8月12日8時17分父が逝った。

もう長くはないと思ってはいたが、それでももう1ヶ月くらいは大丈夫だと勝手に想像していた。たとえ

意識はなくなっても、植物状態であったとしても生命はあると思っていたのに、あまりにも呆気なく逝っ

てしまった。


 7月24日、主治医より、今日から緩和ケアに入るとの説明があった。傍目でも、どう思って見ても治る

見込みはなく、これ以上苦痛を強いるのは立場を自分に置き換えてみても耐えられない。
 
しばらくは穏やかな日が続いたが、ずっと続く筈もなく、亡くなる一週間ほど前から、状態が思わしくな

くなってきた。夜中に一人でトイレに行く途中倒れて意識を失ってしまい数時間誰も気が付かずにいたの

だ。

看護師さんには必ず連絡するようにと言われていたのだが、自尊心が働いたのだろうか、それとも自分で

人に頼りたくない、トイレくらい大丈夫と思っていたのだろうか。

6月24日に入院してから1ヶ月余り、ずっとベッドに張り付けで、薬と水以外殆ど口からは物を採らない

で、点滴だけで過ごしてきたのだから体力の衰えは本人が思っている以上に進んでしまっていた。



鎮痛剤の影響もあるのだろう、本人曰く「まるで夢遊病者みたいに意識の外側で、身体が勝手に起き上が

って動いていた。」 というのだが、この時を境に言葉が次第に不明瞭になり、昔のことを喋り出したり

しだした。

死の前日、突然「今言っておきたいことがある。明日では遅い。」と言って叔父を呼び出して何か喋った

そうだが、結局何を言いたいのか、言っているのか聞き取れなかった。今から思えば、残された時間は多

くないことを自分で悟っていたようだ。

途中で、お医者さんに頼んで家に帰してもらおうかといったことも何度かあったが、「家で突然痛みに襲

われたり、不測の事態に陥ったとき誰が診てくれるんだ。」と言って、本人のほうが冷静に考えていて、

最期まで病院のベッドで過ごした。


とりあえず、お盆ということもあり15日に密葬を済ませ、10日後に本葬。

これが厄介だった。葬式を2回することになる。その間にたくさんの人が朝から夜まで弔問に来てくださ

る。

その間、接待をしているとその日の予定が大幅に狂ってしまう。

会葬参列者の名簿の整理、香典返しの有無など簡単なようで結構時間がかかる。特に本人しか分からない

関係者には困った。生前に父の書斎の机の内外、本棚、ロッカーをごそごそ出来るはずもなく、どこに何

が置いてあるのか全く分からず、不要なものから整理をしていった。未だに手付かずのところが多々あ

る。



時間が全てを解決してくれるというが、何とか四十九日忌明け法要までこぎつけた。

ほっと一安心したのか最近胃が痛い。自分ではそれ程気を使ってはいないし、何もしていないのだが、そ

れなりに疲れていたみたいだ。母も家内も体調が思わしくないようだ。

人は生まれるのも死ぬのも一人だが、後のことを思えば、死ぬことによって周囲に与える影響は非常に大

きい。特に本人が現役であればなおさらだ。悲しんでいたり、思い出に耽っている時間はない。 


最近、夕食が終わってから父の書斎に入って、仕事をしているが、慣れない仕事が多すぎて、つまらない

こと、簡単なことでもすぐには出来なくて時間がかかってしまう。

しばらくは真面目に過ごすしかないようだ。