「綺麗は汚い。汚いは綺麗」という言葉があります。
これは、人間の判断というものは、常に相矛盾しているということです。
例えば、「世界人類に平和を!」と主張する方々にとっては「兵士は敵だ!」という意識があるのと同じです。
本当に世界人類等しく平和を!と思うならば、戦闘に参加する兵士さえも許し、受け入れるのが本筋です。
でも、そうはいかない。
戦争に加担する人=悪、という思い込みがあるからです。
一つの意見を言う、それを信じ、加担するというのは、常に矛盾を抱えているということなんですが、これに無自覚な人はある意味幸せだと僕は思います。
病気=悪いこと。
これも思い込みでしょうね。でも、本音で言えば、病気でなかったら、、、という思いもあります。
でも、人間は平等に「二つの人生は経験できない」わけです。
だったら「まぁ、自分でできることなんてほぼゼロだから、往生せいや!(自然に任せろ)」ということになりますよね。
でも人間には感情があるわけで、そうそう簡単に割り切ることはできません。
余りや端数が気になる。
で、僕が気になるというか、嫌いなのは「クリエイター」という言葉や身分です。
これは近親憎悪に近いもので、「私は〇○クリエイターです」という自己紹介や身分を聞くと、ぞぞ気が立ちます。
なぜかというと、本当のクリエイターというのは、自分の立ち位置とか立場とか資格とかを決めたくない人達だと思うからです。
常に「自分は誰だ?」と思うのがクリエイターだと僕は考えます。
自分は誰?と思うのは、神目線です。
真の自分を見つめる人こそ、クリエイターだと思うのです。
常に、世界を、自分を疑ってかかり、再構築する人とでも言いますか。
そんなわけで、僕は、「クリエイター」と名乗る人がいたら、まず疑ってかかります。
事務職でも、営業でもクリエイティブな人はいます。
制作やクリエイティブ職でなくても、クリエイティブな人は絶対にいます。
大体そんな人は、どこかに「狂気」じみたものを垣間見せます。
「怖さ」を持っています。
「寂しさ」を漂わせています。
「笑顔」を隠しています。
結局のところ、何が言いたいかって、僕は何者かな?と。
一生問い続けると思います。
でも、答えは分かっています。