山口市鋳銭司に、内田伸先生(90)を訪問しました。

内田伸先生は、言うまでもなく日本一の大村益次郎研究家として、有名な方です。




司馬遼太郎の小説『花神』(新潮文庫)や『大楽源太郎の生死』(文春文庫)にも、内田先生のお名前は登場しています。。

私が内田先生に初めてお会いしたのは、今年の4月20日の事です。

数日前の読売新聞に、大村益次郎の出生地である鋳銭司の住民の方たちが、大村益次郎の紙芝居を作成し、大村神社で上演するという記事が載っていました。




大村益次郎は、ずっと以前から私が研究したいと思っていた人物ですが、謎の多い人物で、行き詰っていました。地元鋳銭司の方から何か教えていただけるかもしれないと思い、超メンドクサガリで人見知りで不健康の私ですが、その日はよほど体調が良かったのか、大村神社に赴いたのです。



大村神社には過去何度も訪れていますが、人に会ったためしがありません。(!)いつも閑散としているのですが、この日は50人以上はいたでしょうか。この地でこの人数というのは、盆と正月が一緒に来たようなものですよ。うーん、マスコミの力は偉大である・・と思いつつ、社殿内の椅子に腰を下して前方を見ると、なんと内田伸先生御本人が。




紙芝居終了後、すぐ内田先生に近づき弟子入りを志願しました。先生も驚かれたことでしょうが、快諾していただきました。

今日は四度目の訪問です。とりあえず私がやろうとしている事は、先生が昭和52年に出版された『大村益次郎文書』(マツノ書店)の完全改訂版です。

この本の原型は、昭和30年代に鋳銭司公民館から発行されているのですが、大河ドラマ『花神』の年に徳山のマツノ書店が刊行した事で、広く知られる事になりました。



本来、襖の下張に使用されていたものを1枚1枚丹念に繋ぎ合わせ解読した、内田先生の大偉業なのですが、ただ惜しむらくは、発信人別に掲載し、時系列にまとめられていない(何年のものかわからない)事です。また発信人の人物解説もないため、一般の方が利用するには、かなり難解といってよく、幕末史研究に十分に活用されているとはいい難いと思います。



これは惜しい。だれか内田先生の大偉業を継ぎ、完成させるべきだという想いが以前からありました。それを今回私がやろうというわけです。無謀ですね。でもやりますよ。


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