YS-11 3年ぶりに空を飛ぶ~リノ・エアレースへの招待 | ブルージェットの空からブログ|プライベートジェットの機長・航空会社社長ブログ
May 08, 2018 01:33:44

YS-11 3年ぶりに空を飛ぶ~リノ・エアレースへの招待

テーマ:ブルージェット

5月11日YS-11を飛行させる許可書が国土交通大臣から発行された。

その日は、水産航空株式会社の設立記念日で、YS-11のために設立された日本航空機製造株式会社と同じ年の1959年である

水産航空は無事故を継続して、60年目をスタートする記念日だ。

国から払い下げられたYS-11、日本の技術者が結集して作った飛行機を飛ばし続ける意義はあると僕は思う。

人生をかけてこの飛行機に携わった人たちがたくさんいるし、残したいはずだ。

アメリカのプレーンズオブフェイムやイギリスの大英博物館のように、

本物を動態保存する国のシステムが博物館として日本で出来ないかと考える、

必ず支援する企業や個人を含めて多くの賛同者や退職者が協力に出ると思う。

そういう底力が日本の航空業界にほしい。技術は最先端なのに、

アメリカから大きく遅れをとっていると感じるのは僕だけか。

この機体を買って、飛行できるように復活させた整備会社のエアロラボ社は立派だと思う。

僕より10歳若いコロン社長に「2号か?」と電話すると「あっ1号!2号です」

最近これがお互い、もしもしと同じ合言葉になっている。

高松空港で、飛べる機体を切り刻む寸前、

僕の母校である日本航空学園理事長のはからいで受け入れて頂けることになった。

飛行予定は、11日金曜日、全校生徒の授業が終わる午後4時、

日本航空学園能登空港キャンパスで後輩たちに飛ぶ姿を見せたい。

YS-11の飛行の依頼の電話が入った日の深夜であった、アメリカからメールと電話が鳴った。

リノ・エアレースのゴールドクラスの世界チャンピオンからであった。

僕の夢を聞いた、プレーンズオブフェイムの僕の教官でもあるスティーブヒントンがチャンピオンを紹介してくれ、びっくりした。

ヒントンも世界チャンピオンでありプロペラ機速度記録保持者であったが、

P-51マスタングで火だるまになった過去がある。

フライトスーツを脱いで僕に焼けただれた背中を見せて「タケ、君にはこういう経験をさせたくないんだ」

息子にもリノに挑戦させ何度も優勝させた、しかし、本物の零戦では飛ばせない。

いつも高い壁をいとも簡単に要求する教官である。

命のリスクもあることを承知で僕の覚悟と訓練を求めるメールであった。

5月のプレーンズオブフェイムの航空祭には行けず仲間に会えないが、YS-11で飛ぶことは伝わっている。

日本人では戦前戦後、誰も出場出来なかったT-6クラスはリスクが高く、パイロット技量を競い合う。

この飛行機は、操縦に全くごまかしの効かない、操縦の全てを教えてくれるような飛行機だ。

「大空に賭けた男たち」ホンダジェット誕生物語の本のはじめに書かれていることが脳裏に残る。

生きている者とは、闘っている者だ。

心と欲が固い運命に満ちている者だ。運命の高いけわしい峰をよじ登る者だ。

僕はまだまだだと勇気づけられる。

2018年9月、米国ネバタ州・リノ・エアレースにホンダジェットが飛ぶ。

僕は今年、チーム関係者としてレース機の横で飛ぶ姿を見に行くのが楽しみだ。

リノ・エアレースは、飛行機狂いの頂点の人物が集まる世界屈指の祭典である。

ホンダジェットを作ったリーダーの藤野社長がアメリカの飛行機文化に敬意を表するのが僕には理解できる、

2015年に最初に成田で一緒に飛んだので、再会出来たら嬉しい。

5月11日の水産航空設立59周年の記念日に、YS-11を飛行させる事には意義がある。。

パイロットとして飛ばせて頂けることをエアロラボ社と日本航空学園グループに感謝の気持ちを持って挑みたい

 

 

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