大学時代は周りはみんな金持ちで、それが当たり前みたいな顔して生きてる人間がほとんどで社会に出て人と出逢ったりスナックやら飲み屋で他人の人生に触れると色々な人生がある事を知って金銭的に苦しい生活している人達もいれば様々な事情を抱えた人達がいる事を知って、自分は精神的には恵まれなかったけど不自由の無い生活を送る中で自分だけを見つめる人生は辞めて人と誠実に向き合う事をするように生きながら気付いたら20代後半を迎えてしまっていた事、物質的な余裕は想像力を奪う要素がかなりある、痛めつけられたり傷付けられたりの経験が無ければ人間の成長は無いんだろうとは想うけど本当に必要な事なのかも正直解らない、想像力とはこうしたらこの人は喜んでくれるだろう、笑ってくれるだろうと言う感性、それを磨いて行く中で大人になって行くけれどそういう相手の立場になって考えられる人にならないとどういう世界でも相手にしてくれる事は無い、想像力の無い人間も腐る程見て来たけれど想像力のある人達も沢山いる、物質的に恵まれて痛めつけられる事も無いまま計算高く生きる人間もいれば物質的に恵まれず痛めつけられ裏切られての人達もいる、どっちが幸せか不幸かなんてそんな事は決められないし人間は表面的な視点より内面的に想像力のある人にならなきゃいけない、想像力があるからこそ人間の醜さ、哀れさが見えて酷く塞がる気持ちになる連続の世界だけど本来そういう崇高な人達にそういう気持ちをさせてはいけない事を平気でやってる人間がいる、それが想像力の無い人間、自分が満たされない事ばかり考えるな、そういうのから卒業して他人に対して働きかける人間になる事、って事を人から学んだ、酷い経験をすると人間独りになりたくなる、んで独りを選んで関わる事を辞める、その期間が自分を癒した時自然とまた人を求めるようになる、痛みが解るようになった、そうなった時人に尽くした時その見返りは自分に返って来る、表面の優しさと本物の優しさの違いはそこにある、表面の優しさでは人の気持ちは救えないし響かない、本物の優しさは言葉よりも強く感動を与える、世の中が求める人間ってそういう人じゃないのって想う、誰もがなれる訳ではないけれどそういう精神的な人が本当に世の中求めているように感じる事、殺伐とした心では世の中明るく出来ない、殺伐としていると感じるのなら自分を見つめ癒す所から始める、良い社会にしたいのなら強い優しさが必要だからね。