皆さん、妹の誕生日を祝っていただきありがとうございます。

また、前回の回想録1に対してのご感想・ご意見、ホントにありがとうございます。

心より感謝しております。


現在、米国最後の夜をLAで迎えてます。

US最後の夕方。見慣れたLAの落日

昨日~今夜に関して書くことが一杯あるのですが、今後の回想録に関しての展開がどうなるのか知りたい、とのお声も多いので、まず目次的に簡単なSummaryを記します。

そこから今後、すっごくつらいけど掘り下げていく作業を行いますね。


前回の事件後の詳細は後述しますが、簡単に記述しましょう。


事件後、上北沢の某カトリック系幼稚園に入園~

しかしすぐにLondonに移転、UKの幼稚園~そのまま今度はNY移転。

NJの幼稚園から小学校~東京移転。小2だったのに日本語がおぼつかない、と校長に示唆され、

小1やり直し~でもわずか6ヶ月で今度はなんとIndiaに移転。現地日本人学校転入。


その間に現地邦人役人にレイプされる(両親は知らず)~小4の時に東京帰還。

ちょうどそのころに横井さんや小野田さんも帰還。関係ないか。


小6までに世田谷~新宿~文京区と移転。中学校は中学・高校が一緒の男子校。

場所は新宿。剣道部に入部。

高校先輩に、レイプされオモチャ的に扱われる。


しかし、中2の時に、LA移転。Jr. High School8年生(中2)なのに「英語を忘れている」と、

7年生から、やり直し。

時は70年代。マリファナ初体験からわずか2ヶ月で、ドラッグ体験はLSD、マッシュルーム、スピード、コカインまに発展。なぜかアルコールはNon touch。


High Schoolの10年生(高2)のときに、Carlsbad CA(San Diegoの北約30マイル)にArmy Navy Academyに強制入学させられる。

ここから地獄の2年間。あしたのジョーの感化院同様の士官学校(聞こえはいいが、要は少年院)

で毎晩のようにレイプされ続ける。もう完全にズタボロのRag Doll状態。


ヒゲが生え始めた事におののき、自己の男性性がいやでいやで悩みまくる。

また、自分がメリケンなのか、倭人なのかの境界線が全く自覚できず、そして続いていく虐待行為に訳がわからず、完全な自己放棄状態へ。



ここで、ついにドラッグ癖はヘロインまでに達する。

卒業というより、殆ど放校状態で、そのまま家族がそのときいたNYへ脱出。


このときまでで、すでに転校回数17回。


いや、今読み返してもやばいよねえ…

なぜカウンセリング受けなかったかって?まだそういうのは世間的に卑下されていたのよ。


でもまだよ。ここからジャガーチェンジ(豹変)するんだから。


上記の経験を経ながらも、アタシはギター、野球、絵画デザインにもはまってました。


Californiaでの地獄の日々から逃れたかったアタシは、80年代初期にエネルギーに満ち溢れていた
NYCのアート・デザイン・シーンにあてられ、デザインを真剣に勉強しようと思い立ち、Parsons School of Designに入学。


West Villageに仲間と住み、典型的なArt Studentの生活を送る。このときの好物だったドラッグは、

再びコカイン、スピード等のアッパー系。

連夜、Danceteria、Palledium等、出現しはじめたクラヴで逸脱しまくる。

自己の性的嗜好を探求したのもこの時期。


これは、幼児の時からはっきりと自分が間違った性に生まれてきたとは自覚していたが

自分がGayなのか、Transなのか、Biなのか等を探求・追求した、の意ね。

でもこれらの詳細は複雑だから、またの後述ね。といってわざと書かなかったりして、けけけ。


この時期、Californiaの士官学校の仲間の2人がヘロ中毒で身を滅ぼし、2人が精神病院行きになったNewsを聞く。


ここでまたジャガーチェンジ。

Parsonsの3年生のときに、某日本最大の広告代理店のNY支店から、スカウトされる。

直結の製版会社からお抱えのデザイン事務所での、修行後に、Assistant Art Directorとして入社。


相変わらず、自分の男性性とは同一化できず。しかしすでにそれまでのさまざまな経験・体験から、

男性To男性の同性愛者ではないことは自覚する。

つまり自分は男性ではない、女性である、との認識の確立ね。

あっ、誤解しないでよ。今でも親友の99%はGay/Lesbianなんだから。自分の路線がちょっと異なるってこと。

Led ZeppelinファンとDeep Purpleファンの違いかな?それともFreddieとBowieの違いかな?

それともMilesとColtrane、…もうええわ!


4年後にArt Directorに昇格。


この時期、生涯唯一であった、最愛の女性と出会う。元妻のことね。

彼女のことはちょっと書くのがつらいので、詳細は伏せるけど、ホントにホントに愛していた…

多分今もね。


これは非常に興味ぶかいのだけど、アタシ自身としては、女性としての自覚があったけど、彼女のことも女性として、いや人間としてかな、とにかく深い魂レヴェルで愛してたってこと。

詳細は後述するけど、と書いておいて永遠にふれんとこ。うっしっしっし。

いやいや、これは自殺未遂の後のカウンセリングで、トピックとし数週間掘り下げたんで、これは参考になるだろうから、後で書きます(ホントかしら?)。


と、ここまで書いて、3/4を消してしまった…とほほほほ。しょぼん


ま、いいや。書き直せば。んでこの後、NY版神田川的同棲生活を始めるのです。

そして、結婚。でも、自己内の女性を抑え込んだ行為を無意識的に開始していたアタシは…


と、ここまでが20年前まで。


この後、超逸脱行為が始まります。

NYの大広告代理店のArt Directorという華Jobを捨て、何故かプロ野球界に身を投じるのです。

某関西老舗球団~某元九州老舗その後都心近郊新興成功球団~某米国最大縦縞老舗球団~

某米東部老舗奇跡球団~某大日本国球団、と今日までの20年間を送るのです。


その間、結婚、出産、裏切られ事件、カミングアウト、別居、離婚、再開するレイプ事件の数々。


ああ、もう今夜はこれ以上、回想録は無理だわ。


でも、読み返してみて、ほんま、あほやね。自嘲するしかないわ。


ま、自嘲は40数年間ずっとしてきたんだけど。みんなそうだと思うけど。

でもね、それが、性同一認識狭間状態から、(同一障害ってだいッ嫌い)、文化間の狭間、

言語の狭間、人種の狭間、宗教の狭間、そして愛と憎しみの狭間等と、一緒に、

それも絶えず脳裏にあってここまで歩いてくるのは困難でした。って今も辛いんだけどさ。

妖怪人間べムじゃないけど、

「早く、人間になりたい~!」

すっごいラインだよね?60年代後期のTVだから問題にならなかったんだろうなあ。

今だったらむっちゃ問題になるでしょ。


でもそれいったら、「泳げタイヤキ君」なんてすっごいと思わない?

なんであのテーマが、70年代中期の日本の子供達の深層心理に訴えかけたんだろう?


ああ、また長文になっちゃった。昨日の妹の誕生日や、今日のホルモン治療のことも書きたいのに。


でも、やっぱ自己の無意識から、Summaryでもこれだけ掘り下げるて表面化するのは疲れるわ。


閑話休題。

この続きはまた次ね。これ以上、自分を掘り起こして、こうやって直面を数時間続けていると眠れなくちゃうからさ。


昨日は前述どおりに妹の誕生日でした。


仕事を終え、帰宅した妹、姪のKaraちゃん、そして色々な意味で偉大なる我が義弟のRobinと

アタシの4人で静かに祝いました。


彼ら宅の角にある、居酒屋Tantoから、RobinがごっそりとTake outのご馳走を取り寄せての夕食となりました。TantoはCA州に展開する日本居酒屋チェーンです。美味しかった。


またがっつくアタシを、Robinが「まだケーキがあるよ」とブレーキをかけました。


このケーキがね、Sunnyvaleから西に行った、ちょっとRichなエリアにあるAward Winningのケーキ屋の特製Raspberry Chocolateケーキだったのです。


もう、この世にこんな美味しいものがあるのかしらって感じの素晴らしさでした。

それを食しながら、みんなで過去のすべらない失敗談でジャムり、涙を流して笑い転げました。


でもね、実は昨日のお昼、事件があったのです。


このごろの過食気味を何とかするために、近所のFitness 19というジムで2時間ばかり汗を流しました。

もう2ポンド以上のダンベルを使用することは不可で、力がなくなったことを実感しました。


でも、これもヘンシーン!の一部だから、ええもんね~とほくそえんで、

その後誕生日カードを買い求めに行き、その後スタバで、いつものPecan Berry Muffinを。

4月15日事件直前のSunnyvaleのスタバにて

ったくこれじゃWork Outの意味ないよね~ってな感じで帰路に着いたそのとき!

青いVWのBeetleがやってきて、窓からムッチャ極悪典型的米国郊外中年おやじが、…


また長くなるから、続きは今度ね。にひひ でもやばかったのよ。これで過去2ヶ月で4回目。

前回は命が危なかったもん。

妹に話したら、こっぴどく怒られました。ごめんなさい。


今朝は妹達とつらいさよならの後、LAへ。


LAでは我が主治医であり、ホルモン治療のNumber One権威である、

Dr. John O'Dea博士のもとで注射と簡単な手術を受けました。

そのおかげで一人でおにぎりとサラダの簡単な夕食でも幸せの絶頂でした。

LAでの最後の日。ホルモン注射の後で幸せの絶頂。

同博士はアイルランド出身で、LAで唯一、男女両方の更年期障害の治療から、我々M to F、もしくは、F to Mのホルモン治療の権威となった、すっごい才能溢れるオジサマです。


日本の歴史の研究家でもある、同博士の研究報告は、アタシのICUでの講演でも配布します。

また、今ね、すっごいフィクション書いてんの。

内容はね、信長の時代にスペインの神父がやってきて、信長がキリスト教を受け入れるのと同時に、この神父が西洋武器の調達から、信仰を…あっ、いかんいかん、勝手に発表したら怒られちゃう。


ごめんねDoctor John。ん?Doctor John何やってんでしょ?New Orleansで頑張ってんのかな?

誰か教えて。山岸ジュンシさんとジャムってんのかな?


ま、とにかく、これが同博士のWeb siteです。ご興味のあるかた、Visitしてね。

今度もっと詳しくご紹介します。


www.balancedhormones.com


ああ、明日は帰国なんだ。成田で荷物あずけて、Narita Expressに乗って、新宿経由で武蔵小金井まで。長い一日になりそ。


皆さん、これから日本でよろしくね。ニコニコ