デリー② | S K O;

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長崎県西海市雪浦にてインド民芸品の販売、木版染め、草木染めをやっています。
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オールドデリーの方に興味があったので、そちらの方に宿の移動を考えていた。
宿の下見だてら、友人の知り合いがオールドデリーに住んでいるとのことで、訪ねてみることに。

とりあえずNEW DELHIから地下鉄に乗って、CHAWRI BAZARまで行ってみた。
デリーの地下鉄はとてもきれいで、東京にあるものとほとんど変わらないほど近代的。
切符ではなく、トークンと言われるおもちゃのコインのようなもの窓口で買って出入りするシステムになっている。
トークンを自動改札に当てて入り、出る時はゲートで入れて出る。
地下鉄の中は危険も全く感じず、一番安らげる空間だったと言ってもいいぐらい。

友人の知り合いは、ジャマー・マスジットの近くのマーケットのMATIA MAHALにいるとのことだったので、駅から人に道を聞きながら、向かう。
この辺りは、インドの本当の姿を見ることができる。客引きはまったくいないし、たいして私のことを気に留めないで、みんな一生懸命働いている。時々、チャイやフルーツジュースなどを飲んだりするときには、スタンドのおじさんはフレンドリーに話してくれる。

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オールドデリーの街並み

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インドの日常風景...

デリーは、都会だから人が良くないとよく聞いていたけれど、少し偏った意見のように思える。
どこの旧市街も、ごちゃごちゃして決してきれいな場所ではないが、インドの生活を知るのには絶好の場所だと思う。

さて、MATIA MAHALに着いて、その人の家族の経営しているホテルを探して行ってみた。
ナシャディーンさんというその方はちょっとした権力者のようで、事務所をもっており、若い後輩のような友達がたくさんいるような人だった。
イスラム教徒の人で、世界的にテロリストとして見られがちなムスリムの権利を守るため、反テロリストの運動もしている。新聞やら雑誌やら、自分が載っている媒体をこれでもかと見せられる。
わたしが、バハール・ガンジに宿を取っていて居心地が良くないことを知ると、即引っ越しを勧められる。自分の事務所も使っていいと言われるけれど、治安とか水回りがないことも含めてここに泊まるのは無理だと判断し、親戚が経営するホテルに泊まらせてもらうことになった。
お金は払うと言っているのだけど、『トモダチだから、お金は要らない』とのこと。
しかも、ここまでのリキシャ代ももったいないからと、ナシャディーンさんのバイクでバハール・ガンジのホテルまで行き、大きなバックパックを背中にしょって、サブバックは彼が前に持って、移動した。
ヘルメットもなく、クラクションを鳴らしながら、ガシガシ車間をすり抜けていく手荒な運転は、かなりのストレスだったが、インドらしい体験をさせてもらったような気もした。

引っ越しを済ませて、ジャマー・マスジットと、ラールキラーに向かう。
ジャマー・マスジットは、イスラム教徒の巨大なモスク。

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デリーのジャマー・マスジットは壮大さと存在感の大きさでは、インドの中でも一番かもしれない。
ジャマー・マスジットを中心として、旧市街のマーケットが広がっているようになっているので、街の大黒柱のような感じがする。
高くそびえ立っているので、迷ってしまったときは目印にもなる。

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ジャマー・マスジットから見るオールドデリー


どこのジャマー・マスジットもそうだったけど、モスクは人々の生活と一体化していて、敬虔な信者の人たちは1日のうち何度も礼拝に行く。金曜日の夕方には、盛大なお祈りが行われるようになっている。
シンメトリーな建築と、素晴らしい装飾、キリっとした空気はシュリナガルのときと同様で、常に通いたくなる雰囲気を持っていた。
ただし入場料が200rsもするので、一度は前の入場券でごまかして入れたけれど、毎朝行く事は難しかった...。シラー

ラールキラーまで、そこまで遠くないとのことだったので、歩いて行ってみる。
が....、結構遠い。ガーンインド人が言う事は、本当に適当...
この熱い中、1時間ほど歩いてやっと着いた。
ラールキラーは、ムガル帝国時代の権力の強さと贅の極みを見せつけるような赤い城で、どこまでも広い敷地に立派な建造物が悠々と建てられている。別名レッドフォート(赤い壁)と言われるように、遠くからでも確認できる長くて高い砂岩で造られた壁は、デリーの街に威圧感を与えている。
これでも、残っているのは一部分だというから、驚きだ。

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高く赤い砂壁がどこまでも続いている

広い芝生やら、お庭がそれはそれは立派で!
朝から引っ越ししたり、歩きすぎて疲れたわたしは、もうたまらずその芝生で昼寝をしてしまった。
(インドの方々もみんなしていたので...あせる


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さすがに、帰りはリキシャを使って宿に戻った。
夕飯を、ナシャディーンさんと約束していたので、事務所に向かう。
今日は、結婚式があるとのことで、結婚式に連れて行ってくれるらしい。
シュリナガルで、見損ねたので楽しみにしていた。

その結婚式が8時ぐらいからだからと、1時間ぐらい事務所で時間を潰していたら、後輩やら仲間と思われる衆が5、6人集まってきた。
みなさん、宗教はバラバラだけど座敷のような場所でお酒を一緒に飲み始める。
わたしも、ビールを1杯だけいただいた。
そうこうしているうちに、みなさんの酔いがまわり始め、なんだか人も増えて距離が近くなってきた。
もう、腕と腕が擦れ合うぐらいの近さ。横に座っている兄さんたちが、いろんな理由をつけて足とか髪とかを触って来る。
『これはマズい...』と、もっと離れるように言うけれど、一度離れてもすぐに近くなる。
彼らは、飲め飲めと結構強く強要してくるし、ムスリムの結婚式に行くので、あまり飲まない方がいいと言っていたナシャディーンさんまでも、ウイスキーをガンガン飲んで酔っぱらってきた。
ムスリムってもっと、厳かな印象だったけど、みんながみんなそういう訳ではないことを知る。
わたしは、完全に男性衆に囲まれてしまい、いよいよ危機感を感じたので輪から一旦抜けて、事務所のデスクに座ったり、外に出てみたりして、結婚式を待つ。
すでに、時間は9時を過ぎているのに、、、。

しばらくすると、ナシャディーンさんがすっかり酔っぱらって、結婚式も行かないと言い出した。
夕飯は、結婚式で食べるつもりだったのに、行かない事になったので、わたしが食べたいと言っていた、牛肉の煮込みをナシャディーンさんが手下のような男の子に買いに行かせてくれた。
それを、ひとりデスクで頂く。
わたしも、セクハラにゲンナリしていたので、すっかり結婚式気分もなくなってしまった。

夕食を急いで平らげて、『疲れたので、もう帰る』と言って、事務所を出ようとすると、『明日、朝食の時間にまたここに来なさい』と言われたので、『わたしは、自分の時間を自由に使いたいから、朝ごはんは自分で食べる』と言うと、『じゃ、夕食に来なさい』と言われ、それも断ると、ナシャディーンさんもちょっと怒り気味だったけど、とりあえず、事務所からは抜け出した。

ちょっと、この人は信用できない...と思いながら宿に戻る。
しかし、宿はお世話になっているし...面倒なことになってしまった。

インドの男の人は、インドの女性には、絶対に軽々しく触れたりしない。
その代わり、外国人女性は性に対してオープンだと思われているようで、軽い気持ちで触って来る人もいる。通りすがりに、触り逃げする痴漢もいる。

これから、インドに行く女性のみなさん、最初から距離が近い男性には、まずご注意を。。