皆さん、お元気ですか?現在、米国は14日西時間の午後3時です。日本はもう15日の朝のはず。


明日は妹の誕生日です。それを祝うためにも、帰国前にCaliforniaによりました。

彼女が誕生したのは、xx前。NJのEnglewood Hospitalでした。当時アタシは小学生。

父親が新聞記者の特派員を勤めていて、その関係でNYCからHudson河を隔てた、NJのNorth Bergen町に住んでました。


妹が生まれたとき、当たり前なのですが、ホントに嬉しかったのを憶えてます。何故か、彼女がお腹の中にいたときから、「絶対に女の子よ」と周囲に主張してました。当時通学していた小学校の先生は、「でもKota。そんなことは生まれてみなければ分からないでしょ」、といわゆる米国的Logicでアタシを諭しました。


アタシはそれに真っ向から反発し、「いや絶対に女の子だ。もう決定してんだから」、と怒りまくり、その先生(Mrs. Colleenだったかなあ)も一歩も譲らず、結局このエピは、先生が父親に報告しなければならない規模へと発展したのです。


今になって思い起こせば、お互いの頑固さに失笑してしまうのですが、アタシには直感的な確信があったのです。実は、母親の家系が非常に協力な霊感体質で、アタシもそれを引き継いでいるのですが、ま、これはまたいつものとおりに後日に回しましょう(と書いておいて、永遠に書かなかったりして-けけけ)。


当時7歳だった、アタシはすでに自分が「男の子」ではないことをハッキリと自覚しており、そのことに悩まされていました。

それまで一人っ子だったため、一人遊びをすることが多く、そんな時はいつも「なんでこういう風に生まれちゃったんだろう?」、と思っていたことを憶えてます(その前の事件に関しては下記に記しました)。


なので、母親のお腹にいた妹が、「女の子だ!」、と主張していた背景には、自分がそうでないことに対しての憧れを託していたのかもしれません。


xx前の4月15日に妹が生まれたとき、父親から「女の子だよ」、と聞かされ、もの凄く嬉しかったことを憶えてます。

当然、次の日に学校に行ったとき、Mrs. Colleenに、「ほら、言ったとおりだったでしょ」、と勝ち誇ったのは言うまでもありません。


その妹とはお互いに不思議な運命をたどるのですが、現在のアタシにとっては、子供達の次に大事な人となっています。

現実的に自分は7歳年上の姐ですが、今では完全に立場が逆転しており、この数日間、全てにおいて勝っている妹のあとを姪とともに追いかけまわしてます。

天然モノの女性ではない、この養殖モノのアタシに色々と、アドヴァイスもしてくれてます。

モモチャン、ありがとね。


Lawrence Station/Cal Train 4/12/08


さて、こんな話を皮切りに、これから自分の過去を簡単にご紹介しますね。


アタシは、46年前に東京に生まれました。4歳まで、東京~津田沼~上北沢と引越しを続けました。

前述のとおり、当時父親は某通信社で記者を勤めており、4歳の時にLondon特派員としての任務を請け負いました。

家族を呼び寄せる前に環境を調整する必要があったため、父は先に渡英することになり母親とアタシは母方の実家に数ヶ月身を寄せることになりました。


その矢先に事件がおきました。まだ父が渡英する前です。


あるとき、親族にドライヴに連れて行ってもらったとき、同行していた親族の友人に性的虐待を受けたのです(これが最初のレイプ事件。この後40数年間、虐待行為はずっと受け続けてます)


訳の分からなかったアタシは、タダタダ恐怖におののき、泣き喚いていたのを憶えています。


当然両親には何も言いませんでした。

その後、虐待を受けた箇所が炎症を起こし、膀胱から尿道にかけて石が発生してしまいました。

大変に体調を崩してしまったアタシは、結果として生を受けた、某カトリック系大病院で手術を受けることになりました。


手術はペニスから体内を切り開くものでした。


術台の上で、麻酔マスクをかぶらされたときの恐怖感は未だに忘れられません。

何とか取り除こうと抵抗したのですが、大山のぶ代さんみたいな、いやどちらかといえば、もりマンのような看護婦さんに有無も言わさんぞ、とばかりに抑えられこともハッキリと憶えてます(大山さん、もりマン、ごめん-2人とも大ファンです)。


その後、長いことまともに排泄行為も出来ず、つらいリハビリの期間が始まりました。

当時はまだ性的虐待へのメンタルケアなど、大人に対しても存在せず、当然のごとく、そういった行為の果てに手術を受けた3歳半児に対してのケア等はもってのほかでした。


他の幼児とともに大部屋に入れられたアタシは、夜になると窓から見える銀座のネオンに人恋しさを覚え、毎晩泣いてました(そこのオッサン、ちょっと意味が違うわよ)。

あんまりアタシが号泣するので、当直の看護婦さんによく怒鳴られました。


「コウタ君、他のみんなが寝れないでしょ!隣のタカシちゃんをみてごらんなさい!ちゃんと寝てるじゃない!うるさいわよ!」、と。タカシちゃんは今適当に作ったのですが、残りはそのまんまです。


ああ、ちょっと辛くなってきちゃった。今日はここまでね。

ま、予告編として、この後も虐待を受けたのは、

「お前がオカマだから」的なケアしか周囲から受けられなかったのです。

それがず~っと強迫観念として残るのですが、この事件が起こるまえから、「ボク、男の子じゃないんだよ」、とはずっと思ってました、と今は記しますね。


このブログ作業、浄化作用があるんだけど、Surpressしてきた無意識までふつふつと表面化するのよね。このSunnyなCaliforniaにいても、Grayになりそう。

ま、事件はこれだけじゃないしね。

あっ、ところで18日に帰国します。日本は温暖なのかな?それからギター等の写真もアップしたので、そっちも見てね。べーっだ!