新型コロナ。

第二波。

 

いろいろ言いたいことはありますし、この件は誰でも言いたいことはあると思います。

思い返すといろんなモノもこの期間に登場しましたね。。

お肉券、お魚券、コラボ動画、なんとかノマスクとその発注先疑惑、最近では”Go to”とイソジンか…。

 

 

 

ほんまにええ加減にせえよ 言いたいことはたくさんありますが、本題ではないのでここはぐっとこらえて。

 

 

この期間、僕が関係の深い業界であるスポーツ界もかなりの影響を受けました。

経営では戦略というものを立てますが、見通しが立たない現状は本当にきつい。

もとより正解のない世界だとは理解しているものの、正解に近いものを見つけたと思ったらすぐに変化する社会情勢。

 

 

 

改めて、スポーツは社会が安定していないとできないものだなと実感しています。

感染症に限らず、紛争や暴動など社会が安定していないと当たり前だがスポーツどころじゃない。

 

 

 

 

 

 

 

そんなことを考える、いつもと違う8月15日。

8月15日に僕が考えること

 

 

 

 

「スポーツを通して勇気を与える」というようなフレーズにはよく出会ってきたけれど、本当はそうじゃない。

むしろスポーツは与えられる側だと感じています。

こういう状況だからこそ、僕はスポーツは一定の条件を満たさないと練習すらできないし、その条件を満たすために多くの人たちの長期にわたる尽力が必要ということを強く感じています。

 

 

 

もちろん、スポーツが勇気を与えることで救われるフェーズは確かに存在します。

でも例えば経済的に困窮している時に必要なのはスポーツによる勇気じゃなくて公的機関による経済的支援だ。

 

 

 

スポーツによる勇気や楽しさが意味を持つのは、生命と経済が最低ライン保証されてからでしかない。

 

 

 

スポーツはそういう面ではものすごく無力。

 

 

 

命に関係するような出来事の前に、スポーツはあまりに無力であまりに優先順位が低いものだ。

 

 

 

僕らはこのことを忘れてはならないと思う。

スポーツの持つ力はものすごく大きい。

社会を動かす力すらある。

価値観に影響を与える力も、人生を変える力もある。

 

 

 

スポーツはものすごく大きな力を持つ。

それと同時に無力である。

 

 

 

僕らはこのことを踏まえて、それでもスポーツの価値や力を伝えていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お読みいただき、ありがとうございました。

 
 

 

 

 

 

 

全てはパフォーマンスアップのために。

 

 

 

 

 

 

中野 崇

 

 

 

 

 

 

追伸1

記事として書くかどうかは別として、毎年8月15日はいろんな意味で自分のバックグラウンドや社会構造、歴史を考える機会になっています。

そのたびに感じること。僕が大好きなスポーツというものは、社会と密接に結びつき、影響を与え合い、時に利用もされてきたもの。

否定しようが肯定しようが、スポーツがそういうシステムを内包していることは歴史が証明してきました。

だから僕らは、スポーツが好きであればあるほど、スポーツの魅力を知っていればいるほど、スポーツがずっと繁栄を続けていってほしいと願えば願うほど、「政治」に興味を持たねばなりません。

社会のルールや社会が進む方向を決める人たちを決める行為だからです。

僕は若い人たちやスポーツ選手が政治について意見を持つことはかなりクールな行為だと思うんだけどな。。

 

 

 

追伸2

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