https://twitter.com/T_WhoNew/status/685091021747687424
>【受験勉強の注意点】 受験対策といえば、一般的に過去問を解いて志望校に合格するわけですが、これは、そのレベルに「最適化」が起こっているだけなのでクリエイティヴィティが発揮されているわけではありません。 やりすぎると脳の抽象度が上がっていかなくなってしまいますので、注意が必要です。
此れなぁ…言いたい事は分かりますし,そもそも上記引用ツイートの元発言者である舟生さんは,勿論分かって言っています.
また,当サイトで随時参照している,苫米地英人著「頭のよい子の親がしている28の習慣」を再読しても,同様の事は書かれています(例えば,167ページ:
>本当にやりたいことをするためにIQを上げる。そして、周囲を納得させるために、高いIQを少しだけ使う。これが賢い人の格好のよい受験の仕方です。
).
しかし,実際に日本の制度下で「受験勉強(大学入試対策)」をマトモにやった立場からすると,必ずしもそこまでヌルい話でもないように思われる訳です.
私自身は知能検査で「上側異常」として検出される程度にはIQが高い事が判明していますが,それでも東京大学や国公立医学部医学科に合格する為には概ね「丸2年間」程度の受験勉強量は必要と認識しています(当事者・指導者としての経験の上で).
また,社会一般においても,「使える」人を拾ってこようと思って,確率的に「当たりを引く確実性」を求めていくと,結局のところは往々にして大学受験時の偏差値のような"ラベル"による評価が可能な人的集合(集団)に収束していく,という事が,経験上は見えています.
そこで例えば,「偏差値秀才は社会的に使える(役に立つ)のか?」という形で設問を立てたとすると,字面的には「『偏差値』の切り取り方の範囲にも依る.東大や早稲田・慶應の上位層みたいなのは概ね使える.地方国立大学の平均以上トップ以外みたいな『中途半端な良い子秀才』だと微妙」といった結論になります.
私自身が長きにわたりやってきたのは,上記のような目論みを背景前提とした「フィルタリングの方法論」の模索,という事であり,それ故に例えば「保険数理」のような専門分野に関心をもって学んできた経歴もあります.
とは言え,これでさえも,方法論の圧倒的仰々しさの割には「確実性」をそこまで保証出来る訳でもなく,敢えて言えば「割に合うかはあやしい」程度のコストパフォーマンスの低さ,というのが実情です.その空気感の一端は,上記の「微妙な結論」からも察せられるところかと存じます.
他方で,本来の意味での「IQを上げる」方法論は,上掲苫米地著でも述べられている通りです.同著はおそらく,「中学受験組の親」層をも読者ターゲットとして意図して書かれていると思われますが,其の「成果」たるは未知と言わざるを得ません.
私は当サイトで,この苫米地著の方向性と,従来の「偏差値ヒエラルキー教条主義的受験勉強」との「間を縫う」方法論を提示すべく,施策と提言を重ねている次第です.