もう、何回も、取り上げておりますが、

 

私が、??十年前、ヘルムート・ニュートンの写真を見て、

 

写真家になりたい(????)とまで、

 

思わせた、

 

私にとっての、永遠に世界一の写真家; 

 

ヘルムート・ニュートン

 

 

2020年、いまだに、彼を超える

「かっこいよくて・洗練されていて・クリエイティヴで・美女を撮らせたら世界一の・セクシーな写真家は、現れておりません!」

 

晩年、

 

私も、パリで一回、ロサンジェルスで一回、

 

ちょこっと、見かけたことがありますが、

 

「感じの良いのんきな”好々爺”という感じで

 

セクシーで洗練された彼の写真とは、

 

かけ離れたものでした。」

 

惜しくも、ロサンジェルスの、サンセットの少し丘よりのところにあります、

 

”ヒップなホテル”から出たところで、お亡くなりになりました。

 

 

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スキャンダラスな写真家、ヘルムート・ニュートンの素顔とは?|石田潤のIn The Mode

November 30, 2020 | Design, Art, Culture, Fashion | casabrutus.com | text_Jun Ishida   editor_Keiko Kusano

 

 

 

 

 

今年、生誕100年を迎えた写真家、ヘルムート・ニュートンのドキュメンタリー映画『ヘルムート・ニュートンと12人の女たち』が公開される。スキャンダラスな写真を撮り続けた写真家の素顔とは? 彼を知る12人の女性たちが語る。

 
 
 
 
脳裏に焼き付いて離れないファッション写真を一枚挙げるとすれば、私はヘルムート・ニュートンの《ル・スモーキング》を挙げる。1975年にニュートンが「フレンチ・ヴォーグ」誌で発表したこの写真は、イヴ・サンローランがデザインした女性のためのタキシードルックをパリの路上で撮影したものだ。1966年にサンローランが発表した当初、女性がメンズの服を着るというコンセプトは否定的に受け止められたという。だがジェンダレスがファッション界の大きな流れとなった今、《ル・スモーキング》はその先駆けとも、始まりとも言える。モノクロームで撮られた男装の麗人。髪は撫でつけられ、片手には細いシガレットを持っている。背徳的なムードに満ちたこの写真はパリの夜を象徴するものだが、背徳感はニュートンの写真に常に纏わりつく。『The Bad and The Beautiful』は、間もなく公開されるヘルムート・ニュートンのドキュメンタリー映画のタイトルだ(日本語タイトルは『ヘルムート・ニュートンと12人の女たち』)。まさにニュートンの写真には、悪と美が共存している。

ヘルムート・ニュートンは、1920年ドイツ、ベルリンに生まれた。裕福なユダヤ人家庭に生まれたニュートンは、幼い頃からカメラに興味を抱く。女性ファッション写真家の先駆けであるイヴァことエルゼ・ジーモンのもとで学ぶが、1938年にナチスによるユダヤ人迫害を受けベルリンを離れ、イタリアからシンガポール、そしてオーストラリアへと移り住む。映画では、自由に溢れたワイマール共和国時代からナチスの台頭、支配へと移りゆくベルリンの姿を記録した写真や映像が差し込まれ、ニュートンも当時のことを振り返る。

「日中は逃げ回り、夜間は息をひそめた。親切にしてくれる人もいた。(略)危険を犯して助けてくれる人も屋根裏にユダヤ人をかくまう人もいた。だがーー全ドイツ人が善人だったわけじゃない」

皮肉なことだが、映画を通じて気づかされるのは、この時代が与えたニュートンの写真への影響だ。彼が写真で表現した女性の肉体美は、ナチスのプロパガンダ映画を撮影したレニ・リーフェンシュタールのそれを思わせる。イザベラ・ロッセリーニは「レニが男性を描くやり方で彼は女性を撮った」と述べ、ニュートンもその影響を否定しない。ニュートンはリーフェンシュタールを天才と認め、「ナチスの影響を受けてると今も批判される。当然だろ、そんな環境で育ったんだ」と言い放つ。彼は否定し難い事実を隠さずに、タブーに挑戦し続けるのだ。

イザベラ・ロッセリーニと彼女の主演映画『ブルーベルベット』の監督を務めたデヴィッド・リンチのポートレイト。ふたりは当時、恋愛関係にあった。監督が女優を操るという構図の写真を、ロッセリーニは、彼らが撮るのは自分ではなく、彼らの頭の中のイメージだという。 David Lynch and Isabelle Rossellini, Los Angeles, 1988 (c) Foto Helmut Newton, Helmut Newton Estate Courtesy Helmut Newton Foundation
 

イザベラ・ロッセリーニ、アナ・ウィンター、シャーロット・ランプリング、マリアンヌ・フェイスフル、グレイス・ジョーンズ、ナジャ・アウアマン、クラウディア・シファー……、映画にはニュートンと仕事をした綺羅星の如き女優たち、モデルたち、編集者たちが登場する。ニュートンは2004年に逝去しているが、「Me Too」運動が起こり、写真に描かれる女性像が問われる今、彼の写真はどのように受け止められたのだろうか? 映画にはスーザン・ソンタグがニュートンとのTV討論で、作品と作者は同一視しないと言いつつ、「あなたの写真は女性蔑視で不愉快」と批判する場面も現れる。確かにニュートンの写真には、時には不快に思える女性のイメージも登場する。しかし、ニュートンと仕事をした女性たちがいずれにも口にするのは、彼との仕事の心地よさだ。ヘルムートの代表作の一つに『ビッグ・ヌード』シリーズがあるが、フルヌードの女性たちは、見るもの(撮るもの)を見下ろすかのように堂々とたたずむ。女性の強靭な肉体、そして精神への賛美と敬い。彼の写真から感じるのは、エロチシズムよりむしろそうしたものだ。

ハイヒールサンダルを履き女優のようなポーズをとるヘルムート・ニュートン。撮影は妻である写真家アリス・スプリングスことジューン・ニュートン。 Helmut at home, Monte Carlo, 1987 (c) Foto Alice Springs, Helmut Newton Estate Courtesy Helmut Newton Foundation

映画に現れるニュートンは、悪戯好きの少年が大人になったようなチャーミングな人物だ。茶目っけとユーモアと皮肉に富んでいる。そしてその傍には常に妻であり、最大の理解者でありミューズであるジューンの姿がある。ジューンはニュートンにとって写真は「生きがい」であり、「執念」だという。映画にはニュートンの写真家としての姿勢を窺わせる言葉も度々登場するが、最後に一つ引用したい。


「過去の偉大な写真家が残した名言がある。『ひどい写真は記憶に残るのがー』『いい写真を撮るための努力を覚えている者はいない』苦労は忘れられる。だがひどい写真は忘れない。スタッフ全員が苦労してもいい写真を撮るべきだ。」

スキャンダラスな写真家は、ひたすら写真に真摯に向き合った人でもあった

 

映画『ヘルムート・ニュートンと12人の女たち』予告編