塵吹雪

塵吹雪

自作小説
読書感想等。
本好きの仲間も募集中

作品一覧


・レイ(終了(1~3))


・パピヨン(終了(1~5))


・ブルーブルー(終了(1~4))


・たゆたう(連載中)


読書感想一覧


・村田エフェンディ滞土録/梨木香歩






Amebaでブログを始めよう!
ある日僕は猫を拾った。捨てられてからあまり日数が経っていないのか、毛並みが未だつややかな黒い仔猫だった。その場所は、僕のように好んで裏路地を行こうとする者にしか気付かないようなところで、実際、僕が今日たまたまここを通らなかったらその猫が一週間先まで生き延びることができていたかは怪しかっただろう。僕は、その猫が入れられているダンボール箱に傘をさしかけた。それほど激しい雨ではないとはいえ、成長しきっていない仔猫の体を徒に冷やすのは致命的な行為であるはずだ。僕は、自分の鞄から愛用のスポーツタオルを取り出し、猫の体を拭いてやった。とりあえずの一時しのぎにはなるだろう。汗臭いのは我慢してもらうほかないが。僕はそのままタオルに猫を包み、左手に抱えて歩きだす。薄い布をとおして仔猫のふるえと僕よりすこしばかり高い体温とが伝わって来る。僕はその、ささやかながらも確かなリアリティを伴った左手の重みに少し安心感を感じると同時に、暖かい自宅への歩を速めた。道すがら、ふと思う。
 そう言えば僕の家、動物厳禁だ。


 どうにか近所に住む口うるさい大家にも、アパートの他の住民にも見つかることなく玄関に入ることができた。特に大家の目に触れた際にどんな言い逃れをしようかと考え、緊張していた僕は、当面の問題を回避できたことに大きな溜息をついた。
 「ただいまーっと」
 「おかえりなさいませ」
 別段誰に対して言ったわけでもなく、単なる習慣として口にしただけの言葉に予想外に返事があったことで、僕の思考はいったん停止する。僕が顔を上げて室内に目を向けると、そこに二人のメイドがいた。ダークグリーンのロングドレスに白いフリルエプロンとヘッドドレスを着けた、黒髪短髪瓜二つの、完璧なメイドだった。違いと言えば口元のほくろの位置が若干ずれている事ぐらいだろうかというか僕は何を冷静に描写しているのだろうか。立派な不法侵入だった。
 「どちら様ですか・・・・・・」
 理解しがたいものは取り敢えず舌手に出て様子を見るという、僕の悪い癖だ。
 「私共は」
 と右が言った。
 「この家の」
 と左が言った。
 「メイドでございます」
 と同時に言った。
 僕はにわかにめまいを感じる。
 「僕は君たちを雇った覚えは無いし、そもそもこんな安普請のアパートなんかにメイドは必要ないと思うんだけれど。それも二人も」
 僕がそう言うと、彼女らは神妙な面持ちで互いに顔を見合わせると、右側が僕に言った。
 「私共も貴方様にお仕えした覚えはございません。泉千春様。それに、安普請のアパート?何を仰っているのか分かりかねますが、どうぞ周りをご覧ください。どこか別の場所とお間違えなのではございませんか。泉様?」
 そう言われ僕は訝みつつ周囲に目を向けた。そこは当然僕の暮らすいつものアパート、ではなかった。僕は今や、玄関と言うよりはエントランス・ホールとでも言った方がしっくりくる、僕の感覚からはかけ離れたあまりにも広い場所に立っているのだった。
 状況が上手く把握できない。何故僕はこんな見も知らぬ場所にいるのだ。確かに見なれたステンレス製のドアノブを回して自宅に帰ったはずだったのに。
 僕は振りかえって重厚な扉を押し開け、外を覗いてみる。月の明かりにうっすらと、やけに広い庭とその向こうに黒々とした森が浮かんでいた。都会の人工的な光はまるで見当たらない。屋内に視線を戻す。同じ姿勢のままメイドが二人立っている。僕はそうすれば日常に戻るとでもいうかのように、目をこすり、まばたきを繰り返した。変化は無い。どうにもならない。
 「お分かりいただけたようでございますね」
 と右子さんが言う。口元にはかすかな笑みが浮かんでいた。
 「泉様は私共の主人に招かれたのです」
 と、左子さんは言って、僕のコートのポケットを指差した。僕は半ばあきらめ混じりにその中を探り、一通の封筒を取り出す。封を開けると、一枚の便箋が出てきた。右下にS・Cと書いてあるだけで他は白紙だったが、左子さんが仕草でそれを求めてきたので渡してしまった。あれが招待状なのだろうか。彼女はそれに目を通す(何か書いてあるのだろうか?)と、
 「それではこちらへ。主人がお待ちです」
 と言って、奥にある扉へと歩き出した。右子さんも会釈をし、それに倣う。僕は、まったく理解が及ばぬ中、とにかく誰かが僕を待っているらしいことだけ理解し、後に続いた。
 「ん、あれ」
 しかし僕は数歩進んで違和感に気が付いた。どうしたのかという風に左右子さんが僕を見る。僕は右手に濡れたままの傘を持っている。左手には生乾きのスポーツタオルを握っている。だが、ここまでその中に抱えてきた黒猫が、忽然と姿を消していた。そう伝えると彼女らは含みのある笑みで、
 「心配ございません」
 と言った。どうしてそうまで言いきれるのか僕にはわからない。だいたい彼女らはその猫のことを知らないではないか?
 「いずれお分かりになります」
 そう言って、二人はまた僕に背を向けた。僕は余程屋敷の外に出て猫を捜そうかとも思ったが、先ほど見た外の暗さと、訳のわからない場所で一人きりになる心細さから渋々二人に従った。それに、この二人が言うのなら、本当に心配がないような気がしていた。

 
 まったくもって奇妙な家だった。
 そんなことを言ったら僕がここにいること自体が最もおかしな事態ではあるのだが、今そのことをとやかく言ってもどうしようもないので保留ということにしておくとして、この家には灯が皆無だった。廊下の両側の壁に燭台はきちんと等間隔に設置されているのだが、どれひとつとして肝心のロウソクが置かれているものが無い。まるで美術館の展示物のように頑なに沈黙を保っている。こちらが中世ドイツのマイスターの手で生産されたもので、このレベルの保存状態の良さの品はめったにございません。しかしそれにもかかわらず僕は周りを見る事が出来た。前を歩くメイドの後ろ姿も、敷かれた絨毯の色や模様まで。さらに、この屋敷には音が欠如していた。例えば足音。僕はスニーカーを履いているので聴こえないのも分からなくはないのだが、あのメイド達はヒールの高い靴を履いているのだ。いくら絨毯が音を吸収するとはいっても、まったく無音という訳にはいくまい。こんな状態でいると、本当に自分が脚を動かしているのかさえ疑わしく思えてきてしまう。
 そうだ、ここにはリアリティが無いのだ。
 やがて僕達はある部屋の前に到着した。どうやらここに僕を招いた人物がいるようだ。左右子さんが扉をノックする。
 「泉千春様がお見えです」
 そう彼女らは声をかけると、振りむき、会釈をし、今来た廊下を逆に去っていってしまった。僕は二人を呼びとめることもできず、救命ボート的な彼女らをみすみす失ってしまった。彼女らが消えてしまった先をいくら見つめても、そこには見通せない暗闇がわだかまっているだけだ。
 僕は扉を前にしてしばらくの間躊躇っていたが、結局意を決して入ることにした。どうせ帰る術も知らないのだ。僕はなるべく音を立てないようにそっとドアノブを回し、扉を開いて、煙のようにすきまから体を滑り込ませた。途端に独特な香の匂いが僕の鼻腔を突く。胃もたれに似た感覚と、皮膚の上にもう一枚の膜がかかったようなけだるさが僕を襲う。僕は呼吸を浅くしながら部屋の中を見回した。主人の部屋にしては殺風景で物が少ない。驚いたことに、中央の机の上にはロウソクが灯っていた。炎は揺れることもなく静かに蝋を溶かし続けている。人の気配はあった。だがどういう訳か当の本人の姿が見当たらなかった。僕は部屋の奥まで歩く。隠れられそうな場所はせいぜいワードローブくらいだろうか。まさかと思いつつも僕はそれに近づく。
 「こんにちは」
 取っ手に手をかけたところで背後から唐突に声をかけられ、僕は飛び上がった。ワードローブにすがり付くようにして振り返ると、そこには小さな子供が困ったような顔で立っていた。
 「だいじょうぶですか?ごめんなさい。そんなにおどろかれるとは思わなかったんです」
 そう言うとその子は申し訳なさそうに頭を下げた。あどけなく、微妙なところではあるが声の調子や服装からするとどうやら男の子のようだ。彼は頭を上げると僕の目をじっと見つめた。綺麗な金緑色の瞳を持った彼は、あまりにも白かった。肌の色はアルビノかと思うほど澄んでおり、髪や眉も白髪とは違う銀髪だ。そのせいか、上から下まで真っ黒な服や、唇の赤さとの対比が非常に際立って見えた。なんとなく実在が曖昧だったこの館の中で、僕には彼がようやく確固たる存在のように思えた。
 「どうかしましたか」
 彼は不思議そうに僕に尋ねる。どうやら僕は彼に見入ってしまっていたようだ。
 「ああ、いや、なんでもないよ」
 と言うと、
 「そうですか。それじゃあむこうでお話しませんか?ちょうどおいしいお茶もあるんですよ」
 彼はあのロウソクの火よりもずっとまぶしい笑顔を見せて、僕をテーブルへと誘った。さっき見たときには気付かなかったが、そこには二脚の椅子があり、湯が入ったポットと茶葉が詰まった缶があった。僕達はロウソクを挟むように席に着く。
 「紅茶はお好きですか」
 と、彼はその茶を用意しながら僕に訊く。
 「うん」
 実を言えば、僕はコーヒーを飲む機会の方が紅茶よりはずっと多い。しかしだからと言って紅茶が嫌いということでもないし、アルコールなどよりははるかに好きだ。飲み物全般の中ではおそらく上位にランクインすることだろう。彼はそれを聞いて非常に嬉しそうにしている。僕は頭を撫でてやりたい衝動に駆られたが、なんとかそれをなだめた。
 「どうぞ」
 ほどなくして彼は僕に湯気の立つカップを差し出した。わずかに赤味がかった琥珀色の液体がたっぷりと注がれていた。
 「おさとうとミルクはいりますか?」
 「要らない。ありがとう」
 コーヒーには砂糖をふたつ入れるが、甘いお茶はそれほど好きではない。彼は砂糖壺から角砂糖をひとつ取り出すと、カップの中に放り込んだ。銀色の小さなスプーンを使って熱心に液体をかきまわしている。口元に運び、おそるおそる唇をつけた。どうやらまだ熱かったようで、またカップをソーサーに置いてかきまわしている。猫舌なのだろうか。僕も一口飲んでみた。食道を熱いものが落ちていく感覚を味わう。
 「美味しい」
 「それは良かった」
 と言って彼は微笑んだ。


 十分に冷めた紅茶に彼が手を付け始めたころ、僕は空のカップを弄びつつ続く沈黙の重さに堪えていた。目の前の彼は特にそんなことを感じてもいないようで、相変わらずの笑顔で紅茶を楽しんでいた。僕は何か話題を見つけなければと躍起になるが、考えれば考えるほど僕の頭が空疎な軽石か何かのように思え、適切な言葉は遠のくばかりなのだった。
 「君は・・・・・・」
 と言って僕はひとつの話題に思い当った。彼は小動物的素早さで、僕の言葉に反応し、僕の目を見ている。
 「君の、なまえ」
 ずっと考え込んでいたせいか僕の声帯は妙な緊張の仕方をしており、絞り出された声はまるで十年も前に発されたかのように風化して聴こえた。彼もよく聴きとることができなかったようで、少し首を傾げて僕が言いなおすのを待っていた。
 「君の名前、教えてくれないかな。確か、まだきいていなかったよね」
 すると彼は、瞳を輝かせて言った。
 「当ててみてください」
 無理難題にも程があると思った。いくらなんでもついさっき知り合ったばかりの子供の名前をあてるなんてそんな芸当、超能力者でもなければ無理ではないか。そして僕は超能力者ではないのだ。残念ながら。
 「そんなの無理だよ」
 「なんでもかまいません。ちょっとした遊びですから、そんなにしんけんにならずに思いついたのをただ言ってくれれば良いんです」
 僕は考え込むふりをする。実は訊かれた瞬間に思いついた名前があったのだが、あまりにも安直過ぎて言おうか言うまいか僕は悩んでいた。結局それ以外思いつくことができず、観念して僕はそれを口にした。
 「そうだな、白、とか」
 真っ白な子だから白だなんて、ともすると彼にも笑われてしまうかと思っていたが、思いのほか彼は真剣な顔でその名前を繰り返しつぶやいている。
 「正解、なのか?」
 はっと我に返ったように、彼は顔を上げる。
 「そうですね。白・・・・・・ぼくの名前なんですね」
 「なんですね、って。自分の名前なのに変なことを言うね」
 そう僕が言うと、白はまさに満開といった趣の笑顔で、
 「はい。ぼくは、白です」
 と言った。やれやれ。僕は空になっていたカップを口元に運び、内心苦笑した。
 「ところで千春さん、ゲームでもしませんか?」
 興奮冷めやらぬ様子で白はそんな提案をした。ゲーム?それはまた随分とこの場に不釣り合いな単語ではないか。この欧州の伝統的領主の館然とした家にゲームとは、やぶへび感は否めない。しかし、その他に取り立ててやることもないので、僕は白の提案に乗ることにした。
 「それでは行きましょうか」
 と言って白は席を立つ。そして件のワードローブからこれもまた真っ黒な、ひざ丈の外套を引きずり出して身につけた。しかし一体どこへ行くつもりなのだろうか。外套を着たということは外へ行くのだろうが、先程僕が確認したとおり屋外にはただひたすら森が広がっているだけだった。僕は頭をひねりつつ彼の後に従った。
 変わらず妙な雰囲気の漂う廊下を抜けて、再びエントランス・ホールに出ると、既に左右子さんが主人の外出を見送るべく扉の両脇に控えていた。彼女らはそれぞれ細長い棒を一振りずつ抱えている。白と並んで進んで行くと、無音で近づいてきた二人は、左子さんは白、右子さんは僕にそれを手渡す。何気なく受け取ろうとした僕は、それが銃であることに気付く。ずっしりと重いそれは、銃身が黒い何らかの金属で、肩当てが木製のライフル銃だった。まさかエアガンではあるまい。善良なる日本国民である僕は、学生時代にクレー射撃の経験がある訳でもないので本物の銃を持ったこともこれまで一度も無かった。そのため、一体どこをどのように持てばいいのかも分からず、白の持ち方を必死で真似していた。
 「それじゃあちょっと行ってくるね」
 白がそう言うと、メイド達はふかぶかと腰を折って、
 「お気をつけて行ってらっしゃいませ」
 と言って僕らを見送った。
 

 「ていうかゲームってこのゲームね」
 いわゆる猟。ハンティングだった。
 僕達はだだっ広い庭を抜け、例の森に足を踏み入れていた。僕の独り言を聞きつけたようで白は、
 「すみません、このゲームしか知らないので」
 と、冗談とも本気ともとれる調子で言った。だが、あの館を見た限りではおそらく本当の事なのだろう。
 「もしかしてお気に召しませんでしたか?」
 僕が黙っている事を勘違いしたのか、彼は不安そうに尋ねた。
 「ん、いや。そんなことないよ。ただ二人なら夜の森もそこまで怖くはないなあと思ってさ」
 しかし二人でいるとは言っても、この森の中も屋敷の中に負けず劣らず濃厚な暗闇がわがもの顔に占拠しており、月の光も木の葉に邪魔されて地面まで殆ど届くことは無い。その上、どういうわけかこの森のでは僕の視覚はまったくと言っていいほど機能していなかった。暗闇の種類が違うのだろうか。おかげで、僕は白の髪に月光が時折反射するのを目印に進んで行かなければならないのだった。
 「なるほど」
 と言って白は面白そうにどんどん進んで行く。僕はさっきから何度も木の根やくぼみにつまずいているというのに、彼は一体どうやって歩いているのだろう。
 「なあ」
 と、僕は呼びかける。
 「なんでしょう」
 「いや」
 そこにちゃんといることを確認できさえすれば良かった。
 しかし、
 「さてそれはどうでしょう。ぼくが本当にここにいるか、それはこえだけで分かるものだと思いますか?」
 などと白は言う。僕はなんとなくムキになって言った。
 「それは分かるさ。だって君の声は確かに今まで聴いてきた白の声だ。間違えるはずないじゃないか」
 「ついさっき出会ったばかりなのに、ですか」
 僕は反論できずに黙っている。
 それを察してか、
 「すみません」
 と謝る白。
 「でもですね、たとえこのこえが本当にぼくのものだったとしても、そこにぼくが本当にいるということにはなりませんよね。ただこえがきこえているだけかもしれません。千春さんは今何も見えていないんでしょう?かといってぼくのからだにふれているわけでもない。ただこまくのしんどうだけでぼくが『いる』と思いこんでいるだけです」
 戯れか、彼はそんな話をし続ける。
 「でも、鼓膜が振動するっていうことは、空気を震わせるものが必要なんだ。だったらそこに何かいないはずが無いんだ。そして僕はここに君と二人きりでやってきた。見失わずについてきた。だったら、そこにいるのは君しかいない」
 「じゃあぼくがじつはもうぼくを食べてしまった何者かで、そのこえだけ食べてしまわずに借りているとしたらどうですか?千春さんも食べるためにゆだんさせようとしているんですよ。ぼくは」
 「それはありえないな」
 と僕は即座に否定する。
 どうしてかと訊きたそうにしている白の顔が目に浮かぶ。
 「だって、もし君が白を食べてしまった何かだとして、僕を食べる機会を窺うなんて面倒なことをする必要はないんだから。僕は一応銃を持ってはいるけれど全くの初心者で、単なるファッションみたいなものだ。それに、君自身言った通り、僕はこの暗闇の中で全く目が利かないんだ。突然襲われたらひとたまりもないさ。だから君は白だ。間違いない」
 僕は半ば自分自身の猜疑心に向かって言い付けるようにして語りかけた。目の前で立ち止まる気配がある。
 「それでも」
 と彼は言った。
 「ともだちがほしかったんですよ。たとえ食べてしまうまでの短い間だったとしても」
 そう言う彼の声は、単なる冗談とは思えない響きを伴っていた。
 僕は左手をポケットから出し、目の前の暗闇をかき分けるようにして、彼の頭に手を置いた。撫でると、さわり心地の良い髪が掌をくすぐる。
 「ほら」
 白がわずかに上を向く。
 「ちゃんといるじゃないか」
 

「おかえりなさいませ」
 僕達がもう一度庭を通り抜けて玄関につくと、やはりシンメトリーメイドがそこに待っていた。
「ただいま」
 と言って白と僕はエントランス・ホールに入る。左右子さんに銃やら獲物やらを渡す。ちなみに獲物はすべて白によるものだ。僕は獲物を得るどころか引き金を引くことすら一度も無かった。
 先に歩いていく白の後を僕も追おうとする。しかし、左右子さんが僕と彼の間に立ちふさがった。
 「そろそろお時間でございます」
 と、左子さんが言うと同時にどこからか時計の鐘がきこえてきた。しかし突然二人の態度が変わったことに僕は戸惑う。
 「え・・・・・・どういう事ですか?」
 「お引き取り願います」
 と右子さんが言う。鐘はなおも鳴り続けている。六回。
 「ちょっと待っ・・・・・・白?どういうことなんだ?」
 彼は半身になって僕の方を向いている。何も言わない彼の顔にはやはり笑顔が貼りついていた。九回。
 「おい!白?」
 「「お引き取り願います」」
 左右子さんが僕に迫って来る。獣の死体から滴る血で、その真っ白だったエプロンはスプラッタじみた彩色を施されている。なんだか嘘臭い赤色だった。十回。
 すると、白がこちらへ駆け寄って来る。二人のメイドの間から僕の方に顔を突き出した彼は、僕を見上げて言った。
 「ありがとうございました」
 同時に十二回目の鐘が鳴った。
 

 目を開けると、見覚えのある天井が見えた。
 僕の家だ。
 築二十五年、動物厳禁の僕が暮らすいつもの部屋だ。
 シンメントリーなメイドもいなければ美味しい紅茶もないが、外を走る車のタイヤの音や、隣の部屋のテレビの音が聞こえてきた。
 どうやら僕は日常の世界に戻って来たらしい。安堵感と、妙な残念さが僕の心を去来する。見れば、僕はどうやってか不明だがベッドに寝ていたようだ。足はフレームの外にはみ出し、掛け布団は床に落ちてしまっているが。僕は枕元の目覚まし時計を手にとって時間を確認する。零時三分。
 ふと、胸の上に重さを感じてそちらを見る。すると、そこだけ夜が濃くなったかのようにうずくまる仔猫がそこにいた。僕の汗臭いスポーツタオルにくるまったまま、小さく寝息をたてている。あまりの可愛らしさに、僕はその額を撫でてやる。すると、もぞもぞとむずかるようにして、やがて目を開いた。
 「やあ」
 金緑色の瞳が閃いた。
はい、こんにちは。
お久しぶりです。
タイトルどおり告知しまーす。


12/5(日)
文学フリマにサークル名「ずんだ文学の会」で参加します。
スペースは、O-01
誌名は「ずんだ文学3号」です。


企画

・松崎有理インタビュー


先の第一回創元SF短編賞を受賞された松崎先生へのインタビュー。迅速正確ねちっこくをモットーに行われました。

・原作を読んだ俺が「まんがで読破」読破してみた(仮)

今話題騒然! あのまんがで読破シリーズを原作と読み比べ!

・創元SF短編賞落選作集「単色の妄想力」

原色の想像力に対抗して創元SF短編賞に送った作品を集めてみた企画。12月18日まではこれを読んでいよう。

・創作小説

「きゅんきゅん停留所」定禅寺 浮理
必ずかの麗しい美青年を自分のものにしようと決意した。

「パピヨン」霧吹ついたち
自分はそれから庭へ下りて、真珠貝で猫と戯れた。

「タバコに火をつけて」禾原 葉一
煙が晴れるとそこは雪国でした。

・その他
その他、掌編などもろもろつまっております。

(引用元:ずんだ文学の会HP「写像する生肉」12/1分エントリー本文より)

私自身は残念ながら現地参戦は出来ませんが、
皆さんどうかお手にとっていただけたら幸いです。
日本の東北辺りのわずかな人間が幸福になること請け合いです。

ちなみに霧吹ついたちが私ですええ。おわかりでしょうか。
パピヨンは改作版です。

それではごきげんよう。
皆様に幸あらんことを。
 真夜中、丑三つ時よりは暁に近い頃、わたくしはふと目を覚ましました。普段は目ざましが鳴るまでは並大抵のことでは眠りから覚めることなどないのに、一体わたくしはどうしたことか、小春日和の空のように明瞭な意識があることを自覚していました。時刻を確認しようと、わたくしは枕元を手探りします。しかし、時計よりも先にわたくしの手に触れたのは、寝る前に水道水を汲んでおいたガラスのコップでした。その途端、わたくしは急に喉が渇いたような気がして、その喉を盛大に鳴らしながら飲み干してしまいました。
 「漸く、といったところでしょうか」
 唐突に聞こえたその声は男性のもので、一人でこの部屋に暮らしているわたくしは、咄嗟に身の危険を感じました。ところが、室内には人の気配どころか、カーテンの揺れる音すらしないのです。隣室のテレビの音かとも思いましたが、その割に声ははっきりと聞こえました。
 「ワタクシはここですよ」
 はっと、わたくしは、その声がわたくしの鼓膜を振わせて聞こえているものではないことに気がつきました。強いて言うのなら、広い教室の中で、大勢の人が同じ言葉を一度に囁いているような、そういうざわめきがわたくしの体内で起こり、収斂して脳が直接理解しているといった感覚でした。つまり、その何者かが今『いる』のは、わたくしの体の中ということなのでしょうか。
 「おや、気が付かれましたか。そうです、あなたの考えている通り、ワタクシはあなたの体をお借りしているのですよ。驚かれたでしょう?」
 驚いたというよりは、わたくしは未だに自身に何が起きているのかを把握することが出来ず、もはやこれが夢なのか現なのかさえ判らなくなりかけているのでした。わたくしは、自分の中に別の誰かが『いる』ということが、これほどまでに気分の悪いことだとは知りませんでした。
 「おやおや、これは随分と手厳しいことを仰る。ワタクシはあなたとお話出来てこんなにも喜んでいるというのに」
 くつくつと、今にも笑い出しそうな様子で、その誰かは私に語りかけます。しかし、『彼』の言葉が響くたびに、わたくしは皮膚を裏側からくすぐられるような気がし、甚だ不快な感覚で鳥肌が立ってしまうのでした。その声自体は真夜中に相応しく静謐で、かつ温かみのある親しみやすいものであり、わたくしも聴くのに吝かではありませんでしたが、しかしそれでも尚わたくしの体は、闖入者とも言うべきその相手に対して警戒心を抱いてしまうらしいのです。
 ともあれ、わたくしが陥っているこの状況は何だというのでしょうか。果たして何を契機として『彼』との会話が始まったのでしょうか。わたくしは疑問に回答するすべを持たず、サヴァン症候群のように、ただそういう状況であるという結果のみを認識できるだけなのでした。
 「ワタクシがなんなのか、気になりますか」
 少しからかう風に声の主はわたくしに尋ねます。気にならない筈がありません。しかし、わたくしは今、なんだかその答えを聞くのが怖いような気さえするのでした。
 「誰だって未知のものには多少なりおそれを抱くものですよ。まあ、あなたがどうしても拒むのであればワタクシも強いて正体を明かそうとは思いませんが・・・・・・。ここで言わなくても、いずれ分かることではありますからね」
 生来負けん気の強いわたくしは、その挑発めいた、というか挑発そのものの台詞に、かえって背中を押される形で言うほど大したことも無い覚悟をきめたのでした。
 「・・・・・・いいでしょう」
 わたくしは着物の裾の乱れを直し、布団の上に正座して次の言葉を待ちます。
 「ワタクシは、水です」
 わたくしの背中を一筋の汗が走り落ちました。