過日、過去の日本に対するセンセーショナルなツイートを拝見致しました。
主旨としては“25年前なら貯金1000万円に10年で690万円がついた。昔は恵まれていた”というものを、
過去に対する羨望…というよりは、憎悪を煽る表現によって記していたものでした。
 
この指摘は確かに事実であり、そこに対する憎悪も正論とする事も出来ましょう。
 
ここで視点を転じます。
 
“その恵まれていた人達は何処へ行ってしまったのでしょう?”
 
ごく単純に考えれば、その世代の人達が財産を1.7倍にしていたのであれば、日本はもっと豊かな国になっているのではないでしょうか。
実際は残念ながらとてもそうとは言えません。
 
これを一言で断じる事は出来ませんが、一つ、先の視点に限れば明確な答えを出す事が出来ます。

それは“10年掛けて1.7倍などというシミっ垂れた投資に心を砕く者など狂人扱いも良いところだった”という一つの事実です。
 
公的貯金で10年70%という高利率は、金融機関(この場合は旧郵政省)の投資運用によって発生する運用益によって成り立っていました。

時代はバブル景気、あらゆる物が投機対象として、価値が価値を呼ぶ狂乱状態にありました。
土地や不動産、株券などの投機対象であれば、1年どころか数日で2倍、3倍などという事も有り得たとすら言われます。
そんな中で1000万円もの原資が、10年も掛けて1.7倍などと言うのは、物笑いの種にしかならなかった事でしょう。
今では1000万円の原資、という言葉ですら夢物語として扱われるのに。
 
そう。
“たった25年というスパンですら、我々の認識とは大きくズレる事がある”ものなのです。
 
ここでは事の善悪は問いません。
 
25年という時間は赤子を成年にし、成年を老人へ、老人を死者へと変えます。
そして1000万円という同じ額面の金銭の価値も、全く違う重みへと変貌させます。
そして、老人を憎む成人を生み出す事もあります。
 
アイドレスはこれを“8日”で起こします。
しかし、現実とて“25年”経てば起きる事です。
 
(オマケも含めて終わり。また何時か…)