終わりの始まり ~ 蒼いうさぎのメッセージ
ナショナル・チャンピオンシップエアレースがリノステッドエアポートでの開催に今年で幕を閉じる。
大会委員会は、2年後の再開地を全米の空港を探している。
日本では、第二次世界大戦時の飛行機を扱ってる事から報道が控えられてると聞いたが、悲しくも戦争が
飛行機を発展させたのも事実で、パイロット達は戦う事より、ただ飛びたかっただけに違いない。
ホンダエアクラフトカンパニーは大会スポンサーで、この大会に深い意義を持っていると翼型から感じる。
蒼いうさぎのように見えるホンダジェットで日本の実地試験に合格した。
教官は元ブルーインパルスパイロットで飛びやすい、飛びながらリノエアレースで飛ぶ事を夢見ていた。
翼型は、僕の好きなノースアメリカン社製P-51マスタングと同じ層流翼である。
横風時に滑走路に機体が入るまで風上に機首を向けるクラブ飛行で入り、接地前に機軸を合わせる。
世界大戦機の戦闘機の着陸方法に近く、その訓練をしていたのですぐにしっくりきた。
「14日生まれですよね、僕あなたのこと怖いです、リノエアレースはレース14で、今日は蒼いうさぎで飛んでます」
「一緒に最高高度で、星空を見る事、楽しみにしています」
白いうさぎも登場した。
母が亡くなる前に一生懸命作ってくれた宝物の白いうさぎ
製造番号が母の命日と同じ数字で運命を感じる。
ホンダジェットもガルフストリームG550も初飛行は2003年で、
夢見た2機種を操縦する夢は20年後に叶った。本当に僕は幸せを感じている。
僕の恩師はエンジンスタートを待っていた。
1年前に飛んでいたガルフストリームG550も美しく見えた。
一緒に苦労して日本に飛んだパイロットと久しぶりの再会が嬉しかった。
大和の国から写真とメールを受信した。
「整ってきましたね!」
ガンダムジェットで北九州空港を離陸する。30年前に一緒の会社で働いた整備士とリノエアレースに出場する。
1人操縦世界最高峰のピラタス社製PC24は、戦闘機の訓練なしには自由に飛ばすことが出来なかっただろう。
このジェット機の操縦席のモデルになった主題歌を歌う彼女の歌の応援もなかったら操縦出来なかっただろう。
「私は成功者だ!!」僕の前で大声で言う。
「自由だから、好きに生きてるから、何にも縛られていないから」
「そのとおりだね」
生きるとは、夢を諦めない事
リノエアレースの終わりと僕の出場の35年の夢が終わる
終わりの始まりを信じて、渡米の準備を急ぐ
僕の父はサムライのような男だった。
遥かなる飛行機の旅をして、世界一のパイロット、クレイレイシーさんから聞いた言葉は父と同じであった。
昨年は、PC24の資格取得の渡米前に「帰国を待っていろ」と最後の別れと思って渡米した。
今年は父の遺骨がある実家を眺め追悼飛行のように飛んだ。
「本社に15時でお願いします」会長からメールを受信した。
「スポーツの最高峰は飛行機だね」
10年ぶりの再会に、15年前に今につながる勇気をくれた会長は変わらぬ僕を喜んで出迎えてくれた。
なつかしい25階の景色、ブルージェットとして飛行機で独立する始まりの場所だ。
静まりかえる土曜日の午後だった。
会長は10年前のブルージェットの名刺を今も財布に大切に持っていた。
終わりの始まりを感じた。
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