目指せ董卓!奇妙なご縁だしな | ヤモリのつぶやき

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日々のニュース解説等をつぶやきます......

 日本では支那古典がやたらと好まれた時代があった。
 これは昔、欧米文化がなだれ込む前までは、支那が日本の大先輩であった頃の名残だ。
 また、優秀な古典も多いから、今日に於いても愛読されるものも少なくない。
 論語など、まさにそれだ。
 そんな中で三國志といえば、ゲームや漫画にもなったほど、大人気の支那古典である。
 ところが、当の支那ではあまり重視されない。
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日本人はなぜ「三国志」が好きなのか―中国メディア 2017年8月6日
https://www.excite.co.jp/News/chn_soc/20170806/Recordchina_20170806000.html
「三国志」を題材とする映画やドラマは、中国人だけではなく、日本人にもよく知られており、人気も高い。ここ最近、中国で大ヒット中の大型歴史ドラマ「大軍師司馬懿の軍師連盟」はまだ日本で放送されないにもかかわらず、すでに大きな話題となっている。実は、日本人は「三国志」に対して中国人にも負けないほど興味津々であるという。
1995年、ドラマ「三国演義」は日本のNHKで放送され、非常に高い視聴率を獲得した。日本人は「三国演義」を「中国で最も素晴らしい大河ドラマ(歴史ドラマ)」と賞賛した。ジョン・ウー(呉宇森)監督による映画「レッドクリフ」(原題: 赤壁)は、日本で上映されたアジア映画の中で最も高い興行成績を記録した。

日本神戸市の長田区には、三国志の登場人物の彫像や三国志美術館、公園などが建てられており、まるで三国志テーマパークのようだ。さらに、日本では三国志検定までもある。この検定は2008年から、東京や名古屋、大阪などの都市で実施されている。受験料は少なくとも4980円かかるのだが、何千人もの受験者がいたという。

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 筆者もご多分に漏れず、三國志や水滸伝、論語、孫子や荀子、韓非子など、支那古典にハマった時代があった。
 それがその後の支那への理解などへつながることになった。

 今思うに、近代の支那古典ブームは赤化の策略だったのかもしれない。

 

 さて、先日、面白いニュースが飛び込んだ。
 あまりに「やっぱり」なネタだったのでスルーされた方も多かろう。
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中国・習近平「ずっと俺がやる」憲法改正で国家主席の任期撤廃へ  2018年02月25日
http://hosyusokuhou.jp/archives/48811692.html
【北京時事】新華社電によると、中国共産党中央委員会は25日、憲法が規定する2期10年の国家主席と副主席の任期を撤廃する憲法改正案を提示した。2013年に就任した習近平国家主席が23年以降も主席にとどまり、長期政権を可能にする狙いがあるとみられる。
中国の憲法第79条第3項は、国家主席と副主席の任期について「2期を超えて連続して就任することはできない」と定め、3選を禁じている。党中央委はこれを削除し、「全国人民代表大会(全人代)の毎期の任期と同一とする」との部分だけ残すよう求め、任期の上限を事実上なくした。憲法改正案は3月5日に開幕する全人代で審議され、可決される見通し。中国の憲法改正は04年以来14年ぶり。

https://www.jiji.com/jc/article?k=2018022500443&g=int
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中国、国家主席の任期撤廃の改憲案提出 習近平氏の長期政権に現実味 2018.2.25
http://www.sankei.com/world/news/180225/wor1802250025-n1.html
【北京=藤本欣也】中国共産党中央委員会が、国家主席の任期を連続2期10年までとする条文を憲法から削除する改憲案を、全国人民代表大会(全人代=国会)に提出したことが25日、明らかになった。3月5日に開幕する全人代で可決される公算が大きい。中国国営新華社通信が25日、伝えた。
 現行憲法では、2013年に国家主席に就任した習近平氏(総書記)の任期は22年で終わる。改憲案が可決され、任期が撤廃された場合、23年以降の3期目の続投も可能となる。建国の父、毛沢東に匹敵する異例の長期政権に向けた布石といえる。
 全人代では、習氏の指導理念を憲法に明記する改憲案も承認される見通し。党内外では習氏への個人崇拝の動きが広がっており、習氏の独裁体制が一層強化されることになる。
 国家主席は国家機構のトップで、国家元首に相当する。党トップである総書記の任期については党規約に明確な規定はない。

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 このニュースを見て、筆者はある人物を思い出した。
 三國志の冒頭に出てくる董卓だ。
 こんな方。
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 董卓
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%A3%E5%8D%93
董 卓(とう たく、? - 初平3年4月23日(192年5月22日))は、中国後漢末期の武将・政治家。涼州隴西郡臨洮県(甘粛省定西市臨洮県)の人。字は仲穎(ちゅうえい)。
辺境の将軍の1人にすぎなかったが、軍事力を背景に次第に頭角を現すようになった。霊帝死後の政治的混乱に乗じて政治の実権を握り、少帝を廃して献帝を擁立し、一時は宮廷で権勢をほしいままにしたが、諸侯や他の朝臣らの反感を買い、最期は側近で養子になっていた呂布に殺された。『三国志』魏志及び『後漢書』に伝がある。
以下抜粋
長安で死す
初平2年(191年)、胡軫・呂布らが率いる董卓軍が孫堅と戦い、華雄が討たれるなど大敗した(陽人の戦い)。このため、同年4月、董卓は洛陽を焼き払い、長安に撤退した。
董卓は長安に着くと太師と称し、董旻、董璜ら一族を皆朝廷の高官に就け、外出するときは天子と同様の青い蓋のついた車を乗り回すようになった。長安でも暴政を布き、銅貨の五銖銭を改鋳したために、貨幣価値が乱れた。長安近くの郿に長安城と同じ高さの城壁をもった城塞を築き(郿城・郿塢と言われる)、30年分の食糧を蓄えていたという。董卓の暴虐ぶりはあいかわらずで、逆らった捕虜は舌を抜かれ、目をえぐられ、熱湯の煮えた大鍋で苦しみながら殺された。捕虜の泣き叫ぶ声は天にこだましたが、董卓はそれをみて笑い、なお平然と酒を飲んでいたという。董卓に信任されていた蔡邕は董卓の暴政を諌めたが、一部を除きほぼ聞き入れられることはなかった。
董卓が太師に就任する儀式の際に、壇上に上る自分に皇甫嵩一人だけが頭を下げなかったことに気づき、董卓は「義真(皇甫嵩の字)、まだかな?」と改めて促し、皇甫嵩も果たして「これは失礼した」と従っていた。皇甫嵩があくまで遜り忍従する態度を貫いたため、董卓は皇甫嵩と和解したという(『山陽公載記』及び『漢紀』)。
一方で、かつての上司である張温を憎み、袁術に通じていたという理由で殺害した。 董卓は大鴻臚の韓融、少府の陰脩、執金吾の胡母班らを関東への使者として送ったが、袁術と王匡に韓融を除いてことごとく殺害されたという。 関東の諸侯らは袁紹派と袁術派に分かれて互いに争うようになっていた。また、長安遷都に反対した朱儁は中牟において挙兵し、献帝の奪還を狙っていた。董卓は袁紹の背後の幽州の劉虞や公孫瓚に官位や爵位を贈って袁紹への牽制とする一方で、娘婿の牛輔に李傕・郭汜・張済らを部下につけて関東に派遣した。牛輔らは中牟で朱儁を破り、兗州陳留郡・豫州潁川郡の諸県を攻略し、略奪・殺戮・誘拐を行った。
かねてより荀攸は議郎の鄭泰・何顒、侍中の种輯共に董卓を暗殺しようと計画したが、失敗した。鄭泰は逃亡し、荀攸と何顒は投獄された(『三国志』魏志「荀攸伝」)。
このような情勢下で、董卓が都において信任したのは蔡邕の他、司徒の王允と、養子の呂布であった。董卓は王允を尊敬して朝政を任せると共に、武勇に優れた呂布に身辺警護させていた。しかし、王允もまた心中では董卓の暴虐を憎み、尚書僕射の士孫瑞と共に謀議をめぐらせていた。あるとき、小さな過失から呂布は董卓に殺されかけたことがあり、それ以来、恨みを持つようになっていた。王允らは呂布の不安に付け込み、暗殺計画の一味に加担させた。
初平3年(192年)4月、董卓は献帝の快気祝いのために、未央宮に呼び出された。呂布は詔を懐に忍ばせて、同郷の騎都尉である李粛と共に、自らの手兵に衛士の格好をさせて董卓が来るのを待ち受けた。董卓は李粛らに入門を阻止され、怒って呂布を呼び出そうとした。呂布は詔と称して董卓を殺害した。
事件後、長安・郿に居た董旻、董璜をはじめとする董卓の一族は、全員が呂布の部下や袁一族の縁者らの手によって殺害され、90歳になる董卓の母親も殺された(『英雄記』)。また、董卓によって殺された袁氏一族に対しては盛大な葬儀が行われる一方、董氏一族の遺体は集められて火をつけられた。董卓は平素からかなりの肥満体で、折りしも暑い日照りのために死体からは脂が地に流れだしていた。そのことから夜営の兵が戯れに董卓のへそに灯心を挿したが、火はなお数日間燃えていたという(『英雄記』)。長安の士人や庶民は、董卓の死を皆で喜んだ[26]。
王允は董卓の与党とみなした人物に対しては粛清する態度で臨み、名声が高かった蔡邕も含めて皆殺害された。董卓の娘婿の牛輔にも追討軍を差し向けた。牛輔は李粛の追討軍を破ったが、逃走を図って部下に殺害された。残された李傕・郭汜らは王允に降伏を願ったが拒絶されたため、6月に軍を率いたまま長安へ進撃した。李傕らの軍勢は膨れ上がり10万になり、王允は呂布に迎撃させたが敗れ、呂布が逃走すると李傕らはそのまま長安に乱入し、殺人と略奪をほしいままとし、王允を殺害し死体を晒し者とした。
董卓の葬儀のため、部下だった兵士が死体の灰をかき集めて棺に納めて郿城に葬ったという(『英雄記』)。董卓の墓はまもなく暴風雨のため、水が流れ込み棺が浮かび上がるほどの被害に遭った。

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生まれ故郷
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甘粛省定西市
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9A%E8%A5%BF%E5%B8%82
 

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 終焉の地
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 長安
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%AE%89
長安(ちょうあん、中国語: 長安、拼音: Cháng'ān)は、中国の古都。現在の陝西省の省都西安市に相当する。
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 西安
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%AE%89%E5%B8%82
西安市(せいあんし/シーアンし、簡体字: 西安市、拼音: Xī'ān、英語: Xi'an)は中華人民共和国陝西省の省都であり、古くは中国古代の諸王朝の都となった長安である。国家歴史文化名城に指定され、世界各国からの観光客も多い。経済的重要性から大幅な自主権をもつ副省級市にも指定されている。
 
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 董卓はウィキによると逆算で54歳で没したようだ。
 筆者にはどうにも習近平の横暴さや稚拙さが、董卓に重なるのだ。
 董卓の経歴(物語も含む)を見れば見るほど、何かの因果を感じてしまう。

 腐敗追放などをやっているから庶民には人気があるようだが、実際、政敵を理屈をつけて屠っているだけだからだ。
 その他、対外的な活動を見ても、他の指導者がじっくり時間をかけてやってきたことを、拙速に片付け、急いで結果を出そうとする意識が強い
 筆者は鄧小平時代から支那の指導者ウオッチングを続けているのだが、強烈に知恵者だった鄧小平に比べ、代を経るごとにだんだん劣化し、習近平に至っては、いささか支那の指導者としてはダメ臭が漂うと評価している。
 その為、何度か歴代最低の指導者と揶揄したことがある。

 当然、こういった批判が挙がる。
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中国国家主席の任期撤廃、ネットでは北朝鮮化との批判も 2018年2月26日
https://jp.reuters.com/article/china-politics-idJPKCN1GA0SO
[北京 26日 ロイター] - 中国共産党が国家主席の任期撤廃のための憲法改正を提案したことを受け、25日遅くには中国の一部ソーシャルメディアで批判する投稿が相次ぎ、香港の民主化運動家からも非難する声が挙がった。
こうした反応に対し中国政府は、一部の記事を閲覧できなくする一方で党をたたえる記事を掲載するなど、批判を抑え込む動きに出ている。
共産党の憲法改正案が実現すれば、習近平国家主席(64)は2023年以降も続投できることになる。
ミニブログ「微博(ウェイボー)」のユーザーは「ああ、われわれは北朝鮮になるのか」と嘆きの声を投稿。別のユーザーも「隣国の前例にならっている」とのコメントを記した。
この後、ウェイボーは「2期限定」の検索用語を利用できなくし、これらの投稿も25日遅くに削除された。
また、国営の環球時報紙は社説で、改正は主席の任期が終身になるという意味ではないと説明したが、詳細には触れなかった。
共産党機関紙の人民日報もさまざまな人々の話を引用し、大半の人々は改正を支持していると伝えた。
人民日報の「微信(ウィーチャット)」のアカウントは当初、記事に好意的なコメントを掲載していたが、25日遅くにコメントセクション全体が一時使えなくなった。
発表の影響は香港にも広がった。
香港の民主化運動の指導者の1人、ジョシュア・ウォン氏は「1個人への政治権力の集中を容認する今回の動きは、中国が再び、国家の長に習近平という独裁者を据えることを意味する」と批判。
「中国に法律は形式的に存在しているかもしれないが、今回の動きは、中国の法律が個人と党の目的をかなえるために存在していることを証明している」と指摘した。

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 好意的にみれば、後継者不足を補おうとする動きとも言えるんだが、あれだけの人口がいて不足なわけもない。
 実際は、力があるライバルやその身を脅かす人材を全て葬り去ってきたからにほかならない。
 こちらに至っては国民監視と独裁安定化と取られても否定できない。
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中国、顔認証技術大国の光と闇 13億人を特定 2018/02/26
http://fxya.blog129.fc2.com/blog-entry-42397.html
「くまのプーさん」もグーグルも禁止、中国の検閲システム-QuickTake
Lulu Yilun Chen、David Ramli 2018年2月26日
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2018-02-25/P4JH3D6JTSEH01
中国のオンライン人口は7億3100万人に達したが、インターネットの利用は極度に制限されており、例えばグーグル、フェイスブック、ユーチューブ、ニューヨーク・タイムズなどにアクセスすることはできない。1989年の天安門広場における学生の抗議行動に関する報道はほとんど存在しない。「くまのプーさん」でさえ、禁止されていた時期がある。中国がこれほど膨大なコンテンツの海を統制することができるのは、世界最大の検閲システムを構築しているからである。
  このシステムは、中国のグレートファイアウオール(「防火長城」)という、いかにもという名で呼ばれている。これは政府の監視員とテクノロジー企業や通信企業との共同作業であり、そうした企業は国家のルールを実施することを余儀なくされている。その利害は中国の外まで拡大し、他の独裁国家が模倣できる手本のようになっている。

現状
  一党独裁の中国において厳しい検閲は今に始まったことではないが、習近平国家主席の下ではオンラインに対する締め付けがますます厳格化されており、特にノーベル賞平和賞受賞者、劉暁波氏の死去(2017年)のような政治的に微妙な出来事が起こった時期の前後はそうである。同じ17年の第19回共産党大会に先立って、中国はワッツアップのメッセンジャーサービスを遮断し始め、グレートファイアウオールを迂回する手段として一般に使用されている仮想プライベートネットワーク(VPN)に対する取り締まりを拡大強化した。
  中国の「サイバー主権」を確保すること、あるいは中国のインターネットを外国の過度の影響から保護することは、習主席が公然と認めている目標の一つである。オンラインの自由を制限しようとする最近の動きとしては、ソーシャルメディアに匿名で投稿する能力をほとんど無効化する、アプリストアのオーナーに顧客が購入したアプリをどのように使用するかに対して責任を負わせる、そして、オンラインポータルにニュース報道の停止を義務付けるなどの施策がある。くまのプーさんの一時的な禁止は、ブロガーらが習主席をこの漫画キャラクターのくまさんとして描いた後に実施された。
  一方、中国本土で営業したい外国企業は、他の地域でなら不当な介入と見なされることが多い慣行を自ら採用することを強いられている。アップルはパスワードで保護された自社製品にバックドア(セキュリティー保護を迂回する秘密の裏口)を設けるように米政府から要求されたときはそれに敢然と抵抗したが、中国ではアプリを黙って削除し、中国当局の要求に沿う形で現地のデータセンターを建設した。公民権擁護団体である国際NGOフリーダム・ハウスによると、こうしたすべての帰結として、中国におけるオンライン上の自由は地球上で最低の水準となっている。

 


背景
  中国はウェブを常に厳しく制限してきたわけではない。1994年にウェブが正式に導入されたときは比較的自由が認められており、欧米の知識を利用して経済を改革する開放政策の延長であると見なされていた。ウェブの利用が拡大して広く普及する中で、当局は先の指導者、鄧小平の発言、すなわち「窓を開ければハエが入る」に屈したのである。
  2000年から「金盾」計画の導入によって、グレートファイアウオールの基盤が築かれた。これは、データベースを駆使した監視システムであり、国民全員の記録にアクセスして中国の安全保障機関と接続することができる。現在、中国政府は検閲を実施するために少なくとも5万人の職員を雇用しており、当局が認めないウェブサイトを禁止し、有害と見なされるコンテンツをフィルターで排除するよう検索エンジンに強いている。また、大勢のソーシャルメディア操作要員が影響力を行使しており、ある推定によると、年間5億件の親政府コメントを投稿しているという。
  決定的な問題は、当局機関が、企業が表示するコンテンツに対してユーザーが作成したコンテンツについてさえも、企業側に責任を負わせていることである。これは、国家がすべての報道機関に対する許認可権を握っている国において自己検閲を奨励する常とう手段の1 つである。中国市場がほとんど統制された状態にある中で、中国の巨大テクノロジー企業、すなわちテンセント・ホールディングス(騰訊)とアリババ・グループ・ホールディングは発展を遂げ、その過程で中国の巨額納税者へと伸し上がった。一方、その正反対の動きとして、検閲に反対する非営利団体グレートファイア・ドット・オルグが、国家統制を回避するためのミラーサイトとブラウザーを作成している。

論争
  ほとんどの国が何らかの形でサイバー統制を課している。例えば、ヘイトを助長するウェブサイトの禁止などである。中国政府の主張は、14億人の人口の半数以上がオンライン接続されている状況にあって、そうした制限は主として社会の秩序を維持し、国家の安全を守ることを目的としているというものである。賛同者はグーグルやフェイスブックのような企業がニュースの流れに憂慮すべき影響を及ぼしているからこそ、国家がその規制に積極的な役割を担っていると主張する。
  それに対して批判者は、中国のグレートファイアウオールは、インターネットが一党独裁への反対意見を広める可能性に対する中国の被害妄想を反映していると言う。そして中国のアプローチは言論の自由を妨げるだけでなく、経済的にも足かせとなる。なぜなら、それはイノベーションを妨害し、重要なアイデアの交換を阻害し、企業が使用するサービス(例えばグーグル・クラウドなど)へのアクセスを遮断するからであるとする。学術研究者たちは、全世界で学生や教授らが成果を共有し合う手段として利用しているグーグル・スカラーを利用できない。
  さらに視野を広げれば、もしロシアや他の似たような思想的傾向の国々が中国の前例を踏襲し、その国民や全世界のオンライン企業に制限を課すことに成功した場合は、インターネットの創設の背後にあるビジョン、すなわち世界規模での自由闊達(かったつ)な情報交換というビジョンが大きなダメージを受ける可能性がある、と批判者らは危惧している。

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 だからこそ、年がら年中、暗殺のピンチなのだ。
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習近平氏 9回目の暗殺未遂にショックを受け一時入院か 2018.01.14
http://www.news-postseven.com/archives/20180114_644083.html
中国の習近平国家主席が年の瀬の差し迫った昨年12月下旬、人民大会堂での会議が終わった駐車場で専用車両に乗ろうとした際、爆発物が破裂。習氏は腹痛を起こし、そのまま北京市内の中国人民解放軍直属の「中国人民解放軍総医院(略称「301病院」)に緊急搬送されていたことが分かった。今回の病院搬送は極度の緊張が原因との見方もでている。米国を拠点にする中国問題専門の華字ニュースサイト「博聞新聞網」が301病院の関係者から独自に聞いた話として伝えた。
 習氏一行が病院に駆け込んだことで、病院は一時的に閉鎖措置をとられ、他の患者は締め出されるなど、厳重警戒措置が敷かれたという。
 人民大会堂に仕掛けられた爆発物は軍が使用しているものであることや、人民大会堂には一般市民は立ち入ることが禁止されていることから、爆発物は軍幹部によって持ち込まれて設置された可能性が高いとみられている。当日の防犯カメラ映像などがチェックされているほか、軍の警備担当者も個別に事情を聞かれているもようだ。
 中国では昨年、軍最高指導部に当たる中央軍事委員会委員である房峰輝・元中央軍事委連合参謀部長や張陽・中央軍事委政治工作部主任が腐敗容疑で事情聴取を受けたあと、軍の要職を罷免されている。このうち、張氏は自宅で自殺している。このため、爆発物を仕掛けたのは、両者に連なる軍幹部ではないかとみられている。年末から年始にかけて、軍幹部が集中的に事情を聞かれているという。
 習氏の容態だが、過度の緊張状態になり、その影響で胃痛が出たものとされ、深刻な影響はない模様だ。

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 ちゃっかり2号に置き換わっているんじゃないかと訝しみたくなる。

 ポスト毛沢東を狙うなら、髪型も是非お願いしたいものだ。

 対外的にも、絶え間なくこんなことを繰り広げている。
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【シーレーン】中国、海洋強国へ着々 海外港湾30カ所に 4空母群運用の観測 2018/02/26
http://fxya.blog129.fc2.com/blog-entry-42391.html
 
 他のものはいつも取り上げているので割愛する。
 もう、毎週アップしても困らないほど、ネタ豊富だ。

 習近平が急ぎすぎたおかげで、世界の支那への警戒がMAXになった。

 そういう意味での世界への貢献は最大だ。

 

 そんな支那人への理解に、こういった読み物も面白いだろう。
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「当世中国人の十大矛盾行為」を読み解く
建前よりも本音を優先、「行動原理」を知る鍵に 2018年2月23日

http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/101059/022100139/

 さて、話を戻して、習近平自身の経歴を見てみよう。
 ↓↓↓↓↓↓↓↓
 習近平
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BF%92%E8%BF%91%E5%B9%B3

 腐敗防止という名のライバル撲滅、強引な人事、ウイグルやチベットへの横暴の限り、国内への独裁弾圧と、台湾や南シナ海、東シナ海、日本などへの進出と攻撃と、枚挙に暇がないほど凄まじい。
 それが北朝鮮のように個人崇拝への道へと進んだのだ。
 具体的な人物像こそ、真逆に見える印象を受ける。
 温和で口数が少なく、質素倹約で自分を表に出さない人物。

 しかし、政策はまるっきり逆なのだ。

 
 なお、生まれ故郷はこちら。
 ↓↓↓↓↓↓↓↓
陝西省渭南市富平県
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%AD%E5%8D%97%E5%B8%82
 
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 皮肉なことに、董卓の終焉の地の隣町出身なのだ。
 だからどうした?生まれ変わりとでも言うのか?と言われればそれまでだが、微妙な因果を感じるわけだ。
 暴力・武力が基本だった時代の董卓と、大人風を装うことが武器になる現代とで考えると、やってることは似たり寄ったり、実務能力はしれている、と思う次第。
 

 今まだ、習近平は国民を食わせているから体制を維持できるし、対外侵略を形にして支那人の蛮族平定な気持ちを満たして、認められている。
 しかし、度々、取り上げているように、経済的な瑕疵が発生したら、対外侵略が頓挫したら、溜まりに溜まったガス圧が噴出し、そこに火がついてもおかしくないわけだ。
 外からの攻撃には強くとも、内部から崩壊へ結びつく流れが、支那のいつもの崩壊パターン。
 習近平がへそに松明を立てられるのも遠くないのだろうと、独裁への足がかりニュースを見て実感したのだ。

 

 ポスト王允・呂布は誰か。

 矛と松明は支那人民が握っている。がんばれ支那人民!
 全ては因果応報、どうなることやら。

 

 了

ガンバレ!日本!!
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