9位:真木よう子(過食&拒食症)

「真木よう子さんは、2013年に公開された映画「さよなら渓谷」「そして父になる」で、日本アカデミー賞の「最優秀主演女優賞」と「最優秀助演女優賞」をW受賞した実力派女優です。近年は、激やせと激太りを繰り返されているようで、過食症と拒食症の繰り返すのは摂食障害の中でも深刻な症状のひとつと言われています」

 

①宿命二中殺

②日月、日年の刑破+月年の比和

③自我33%+車騎星27%=60%

 

②日月、日年の刑破+月年の比和

刑破は庫気刑+破です。場所によって現れ方は違ってきます。
刑は刑罰からきているもので、そこから、「争う」「闘争」「人を傷つける」、「争いを仕掛けられる、傷つけられる」、という受け身でも使われます。

庫気刑は北の争いで、目上との争いととらえられています。

庫気刑は三合会局の入墓(北)の位置での争いということで、目上との争いという意味になります。

具体的には次のように説明されています。

『日支に庫気刑がくれば目上、親との争いで、場所は家庭、身内だから「親のことで配偶者とケン力した」という具合です』

宿命の位相法を人物でとらえるのって、どうなんでしょうね。

親や目上と争うために庫気刑が与えられているとは思えません。

 

確かに真木さんも母との葛藤はあったのでしょうが(中殺の影響も無視できません)。身近にも日支庫気刑で親孝行の人を知っています。

 

原典の陰占論の説明の冒頭に次のような一文があります。

 

例えば親と子は上下関係であるという観念をもっていたとすれば、占技どころか算命学そのものの意図を汲み取ることは出来ないのです。このように親子の関係を道徳としてとらえているのが、日本人の固定観念であります。
しかし算命学の発想は、親という役目あるいは立場と、子供という立場が上下関係なのであって、親も子も人間であるという条件の下では対等なのであります。役目、立場、人間などの関係を混在させて、道徳などと言っていたら算命学の理解は一歩たりとも進みません
』<原典算命学第6巻>

 

刑の四方向の人物置換は、まさに、人間の世界に自然界の法則をあてはめて原理を作り出していることになるように思うのです。

親や目上との争いという答えの中には、上下関係が含まれているように思います。

それを犯すのが庫気刑所有者で、それゆえに、争いが起こると解釈してしまいます。

多分に道徳的背景を感じます。

 

役割と考えると、庫気刑破は子供(目下)の役割を果たせない人?になってしまうように思えてきます。

 

自然界や宇宙の法則というものは人間界ではないのです。自然という「神の世界」なのです。そのために読み取る占者は、自分自身が「自然と同化」して自然界の事物の一つになり切る必要が生じるのです。
そこには徹底した理性が必要であり、時には人間を忘れなければなりません

 

前文の少し後にはこのような厳しい文言もあります。

自然には目上も目下も親子関係もないでしょう。

陰占法を身に着けるには、「時には、人間を忘れなければならない」とまで書かれているのに、人物に置き換えて解釈して、いいんですか?とまた、生意気な疑問がわいてしまうのです。

自然に解釈したものを人間関係にあてはめて再解釈した答え、という見方は当然あると思います。

 

そのような状態の中で読み取った答を人間界へひきもどし、そこで初めて情による咀嚼をなし、そして相手に伝える時に、人情あるいは愛情による伝え方をしなければならないのであります

 

人間的情は答えの中にあるのではなく、占者が伝える時に使うものとなっています。でも、教科書の説明では、最初から庫気刑は親子間の争い、と定義されているように思えるのです。

これは教科書批判ではなく、疑問の提示です。

 

こうした陰占論の後に、原典では位相法の説明があります。

三合会局、半会、支合、対冲、害、と解説されていますが、刑法はありません。

うがった見方をすると、教科書の説明と矛盾があってはいけないからかなと、勝手な勘繰りです。

 

 それはいいけどさ、ここは教室じゃないんだから、、、、

真木さんはどこ行ったの (乂`ェ´*)ダメ!

 

あ(ーー;) 長くなりましたので、続きは次回また・・・

 

 

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