前回の「両親再婚後の私の気持ち」を書いてから早1ヵ月半。
年が明けると2、3ヶ月なんてあっという間ですね。(苦笑)
本格的な反抗期は中学に入った頃からですかねー。
まぁ一般的な時期です。
実の親子でもぶつかる時期であるのに
再婚した母子だとなかなか難しかったように思います。
それに加え、私は大人の中で育ったせいもあって
11歳の頃も子どもらしくない子だったと思います。
親戚はいい言い方で「大人しい子だった」と言ってくれますが
顔色を伺う子だったかな。^_^;
母は、子どもを育てた事が無い人だったので
大人に言う言い方で接してきたように思います。
「部屋は四角いんだから四角く掃除機をかけなさい」
「台所は元の通りに!使ってない状態に戻さないと駄目なのよ」
「パンツは手洗いしなさい」
・・・とまぁこんな感じです。
これが躾と言われればそれまでですが
今まで何でも自分でしてきたからこそ甘えたかった...
という気持ちが私にあった為、いつも喧嘩。
「うるさい!もう判ったよ!!!」が口癖になっていました。
中学に入った頃、父がまた退職し(繰り返していました)
後から聞いた話では、一年くらい母のパートの月給12万円ほどで
3人家族暮らしていたようです。
そういえば小学校の時は
毎月「給食費未納」のプリントを貰っていました。
クラスで貰うのは大抵2人。
もう一人の男の子は7人きょうだいの長男でした。
彼も家計が厳しかったのでしょう。
でもうちは一人っ子。 ・・・なんで?でしたけどね。^_^;
ある時、制服の下に着るセーターを買いに行く約束を
友達としました。
「じゃ明日行こう」「そうしよう」みたいな軽いノリです。
家に帰って母に言うと「パパに頼んで」と。
父が帰ってきたので話すと
「・・・明日か。それは無理だな」と言われました。
む、無理?!3000円のセーターが買えないって??
経済的に厳しいとかそんなの13歳の少女にはわかりません。
ただただ、友達と行けない。
友達に「お金が無いから」なんて言えないよ!(焦)の世界。
結局、電車で15分ほどの所に住んでいた祖母に電話し
お金を貰いに行きました。
帰りの電車賃もなかったのでそれも一緒に、です。
服が買えないなんて子どもには有り得ない。
この時の空しくて哀しい気持ちは今でも覚えていて
その後の「自分で稼ぐ」の土台にもなった出来事です。
この時、母にも貯金はあったようですが、それを出さなかったのは
父の為、だったそうです。
今出してしまったら甘える人になってしまう。
という妻としての気持ち。
でも、今になってとても後悔してるんだそうです。
妻としての立場より、母親として買ってあげるべきだった、と。
結局、父は死ぬまで母にお金の苦労をかける人でしたけどね。^_^;