世界各国、間違った情報というのは、長く根付いたりしているものですが、「ビーチサンダル」で、思い出しますのは、昔、日本からくる知人たちを、アメリカのレストラン(中の上以上の格です)に、連れていきます時、ビーチサンダルで来たりしていたのを、恥ずかしくおもいました。
要は、ロサンジェルスや、キャリフォルニアは、
キャジュアルだからとか、
スーツや、かしこまった服は、誰も着ないとか、
アメリカ人は全員、ランチに、ビールを飲むとか、
金髪女性の「あそこの毛」は、金髪(?)だとか、
アメリカの飯は、まずいとか、
アメリカ女性の「あそこ」は、デカくて、「がばがば」だとか、
アメリカは、かしこまったパーティーが、しょっちゅうあるので、タキシードが、必要だ。とか、
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などなど、イクラでも、こういう「馬鹿気た例」は、あげられますが、「ビーチサンダル」も、その一つの例でした。
もちろん、今では、日本人旅行者が、ビーチサンダルで、中の上以上の、レストランには、行かなくなりましたが、「ビーサン」といいますと、思い出すのが、この記憶でした。
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ハワイでビーチサンダルを広めた日本人
モトナガ・タキゾウ氏(右)と妻のミサオ女史
ハワイには約20万人の日本人が暮らし、今年はハワイ日系移民150周年になる。日本だけではなく様々な国から移住した人が多く暮らすハワイでは、各国の文化がそのままハワイ独自の文化として定着していく場合も多い。
日本人にとって馴染みのある「草履(ぞうり)」は、ハワイでは「スリッパー」と呼ばれ、ローカルの暮らしに欠かせないモノとなっている。草履がスリッパーとなり、ハワイで広まったのはなぜなのか?実は、日本から移住した1人の男性とその家族が大きく関わっていた。
草履をヒントにサンダルを製造
ハワイを連想させるものといえば、海、ヤシの木、ダイアモンドヘッド、ハイビスカス…など、いろいろ浮かんでくるが、ビーチサンダル(通称:ビーサン)も、そのアイテムの1つ。「ビーサン」は、ワイキキの街を見渡せば多くの人が履いているが、ハワイでは、さまざまな場面で活用できる、便利なアイテムでもある。
「ビーサン」のことを、英語では「flip flops」と言うが、ハワイの人は「slippers=スリッパー」と呼ぶことが多い。そんなハワイの「スリッパー」は、実は日本の草履の影響を強く受けている。もともとハワイの人たちはサンダルのようなものを履いていたが、ハワイへ移住した日本人によって草履スタイルのサンダルが普及した。
14歳でハワイに移住した本永瀧蔵(モトナガ・タキゾウ)氏とその妻でハワイ出身のミサオ女史が、1946年にホノルル市のカカアコ地区に工場を設立し、5人の従業員とともにリゾートサンダルメーカー「ISLAND SLIPPER」を創業。
現存する最古のハワイアンサンダルブランドであり、創業以来、家族経営、地元生産を堅持し、タキゾウ氏が亡くなった後も、その物作りの精神を息子たちが引き継ぎ、事業を拡大した。
アメリカ人オーナーが継承し世界ブランドに
その後、現在のオーナーであるジョン・カーペンター氏が会社経営を継承。メンズラインの強化を図ったところ、これが功を奏し、ハワイだけではなく、世界中で親しまれるブランドとなった。
ハワイで売られている一般的なスリッパーに比べて高価であるにもかかわらず、ローカルからの人気は高く、その認知度と使用率は圧倒的で、履き心地のよさは、裸足で歩くよりも歩きやすいとも言われている。
日本で生まれた「草履」が「スリッパー」と呼ばれ、ハワイの人の暮らしに欠かせないものとなる…。
各国から多くの人が移住し、異文化が融合しながら独特の文化として広がりを見せる。これぞ、ハワイならではの文化形成の姿なのかもしれません。
【この記事は、Yahoo!ニュース個人の動画企画支援記事です。オーサーが発案した企画について、取材費などを負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・支援する目的で行っています。】
伊藤寧章(いとう・やすあき)。東京都出身。在ハワイ20年。高校卒業後ハワイに移住し、Hawaii Pacific Universityを2003年に卒業。2005年アパレル会社を設立。2014年より広告代理店・TV制作会社「A.P.O. Entertainment Production」を設立し、現地のNGNホテルチャンネルにてハワイ発情報番組「Made in Hawaii TV」のプロデューサーを務める