社は、境内の端の方にあるので、
生誕前日祭で賑わっている場所からは若干離れています。

しかし、たまちゃんの生誕前日祭だけに、
参拝しなくては話になりません。

僕の細道-あしかがひめたま

たまちゃんこんにちは、お誕生日おめでとう……
って、どうも神社の雰囲気がおかしいぞ?!
何だこのプレッシャーは!

僕の細道-あしかがひめたま

おわあああああああ!!
やっちまってるううううーーーーーーーー!!!

僕の細道-あしかがひめたま
僕の細道-あしかがひめたま

これらの写真は合成ではありません。
本当に社殿の前にひめたまのポップが飾ってあるのです。
まあ、ご祭神の神像ではありますけどね。
しかしこの神社、アバンギャルドというか、大らかというか。
ひめたまのこういうところが、個人的には好きなんですが。
何というか、足利市というところは色々と凄いところだと思います。

僕の細道-あしかがひめたま

さて、今回のイベントでは、
日頃非公開の、八幡宮の宝物殿も公開されました。
日本中の神社や歴史民俗資料館を巡るのが趣味の私にとっては、
こちらも興味津々。

僕の細道-あしかがひめたま

殿内は撮影可能なようだったので、
何枚か写真を撮らせて頂きました。
こちらは八幡宮本社再建図。
足利市の文化財のようです。

現在の下野国一社八幡宮の社殿は、
文化十一年(1814年)とのことですので、
その頃のものでしょう。
なお、八幡宮の社殿については、
こちらの過去記事を参照。
http://ameblo.jp/bokunohoshomichi/entry-10732230606.html

僕の細道-あしかがひめたま

門田稲荷神社に奉納された絵馬。
門田稲荷神社が合祀される前の、江戸時代のものでしょうか。
「日本三大縁切稲荷」の一つに数えられるだけあって、
独特の「縁切り絵馬」が奉納されています。
男女が互いに背を向け合って祈るという、
非常に珍しい図柄。
民俗学的には非常に興味深く、貴重なものだと思います。

僕の細道-あしかがひめたま

このような祝詞も展示されていました。
文章を読むと、栃木県知事が、天皇即位の大嘗祭にあたり、
幣帛を献上し、天皇による統治の下、国家の繁栄を祈る、
という内容になっており、
県知事の名前からして、大正時代のものと思われます。
この祝詞を思わず口に出して読み下していたら、
隣の歴史愛好家らしき人達に、驚かれてしまいました(苦笑)
まあ、一応元本職ですから。

この他、日本刀や甲冑、検地帳などが展示されていました。
なかなか充実した展示内容でした。
「たまちゃん」が祭られる門田稲荷神社の、
古い信仰の一端がうかがえるという意味でも、
生誕前日祭にふさわしいものだったと思います。

次回は生誕前日祭の飲食に関する記事の予定。
このところ長崎旅行記を書いていましたが、しばらく中断して、
2/13(日)に行われた、「あしかがひめたま」のイベントの様子をお伝えします。
写真が多いので、5回くらいに分けて書く予定です。

なお、「あしかがひめため」についての詳細は、こちらの公式サイトをご覧下さい。
http://www.himetama.jp/index.html

僕の細道-あしかがひめたま 僕の細道-あしかがひめたま

こちらが今回のイベントのパンフレット。
今回は「門田みたま生誕前日祭」。
「たまちゃん」こと「門田みたま」が祭神として鎮まる、
門田稲荷神社の大祭の前日に行われました。

なお、門田稲荷神社は、足利市内の下野国一社八幡宮の境内社であるため、
八幡宮の境内が会場となりました。

僕の細道-あしかがひめたま 僕の細道-あしかがひめたま

イベントは午前11:00開始ということだったので、その数分前に着いたところ、
既に境内には行列が出来ていました。
今回は、ひめたまグッズの新作が多数リリースされたのですが、
それを買い求めるファンの行列という訳です。

既存のグッズを売る出店と、新作グッズのみを売る出店に分かれる程の人出。
最初に並んでいる人だけでも、百人はいたのではないでしょうか。

それにしても、神社とこの手の出店・行列という組み合わせは斬新過ぎ(苦笑)

僕の細道-あしかがひめたま

イベント開始30分程で、行列も解消したのですが、
その後しばらく境内は賑わっていました。
おかげで一応祭りらしい雰囲気も出ていました。

僕の細道-あしかがひめたま

缶バッジのガチャガチャもありました。
その他様々な体験コーナーも。

僕の細道-あしかがひめたま

飲食物の出店もそれなりに充実。
今回の飲食に関しては、後日、別記事で書く予定です。

僕の細道-あしかがひめたま 僕の細道-あしかがひめたま

このようなパネル展示などもありました。

僕の細道-あしかがひめたま

午後には、お絵描きコーナーの作品も展示されていました。

僕の細道-あしかがひめたま

ひめたま公式痛車もお目見え。
ところでパンフには「巫女さんが来る」みたいな事が書いてありましたが、
どう見てもコス(ry
まあ、巫女さんの定義というのは、それほどしっかりある訳でもないし、
正月だけのアルバイト巫女も多いし、
ここは巫女さんが常駐している神社でもないし、
何でもいいんですけどね(笑)

僕の細道-あしかがひめたま

こちらは個人の方が持参されていた、
たまちゃんドルフィーです!
素晴らしい出来です!!羨ましい!!!
製品化希望。服だけでも売ってくれれば、
あとは何とかなるんですが……。

次回は、驚くべき門田稲荷神社の様子と、
特別公開された宝物殿についての予定。
西彼杵半島を南下し、長崎市街に入った頃には、
すっかり夜になってしまいました。

長崎市街では、とりあえず夕食を摂ることに。
長崎の街は今回が初めての訪問ですが、
ガイドブック等を見たところ、
長崎電鉄(長崎電気軌道)の思案橋電停付近が繁華街で、
飲食店も比較的遅くまで営業しているようだったので、
思案橋へ行ってみました。

僕の細道-ツル茶ん

どんな長崎名物を食べようかな~、とブラブラ歩いていると、
ガイドブックで見た「ツル茶ん」という店に出くわしましたので、入店。

僕の細道-ツル茶ん

「ツル茶ん」は、大正時代創業の老舗の洋食屋です。
なんと、九州最古の喫茶店なのだとか。

僕の細道-ツル茶ん

九州最古の喫茶店にふさわしく、
店内もレトロな雰囲気が漂っています。

僕の細道-ツル茶ん

で、ここで食べたのが、長崎名物トルコライス。

知らない人もいると思いますので、どんなものか説明すると、
ピラフまたはサフランライス、ナポリタンスパゲティ、
ドミグラスソースのかかった豚カツが、一つの皿に乗っているのが一般的です。
もちろん、店や地域によって、多少違いはあります。

私にとって、トルコライスといえば、
十五、六年前に、大学の学食でよく食べていたメニューとして、
印象に残っています。
その頃は「トルコライスって何だ?」と思いつつも、
あまり追究しないまま忘れ去ってしまいました。

その後、五年くらい前、長崎旅行をしてみようかと思い、
ガイドブックを読んだとき、
初めてトルコライスが長崎名物と知ったのでした。

トルコライスは長崎以外にも、神戸や大阪などで見られるようですが、
1950年代に長崎で誕生したとされるのが有力です。
起源ははっきり分からないようですが、
この「ツル茶ん」は、ごく初期のうちから提供していたものと思われます。

ちなみになぜ「トルコライス」というのかもよく分からないようですが、
イスラム教国であり、豚肉を食べないトルコには、
このような豚カツの乗った料理はありません。

僕の細道-ツル茶ん

トルコライスを食べた後は、デザートのミルクセーキ。
えっ?これがミルクセーキ?と思う人も多いでしょうが、
長崎でミルクセーキといえば、
このようなシャーベット状の氷菓子で、「食べる」ものなのです。
逆に長崎の人が、県外で液体の「飲む」ミルクセーキに出会い、
驚くこともしばしばとか。

ちなみにこの長崎流ミルクセーキは、
「ツル茶ん」が発祥なのだそうです。

お味はどちらも絶品!
長崎に着いて最初の食事でしたが、
満足できて何よりでした。
西海橋を渡り、西彼杵半島の西海岸を南下。
東シナ海沿いのルートで、国道202号、通称「サンセットオーシャン202」を走ります。

僕の細道-西彼杵半島

こちらは途中の西海市西海町七釜郷(ななつがまごう)の、
入り江に架かる七釜大橋です。

僕の細道-西彼杵半島

上の写真は、七釜大橋より南、内陸側を望んだところ。

僕の細道-西彼杵半島

こちらは、七釜大橋より北、海側を望んだところ。
この先は、細長い入り江になっていて、
外洋への出口あたりに、七釜港があります。
そして、この七釜大橋の近辺に、
七釜の集落が広がっています。

ここ七釜は、早岐同様、肥前国風土記で土蜘蛛が登場する場所です。
風土記によれば、このあたりは、かつて「浮穴(うきあな)の郷」と呼ばれ、
「浮穴沫媛(ウキアナワヒメ)」という土蜘蛛が住んでいたとか。
その頃、十二代景行天皇が九州を巡り、
各地で朝廷に従わない人々を討ち滅ぼしていましたが、
この浮穴沫媛も天皇に従わなかったため、
天皇の部下に滅ぼされた、という話です。

詳しい事は、拙サイト「邪神大神宮」の「古代土蜘蛛一覧」に書いてありますので、
そちらをお読み下さい。
http://www.jyashin.net/evilshrine/gods/tsuchigumo_shrine/tsuchigumo_ancient_02.html#17

ただし、「浮穴の郷」の候補地はいくつも挙げられており、
確定している訳ではなく、
ここ七釜はその候補地の一つ、というだけです。

ただ、「浮」「沫」とか、水辺を連想させる人名なので、
そこの候補地には、七釜のような海岸が多く挙げられています。

しかし、早岐の速津媛といい、浮穴沫媛といい、
古代の肥前では、数多くの女性首長が目立ちます。
上に書いた「古代土蜘蛛一覧」を見れば分かりますが、
この他にも肥前国風土記には沢山の女の土蜘蛛が出てきます。

僕の細道-西彼杵半島

七釜よりさらに南へ。ここは西海市大瀬戸町雪浦(ゆきのうら)です。
このあたりにも、風土記には土蜘蛛がいたと書かれています。

風土記によれば、ここは「周賀(すか)の郷」と呼ばれていました。
神功皇后が新羅を征伐するためこの郷に来たとき、船を杭につないでおいたら、
その杭が磯になってしまい、さらに従者の船は風に流された上に沈んでしまいました。
そこで、この地に住む、鬱比表麻呂(ウツヒオマロ)という土蜘蛛が、
その船を救ったといいます。

詳しい事は、やはり拙サイト「邪神大神宮」の「古代土蜘蛛一覧」に書いてありますので、
そちらをお読み下さい。
http://www.jyashin.net/evilshrine/gods/tsuchigumo_shrine/tsuchigumo_ancient_02.html#18

ここ雪浦は、その「周賀の郷」の候補地の一つです。
「周賀の郷」の場所に関しても、やはり諸説あり、確定はしていません。
ただし、話の内容から、「周賀の郷」は海岸以外に有り得ないでしょう。
また新羅征伐途中の寄港という条件から、東シナ海沿岸が想定されることもあり、
候補地は西彼杵半島のどこかかが多いようです。

また、この鬱比表麻呂は、海辺に住み、船を救っているところから、
間違いなく海洋民でしょう。
皇后一行の危機を救っているところも、土蜘蛛伝承としては異色です。

古代の土蜘蛛というと、山岳に住んで、
朝廷に従わない「蛮族」のような事がよく言われます。
確かに記紀、特に古事記だけ読むと、そのような印象を受けます。

しかし風土記を読んでみると、土蜘蛛に対する印象はかなり変わります。
特に、肥前国風土記では、

・女性がかなり多い
・海沿いに住んでいる者も多い(島に住む者も複数いる)
・朝廷側に反逆するだけでなく、貢献したと書かれる者も一人ではない

といった特徴があります。
この三つだけで、古代の「土蜘蛛観」が大きく変わります。

僕の細道-西彼杵半島
僕の細道-西彼杵半島

雪浦から、沖合いを望んだところ。
このあたりの海は角力灘(すもうなだ)と呼ばれますが、
「周賀の郷」はこの角力灘周辺のどこかにあった、という説もあります。
もちろんここ雪浦も角力灘沿岸に含まれているのですが。

角力灘と、そこに浮かぶ島々を眺めているうちに、
日が沈んでいきました。
まさに「サンセットオーシャン」です。

次はいよいよ、今回の旅行の本命、長崎市です。
早岐瀬戸の見学後、観潮橋を渡って針尾島の北東端へ。
そして針尾島の南西端へと進むと、長崎県を代表する観光名所の一つ、
西海橋があります。

僕の細道-西海橋

西海橋は、佐世保市の針尾島と、西海市の西彼杵半島を結ぶ橋で、
間の海は針尾瀬戸と呼ばれます。
前回書いた早岐瀬戸と、この針尾瀬戸に区切られて、
針尾島は島となっている訳です。

僕の細道-西海橋

針尾瀬戸を船が進んでいきます。
これを見ると、針尾瀬戸と、西海橋の大きさが分かるのではないでしょうか。
早岐瀬戸と比べると、やや幅が広いですが、
両岸が切り立った崖になっており、峡谷のような景色が広がっています。
針尾瀬戸も、早岐瀬戸同様、非常に潮の流れの速い場所で、
渦潮が見られる事でも有名です。

僕の細道-西海橋

上の三枚の写真は、いずれも北側から西海橋を望んだもので、
橋の向こうは、大村湾です。

僕の細道-新西海橋

この西海橋は、全長316m、高さ42mで、
1955年(昭和30年)に完成し、
当時は「東洋一のアーチ橋」と言われました。
今から45年くらい前ですが、
私の母も修学旅行で見学したそうです。
なお、西海橋は日本初の有料橋でもありました。
現在は無料です。

僕の細道-新西海橋

佐世保市側の橋のたもとから、南を望んだところ。
大村湾が広がっています。

僕の細道-西海橋

西海橋のすぐ北側に、2006年(平成18年)、
全長600m(主橋部は300m)の「新西海橋」が架けられました。
こちらは西海パールライン有料道路の一部です。

僕の細道-西海橋

左が西海橋、右が新西海橋。
両者の位置関係は、このようになっています。

僕の細道-大村湾

新西海橋は、新しい橋だけあって、
西海橋に比べると、複雑な作りになっています。
アーチ橋の形態を踏襲しているのはなかなか面白いところですが。

僕の細道-新西海橋

新西海橋は、上部に有料道路、
下部に歩行者専用道があります。
歩行者専用道は無料ですが、
3月~10月:7時~20時 11月~2月:8時~17時と、
通行可能時間が決まっているので注意。
ちなみに西海橋の二枚目・三枚目の写真は、
この新西海橋から南側を向いて撮影したものです。

僕の細道-針尾瀬戸

新西海橋歩行者専用道の中央には、
展望スペースがあります。
こちらは展望スペースから北側を望んだところ。

右側に立つ、3本の煙突のようなものは、
1922年(大正11年)に完成した「針尾送信所」。
旧日本海軍の無線送信所で、
かの真珠湾攻撃開始の暗号、
「ニイタカヤマノボレ一二〇八」を中継したものだとか。

現在は海上保安庁が管理していますが、
無線塔としては使われておらず、
文化財としての保存が検討されています。
1997年(平成9年)までは現役だったというのも驚きですが。

僕の細道-新西海橋

新西海橋の展望スペースの床には、
このようなガラスがはめ込まれていて、
直下の海を見る事ができます。
渦潮発生時には、かなりの見応えがあるのではないでしょうか。
なお、海面からの高さは32mだそうです。

新西海橋の歩行者専用道へ行くには、
西海橋のたもとにある駐車場を利用すると便利です。
ただし、新西海橋を一部として含む西海パールライン有料道路からは、
この駐車場には直にアクセスすることが出来ません。
有料道路の方こそ、
橋のたもとにサービスエリアやパーキングエリアを作って、
橋自体を楽しめるようにすべきだと思うのですが……。

西海橋が古くから観光地として存在してきたために、
橋のたもとがそのためのスペースで占められてしまっていて、
新たにサービスエリアやパーキングエリアを作るための、
スペースの空きがないのでしょうか。

この後は、西彼杵半島を進んで行きます。