寝返りもできなくなったのに

電動ベッドすら家になくて


どう生きていけばいいのか

本気で悩んでた日から数年... 


 

最近、やっと、やっと

生活環境が整ってきました


 

住環境も福祉機器も

在宅サービスも

大学生活の支援も。

 

 

まだまだ

こうありたいという生活とは

かけ離れていますが


明日、どうやって生活しよう?

 

という不安を抱くことはなくなりました。



 

長かった。


でも、「長かった」の先の自分があるのは

たくさんの人に支えてもらえたからです。

 


制度の谷間に自分が落ちて、

見えたことがたくさんありました。


 

制度がありがたいと思った日もあるし


もどかしいと思った日もある


 

福祉を学ぶ身としては、

理念の尊さや

実現されるまでのたくさんの人の活動

それでも残る限界を知って

複雑な思いがある。

 


当事者としては、

そんな過去と今の比較なんていらなくて

今の状況をなんとかして欲しいっていう

率直な思いがある。


 

どうして

こんなにも情報が溢れていて

制度がたくさんあるのに


実際にはそこにアクセスする方法が

見つからなくて、分かりづらいのか。


 

福祉の必要度を

他人に評価されなければいけないのか。



歩いて生活してる人に、

車椅子や、移動のための支援の

いるいらないを判断されることの悔しさ。


頭では理解してても

心では受け入れがたかった。



それに加えて、

理解されない病いゆえに

周りの障害当事者の友人が使えている制度を

自分は使えない悲しさ。

 


そんな経験をしてきたから


今も解決できてないことがあるから


 

いつか

難病の方の支援に携わりたい



そう思うようになった。

 

 


2月の最終日は

 

RDD〜Rare Disease Day〜

「世界希少・難治性疾患の日」

 

です


 

今年はオンライン開催だったので

初めて参加しました。


 

私も希少難病の当事者。


 

RDDに参加して思ったのは、

 

病名は違っても、希少難病ゆえに辿る道は

似ていることが多いということ。


 

いや、希少難病だけでなく

難病の方も結構悩みの中身が似ていました。


 

だからやっぱり、


私の問題じゃない。社会の問題なんだ。

 

そう改めて感じました。

 


家族に思うこともいろいろあるけれど


それも「私の家族」という

個人モデルで考えるより 


 

「難病患者の家族」という

社会モデルで捉えた方が

 

突破できる壁があるのかもしれない。


 

もちろん個人的なこともたくさんあるんだけど



 

なんか書いてたら、何言いたかったのか

自分で訳分からなくなってきました。笑


考えまとめてから書けよってね笑

 

ので、今日はおしまい!←

 

 

来年もRDDに参加したいと思います


できたら、会場で実際に集まってお話ししたいな〜



今日は雛祭り🌸


蛤のお吸い物が大好きなので

夜ご飯が楽しみです♡笑